やまなし音遺産の最近のブログ記事

 ■やまなし音遺産 〔第102回 “焼印 愛甲製作所”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第102回目は《焼印》

 

火を熱して物に押し当てて跡を付ける金属製の印“焼印”

まな板や桶などの木工製品やお饅頭、富士登山の際には、山小屋で金剛杖に押してもらえます。

 

そのような焼印を手作りしている工房が甲府市にあります。

それが、「愛甲製作所」。

甲斐の国、甲州、甲府を愛するという意味を込めて付けられた名前です。

全国的にも焼印を手作りする職人はとても珍しく、ご主人の中山さんの先代が、戦後に始めて、今も作り続けています。

焼印を作る前は鍵屋で、代々鋳物を扱っていました。昔は鋳物を扱うところも多く、鋳物団地と呼ばれる場所もあったほど、鋳物屋さんがたくさんあったそうです。

 

IMG_2049.JPG戦後、先代が焼印作りを始め、その手伝いをしていたという中山さん。

定年を迎えた後は焼印作りに専念して、もう30年以上が経ちます。

 

焼印は昔の名札のようなもので、どこの家にも一つはありました。

墨は水には弱いため、どんな物にも焼印を押したそうです。農作業の道具、下駄、桶など。

さらに、各家庭で「屋号」を持ち、その屋号の焼印が作られていました。

同じ名字が多い中、この屋号がとても役に立ったそうです。

現在でも、屋号を使い、代々ご商売をされているところもありますよね。

 

 

昔は、国や各地の役所、学校などの印を多く手がけたそうです。

今はすべてシールになってしまっていますが、昔は学校の椅子や机の裏には必ず焼印で学校の名前が押されていました。

それらの昔作った焼印を先代であるお父様が残してくれていたと記録を見せてくれました。

 

さらに、昔は、結婚式や上棟式などお祝いの枡に押される多く注文を受けたり、野球のバットにも押していました。

 

 

 

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それも、印鑑の登場や製品の素材の変化で焼印の需要も減少しました。

 

はんこ産業で知られる、山梨県旧六郷町の印章店を通し、全国からも焼印の注文が来ていたそうです。

しかし、激減した今でも、当時から中山さんを頼って、金物の産地である新潟県三条市の問屋などから注文が来ています。

 

 

焼印の作るには、「砂」「ふのり」「銅」「白炭」「鞴(ふいご)」などが必要です。

これらは全て、昔は県内で購入出来たものでした。砂は荒川から取ってきたそうです。

しかし、今では、県外からの取り寄せ。時代はだいぶ変わってしまったようです。

 

型の材料である砂をふるい、その細かくなった砂をふのりで、羊羹のように板状に固め、針で文字や絵を彫っていきます。

型が出来たら、1500度の銅を流し込んで、冷まして不要な部分は崩してヤスリをかけて完成です。

銅を流し込んでからはやり直しがきかないため、冷まして出来たものを見るときは緊張すると言います。納得がいかなければ最初からやり直すこともあるそうです。

このような作業を、昔は10日に一度の割合でしていたそうですが、現在は燃料をセーブするため、1か月に1度 作る物を貯めておいてします。

 

全体的に、「職人」と呼ばれるような人が減ってしまっています。

中山さんもこの「焼印」を後世に残したい。そんな思いで現在も行っています。

“誰かやってくれる人はいないだろうか・・・?”

最後にこんなふうにもつぶやいていました。

 

 

 

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愛甲製作所

中山 孝平さん

住所/甲府市丸の内2丁目39-5

電話/055-226-5365

 やまなし音遺産 〔第101回 “中道往還・山崎方代”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第101回目は《右左口宿・山崎方代》

 

出かけたのは、甲府市南部にある右左口。昔、宿場町だったところです。

この場所は歌人、山崎方代の生誕の地でもあります。

そこで、今回は、右左口宿の歴史や見どころを、右左口宿歴史文化村推進委員会の千野宇平さんと、江口喜美子さんに案内して頂きました。

 

IMG_2074.JPG近世初頭から明治36年6月の中央線開通まで、甲斐と駿河を結ぶ交易路として中道往還。

 

その距離は20里(80km)。そこに右左口宿が発達しました。

山梨と静岡を結ぶ道は3つあり、笛吹市側の「若彦路」、身延町側の「河内路」そして、「中道」です。ちょうど、「若彦路」と「河内路」の間(中)を通っていたため、「中道」と呼ばれるようになりました。

 

この中道往還の主な利用は海産物の運搬。

若彦路や河内路に比べると短距離だったため、海産物は腐る前にしっかりと運べました。

 

その中の一つが「鮑」。

諸説ありますが、「鮑」を醤油に浸けて、馬の背中で程よく揺れ、中道を使って1日でちょうど良く熟成されて「煮貝」が誕生したという説もあります。

こうして、さまざまな荷物が運ばれてきましたが、中道往還は、伝馬役は人足2人、馬2頭と少なく、甲州街道(25人、馬25頭)に比べると極端に少ないですが、荷物の運送は本街道と変わらなかったため、継立て業務は活発に行われていたそうです。

 

そして、ここは徳川家康の軍用道路でもありました。

さらに徳川家康が右左口村には、関所の通行や塩や海産物などの売買・輸送を免許する「朱印状」を与えていました。

そのため、その特権を利用して、駿河産の塩や海産物を売買する商人が78人もいて、当時多くの収入を得ていたそうです。

こうして、さまざまな物の出入りも盛んになった右左口には文化的なこと、俳句、短歌、人形浄瑠璃も伝わり発展しました。

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大正3年には、歌人 山崎方代が誕生。

昭和12年には横浜に移ってしまいましたが、地元右左口のことを詠んだ歌が多く残り、現在は山崎方代生家跡や歌碑などがあります。

昔、山崎方代の実家は水車業を営んでいたそうで、今でも生家跡の裏には山から流れてくえる川が流れています。

 

このようにたくさんの歴史が詰まった甲府市右左口町。

昔は、「東八代郡中道町右左口」でしたが、2006年に中道町が甲府市と合併して、歴史ある「中道」の名前が使われなくなってしまいました。

それを懸念して、歴史もなくしてはいけないと「右左口宿歴史文化村推進委員会」を発足させて、歴史文化は守り伝えているそうです。

 

その中道往還には、まだまだ見どころがあります。

中道往還沿いには現在でもお蔵やまっすぐな道、柿の木が少し残り、当時宿場町だった面影が残っています。

さらに奥へ奥へ進み、右左口峠へ向かっていくと、人や馬の道中の安全を守る石像など、当時の「道しるべ」役としても各所に祀られた石像がおよそ33体あります。

徳川家康が陣をはった場所ということで、瓦には葵の紋が刻まれた「敬泉寺」というお寺。

家康に献上した湧水も現在でも残り、「泉家の泉」と呼ばれ、名字が無い当時、このことをきっかけに「泉さん」という名字がついたと言われています。

また、右左口町民が「お地蔵さん」と聞いて、まず思い浮かぶのは右左口宿の入口に1700年に作られて鎮座している「厄除け地蔵」。

自分の身体の悪い部分とお地蔵さんの同じ部分を石で叩くと痛みがなくなると言われたため、各所にへこみがあり「カンカン地蔵」とも呼ばれているんです。

 

まだまだ伝えきれないほどの見どころ満載の「旧中道町右左口」

「右左口」という地名は「祖母口」と書いて「うばぐち」と読ませた例もあり、周囲を山に囲まれた地形が歯のなくなった老婆の口に似ているので、という説と、街道筋に家が左右に伸びているところから「右左」と付けられたという説もあります。

さらに、織田信長が愛用していた茶釜の一つに「姥口」というものがあり、これによって名づけられたとも言われています。

 

まだまだ右左口峠に行けばさまざまな発見があります!

温かくなったら、歴史を感じに右左口へお出かけください。

 

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右左口宿歴史文化村推進委員会

代表 千野宇平さん

  ■やまなし音遺産 〔第100回 “弓道”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第100回目は《弓道》

 

山梨県中央市は弓道が盛んな地域です。

そこで伺ったのが、豊富の浅利地区にある諏訪神社。

まず、この地域についてなど、歴史文化ボランティアの会会長の加藤さんに聞きました。

 

諏訪神社は、鎌倉時代の初期に建てられた神社。

今からおよそ800年前に中央市 旧豊富地区周辺を治めていた武将「浅利与一」がいました。

諏訪神社は、この与一が浅利の庄の総鎮守として崇敬されています。

浅利与一は、武勇にたけていることで知られ、「平家物語」には、源平最後の合戦“壇ノ浦の戦い”における平家方の武将との弓矢での戦いぶりが記されています。

与一は、源義経の求めに応じて、およそ436m先の敵船に立つ武将を射倒しました。

それ以来、那須与一、佐奈田与一とともに「三与一」と呼ばれ、浅利与一は甲斐源氏として名を轟かせました。

鉄砲の無い当時、弓の強さが武士の力になることから、与一は普段からおよそ220m先を走る鹿を射たり、腕を磨いて強弓の持ち主となりました。

このように弓の命中精度が高い事から、江戸時代・明治時代通して、「願いが必ず叶えられる」として、神と称えられて慕われていたそうです。

現在は、中央市旧豊富地域には、与一にちなんだ弓道場や弓道部があり、大会も行われ、県内外から弓道の選手が集まります。

 

浅利与一の弓は豊富郷土歴史資料館にあり、銅像もシルクの里にあります。

与一が放った矢の距離も凄いものですが、与一の弓の長さも長かったのも特徴です。

通常はおよそ7尺(2m21cm)の弓ですが、与一が使ったのは、およそ9尺(2m70cm)と言われています。

さらに、弓の重さも与一は30kgだったそうです。

 弓道については、中央市弓道部錬士六段 内藤幸雄さんにお話しを聞いてきました。

私が伺った時は、その弓道部の皆さんがちょうど練習中。

 

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弓道には「射法八節」という8つの所作があり、それを見せてくれました。

1、足踏み(やづかを標準として外八文字およそ60度に踏み開く)

2、胴造り(重心を中心に置き、弦の位置、矢の方向を調べ、息を調える)

3、弓構え(取懸け、手の内、物見 を定める)

4、打起こし(弓構えの位置からそのまま静かに自分の身体の前に上げる)

5、引き分け(弦を引いて左右に開きながら引き下ろす)

6、会(矢が的を狙っていて放つ前の姿勢)

7、離れ(矢を放つ)

8、残身(矢を放った後も姿勢を変えない)

 

そして、力強い音も響いていました。

それは「弦音(つるね)」です。

弦音とは、弓に弦が戻り、弦が当たる音。

初心者は「弦子」と書き、濁った音や、音が大きすぎるなど良い音が出ません。

弓道の競いのポイントは射法八節や弦音(つるね)まで審査基準になることもあります。

的中すれば良いというものではないそうです。

審査員も、見ずに弦音を聞いただけでも判断できると言われるほど重要の技です。

 

また、弓道には最高目標「真・善・美」というものがあります。

真(真の弓は偽らない。真実の探求)

善(礼や不当は静かな心境であり、平常心を失わない)

美(弓の美しさ、人間の心の働き。これらを具体的に表現しようとする射礼)

 

皆さん、この「真・善・美」を目標に頑張っていらっしゃいます。

弓道の試験は、面接、実技、筆記もあるそうで、とても難しいそうですが、弓道はいくつになっても始められるし、いくつになっても続けられる。そんなところも魅力の一つです。

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さらに、いい弦音が出た時、的中した時はとても気持ちのいいものですよね。

 

今年の10月にも浅利与一弓道大会が行われ、県外からも多くの方々がここ山梨に来る予定です。

これからも、浅利与一公を大切に弓道が盛んに行われてほしいです。

 ■やまなし音遺産 〔第99回 “花桃”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第99回目は《花桃》

 

笛吹川沿いの地域は桃の産地。

桃源郷とも言われる桃の花が咲く扇状地の景色は春の象徴であり、ピンクの絨毯を敷き詰めたような見事な春の景色です。

3~4月にかけて花が咲く前に、余計な枝を切り落とす剪定作業がこの時期、各畑で行われています。

 

そこで、私が伺ったのは、桃の剪定真っ最中のまるきた花桃園の有賀さんの畑にお邪魔してきました。

剪定は充実した花や実をつけるためや、病気にならないためにしなければなりませんが、1本の木から全体の3分の2の枝が切り落とされます。

そして、1本の木から立派な桃が400~1000個取れます。

たくさんの実をならすため、桜のように寿命は長くなく、観るための桃の木も、食用の桃の木もおよそ30年です。

 

「桃」と聞くと、「食べるもの」と思いがち。昔、笛吹市は食用の桃の木ばかりでした。

それが、観光向けにと観賞用の桃の木を植え始めたのが、まるきた花桃園が最初。

それは、有賀さんが中国に行った際、現地で中国の桃博士に「桃が観るもの半分、食べる桃半分」と教えられたのがきっかけだったそうです。

実は、日本は平和な江戸時代は花をめでる余裕がありました。その後は、戦争時代は気持ちも農地もお国のために使われることになり、花桃も絶滅の危機に瀕してしました。

しかし、戦争が落ち着いた時、国が筑波で花桃の保存を始め、一般でも保存に取り組むのであればと、今からおよそ15年前にまるきた花桃園が、花桃の枝を譲り受けたそうです。

今では、この花桃園では、およそ75品種500本の花桃の木が植えられています。

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このようにして、大事に毎年剪定され、見事は花を咲かせて楽しませてくれている桃ですが、観賞用、食用どちらの桃の木も同じように剪定されるわけではありません。

花桃の場合は、花が密集し、目線の高さにあるものが好まれます。なので、高く大きい木はほとんどありません。そして、歩きながら花桃を楽しむため、邪魔にならないように剪定するのもポイントです。

反対に食用は、全体に太陽が当たるように、上、横、下とバランス良く枝を残します。

しかし、一つ一つの実が甘く大きく育つように、花桃よりは枝をかなり切り落とし、さっぱりとしています。

この剪定作業がとっても大変!花や実が終わった直後の夏から2月下旬まで。

花桃や桃の収穫より、剪定作業にかかる時間は長いんです!!

そのようにして、やっと咲く花は、3月頃から。

桃の収穫は6月下旬頃から。

 

桃は観て半分、食べて半分♪

今年の「桃」もまずは、観賞からたのしんでください^^

 

 

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まるきた花桃園

住所/山梨県笛吹市一宮町下矢作399

TEL/0553-47-2667

FAX/0553-47-2967

 

■やまなし音遺産 〔第98回 “みみ”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第98回目は《みみ》

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小麦粉と水を練った生地を大きく薄く伸ばしてつくる「みみ」

富士川町の郷土料理の一つ。

富士川町の中でも旧鰍沢町の山間部にあたる十谷地域に伝わる料理です。

 

甲斐源氏の祖先・源義光が砦を築いたという言い伝えがある源氏山の奥地。

源氏の武将が昔、隣村との境界争いのとき、神様に戦勝祈願で、もし勝った時には縁起物である「福箕(ふくみ)」を奉納すると約束しました。そして、結果、戦いは見事勝利して神様には「福箕」が奉納されました。

源氏が勝利したこの日から、祝いの日の料理になり、十谷地域では、毎年正月の朝食に作り、歳神様にも供えたといいます。

 

「みみ」は、小麦粉を、人の耳と同じくらいの柔らかさになるまでよく練って薄くのばし、3cm四方くらいの正方形にきって、2つ角をつまんでくっつけて、くるりと丸めて作ります。

この「みみ」の由来は、農作業で使う道具「箕」の形に似ていること、そして、人の耳の形にも似ていることからという説があります。

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 ■やまなし音遺産 〔第97回 “アイススケート”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第97回目は《アイススケート》

 

冬のスポーツのひとつ「アイススケート」。

先日開催された「いわて国体」では、スピードスケート少年女子、リレーとも輝かしい成績を残しました。またフィギュアも大健闘でした。

 

甲府市の小瀬アイスアリーナで、小学校から高校生までが所属する甲府フィギュアスケートクラブが練習をしていたのでお邪魔してきました。

お話を伺ったのは、クラブの副会長遠藤先生。

クラブは県内唯一のフィギュアスケートクラブで、昭和28年に創立され、たくさんの選手を輩出してきました。

昔から冬の遊びとしてスケートは楽しまれてきましたが、富士五湖方面では、全面結氷した湖や田んぼの上を下駄に刃を付けたもので滑っていたそうです。

そして、このクラブの昔も同じ。

高校の体育の先生が設立し、昔の練習場所は千代田湖のまだ上の大正池。

さらに、高校校舎の日陰に水を張って凍らせて、そこで滑っていたそうです。

そのため、当日は、高校の先生と生徒で楽しんでいたクラブですが、だんだん大きくなり、現在ではおよそ40名の選手がいて、およそ60名が所属して日々練習に励んでいます。

指導にあたっているコーチは、クラブのために、県外から山梨に移住してくれたそうです。

 

山梨出身の有名スケート選手と言えば、現在は解説者として活躍する佐野稔さん。

荒川静香さんや鈴木明子さんを育て、現在は本郷理華選手のコーチである長久保裕さん。

また、スピードでは橋本聖子さんや岡崎朋美選手。こちらのお二人は、山梨の会社に所属して練習しています。

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アイススケートには、フィギュアとスピードがありますが、山梨県内ではどちらの歴史が長いのか気になったのか伺いました。

実は、昔から盛んなのはスピードです。

スピードは、屋外リンクで滑走可能ですが、フィギュアは屋内のみです。

そのため、フィギュアは屋内リンクが出来て発展したそうです。

屋内リンクは、佐野稔さんが通ったという「甲府製氷」。

その後、昭和42年に「甲府アイスパレス」がオープン。そして、平成12年に小瀬にアイスアリーナがオープンして、アイスパレスが閉鎖となりました。

小瀬アイスアリーナは平成13、17年には、冬季国体の会場にもなりました。

 

 屋外では、昭和36年に富士五湖国際スケートセンター 現在の富士急ハイランドがオープンして、現在もスピードスケートの選手は会社に所属して富士吉田で練習しています。

 

フィギュアの人気が高まってきたのは、荒川静香さんの登場以降。

テレビで目にすることもあり、技の名前を知っている子が増えたそうです。

さらに、その技も昔に比べるとレベルが高く、遠藤さんの時代はダブルジャンプが飛べれば上のクラスに進めたが、今は3回転ジャンプが当たり前になっているほど、フィギュアのレベルは上がっています。

 

今週末には、中部日本国体が小瀬アイスアリーナを会場に行われるということで、レベルの高いスケート選手がここ山梨に集まります!

フィギュアもまだまだ佐野さん、長久保さんに続くような選手は出てくるはずです!

小瀬は、7月~3月までスケートができるため、技を磨く時間もたっぷり!

これからも山梨のアイススケートに注目してください。

 ■やまなし音遺産 〔第96回 “樹木医”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第96回目は《樹木医》

 

実は、山梨県の県土の8割は森林と言われていますが、木は木材だけでなく、水や空気を生み出したり、暑さをしのいでくれたりと、私たちに多くの恩恵を与えてくれます。

 

そんな欠かせない自然の一つ「木」のお医者さんと言われる人が山梨にもいます。

『樹木医』。

そこで、山梨県の樹木医に話を伺ってきました。

 

お話をしてくれたのは、津々美造園の堤社長。

造園業を経営する堤さんですが、樹木に寄り添う職人でもあります。

樹木医は、天然記念物のような巨樹・名木はもちろん、街路樹や庭木などの身近な樹木まで、傷んだり病気になった樹木の診断と回復、さらに病気の予防や後継樹の保護育成などに携わる専門家です。いわゆる木にとっては、お医者さん。

樹木が元気か、元気でないかは、まず目で観察することが大切とのこと。

葉が少ない、なかなか葉が出ない、葉が黄色い・黒い、木に穴が空いている、キノコが出ているなど・・・

とにかく現場に行って、目で見て、イメージして、今までの経験を活かして鋭い感覚で木に寄り添っているそうです。

そのような樹木医は、県内にはおよそ20人いるそうですが、堤さんのように造園業の方で資格を持っている人は少なく、ほとんどが林業関係の方々だそうです。

しかし、堤さんは、造園業をやっている中で、「なぜ木って枯れるんだろう」という思いで、木のメカニズムを勉強しました。そして、その先に「樹木医」があり、来年で20年目ということです。

 

そこで、堤さんの経験から、葉や芽の出方などでおおよその樹木の様子は確認できますが、もう少し詳しく診断するには、どうするのか・・・

まず、樹木の中がどのような状態であるかを判断するには木槌で叩きます。

その他、鉄の棒で穴があるか判断したり、ドリルを入れることもあるそうです。

叩くというのは、木の中が空洞か、空洞でないのか判断するため。

木の空洞は虫が入り、腐ってしまうことがあります。間違った剪定をしてしまうと切り口を樹の皮が覆うことが間に合わず、切り口がむき出しになり、そこから虫が入り込んでしまうそうです。

木の支えとなる軸の部分が空洞になり、その空洞が大きくなればなるほど、木には負担になってきます。

そのため、肥料や薬を上げたり、空洞化が進み倒れないように、剪定をして枝の重さをなくし、支えをしたりするそうです。

 

 

樹木医は依頼があると、ずっとその樹木の経過観察・治療をしていく主治医になります。

診断依頼が来る多くの樹木は、樹齢年数がかなり経っている大きな木。

これからますます元気に成長するというより、右肩下がりで衰えていく樹木ばかり。

なので、その下がり具合を急ではなく、緩やかにするのが樹木医の仕事です。

そのようにして、樹のいのちに寄り添っている職人さんなのです。

街のシンボルとなるような大きな木は、長い年月を経て成長したものがほとんど。

それを守るのは樹木医の努力だけではなく、私たちみんなが傷つけない、いたずらしない心がけも大切です。

 

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株式会社 津々美造園

住所/甲府市愛宕町146番地

TEL/055-253-2188

 ■やまなし音遺産 〔第95回 “紋入れ”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第95回目は《紋入れ》

 

代々その家で定め伝えられる家のしるし“紋”

紋が入った着物は礼装、入っていないものは略礼装とも言われます。

その紋を着物などに入れている職人を訪ねてきました。

 

西紋店の3代目 西 清春さんです。

先週ご紹介した「引き染め」の西染物店西 清志さんのお父様です。

作業場は隣同士。親子で素晴らしい着物を作り上げています。

 

作業場に入ると西さんは座机で作業をしていました。

生地の上に紋を模った台紙を置き、鉛筆サイズの小さな刷毛で叩くように刷り込んだり、擦ったり色を均等に入れていく作業中。

このような方法で入れられた紋を「刷り込み紋」といいます。

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「刷り込み紋」にかかる時間は、生地に型紙を丁寧に置くところから刷り込み終わるまで、小さいものでおよそ15分。

刷り込み始めると手を留めずに素早く染料を刷り込んでいきます。

その他に紋入れには、「染め抜き紋」「あつらえ紋」「切り付け紋」「刺繍紋」などがあり、着物の種類や格に合わせて、紋入れの技法はさまざまです。

しかし、紋入れに使う道具は、主に竹ベラ、刷毛、ブラシのみ。

引き染めのものは大きさがまったく違い、細かい作業のため、すべて鉛筆のようなサイズ。

西さんの机の上には、たくさんの刷毛や竹ベラ、引き出しには紋の型などが大量にしまってありました。

 

伺った時は、ちょうど、ふくさに紋を入れていましたが、主に、喪服・留袖や七五三などの着物類に紋を入れているそうです。

なので、息子さんである4代目 清志さんが着物の染めを手掛け、その後、それにお父様の清春さんが紋を入れると言う親子の連携で仕上がります。

 

そして、紋入れの職人としての思いも伺いました。

清春さんはこの道43年。現在、紋入れができるところは、西紋店のみ。

昔は、連雀問屋街にも多くの着物加工業者が並んでいたそうです。

それは、白生地買えば、染め、紋入れ、仕立て・・・と次から次へとお店に運ばれ、連携しているかのように全部仕上がるほどだったそうです。

さらに昔は、鉱石、半貴石を砕いて作った岩絵の具をにかわで溶いた顔料を使っていました。

それは、鮮明な色が長期間保たれるということで、“紋”は、本当に大切な物として扱われてきたそうです。

 

この仕事が好きなので苦労に思ったことはない。そのように話した清春さん。

職人が少なくなったからこそ、後世に残せるいいものを作りたい。

紋は日本人の生活と育ってきたもので美しく素晴らしい物なので、もっと活用してほしい。

そのようにもおっしゃっていました。

 

 

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西紋店 西清春さん

住所/甲府市幸町7-7

 ■やまなし音遺産 〔第94回 “染物”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第94回目は《絹染物》

 

着物生地として使う絹。刷毛を絹の上で大きく動かして染料を伸ばすように塗ります。

この技法はあつらえ物の着物などに用いられる「引き染め」という伝統的な技。

どのような工程で行っているのか、西染物店の西清志さんにお話を伺いました。

 

「引き染め」は、「染料を刷毛で引いて染める」「生地を引っ張って染める」ことが由来しています。

西さんの作業場にお邪魔すると、およそ5mずつに分けられた生地3枚が「張り木」と「伸子(しんし)」を使って張られていました。

これが、反物。生地幅は約38cm(約1尺)、長さは約13m(約3丈4尺2寸1分)のものを一気に染めていきます。

西さんが染めていたのは「絹」

この引き染めの工程は、地入れ(絹は染めりにくいため均一に染色するために下地を入れる作業)→乾燥→色合わせ(三原色の赤・青・黄を混ぜて作る)→糊置き→染め→乾燥→蒸す(生地を振ることによって色が留まり、発色が鮮やかになる)→水洗い→乾燥

このようにして行われますが、着物の仕上げにはおよそ1週間かかるそうです。

 

綿や麻は、染めたときに表情が、ほぼそのまま乾いた時の表情。

しかし、絹は染めたときの表情と乾燥後が変わってしまうため、乾燥後をイメージして染めを調節しているそうです。

西さんの商売道具である「引き刷毛」は、15個くらいあるそうですが、10年かけて3カ所で修行したという西さん、実際に染めに入り刷毛を握るまでは1年かかったそうです。

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今回は、絹を染めていましたが、その絹染めはとても繊細のようです。

綿や麻は繊維が丈夫なため、色移りはあまりしません。

洗濯などで水に浸けて長時間、布同士がこすれ合っても色が移ったり、見た目で分かるほど生地は傷みません。

しかし、絹の場合はそうは行きません。

 

絹は濡れた状態で布同士がこすれ合うと、繊維がキズついて白くなる「スレ」が出来たり、色が移ってしまうそうです。

また、絹の生地は繭から糸を取る段階から水や湿気と関わっているので、水に対しての反応が繊細だと教えてくれました。

県内、絹の染めを行っているのは西さんのみと言われるほど貴重。

絹の染めはかなり感覚的なものということで、他の素材のものより、生地の立場になって染めている職人技です。

 

仕入からデザイン、仕上げまで一貫して手掛けていますが、デザインは和の紋様や家紋、四季を感じさせるものが多いそうです。

引き染めならではのぼかしや、繊細な表情方法を取り入れたデザインが大部分を占めます。

さらに現在は、デザイナーと制作しているシリーズもあるということで、日本ならではの技術で日本独特の感覚を表現できるような紋様作りをしているそうです。

 

伝統的な技法で、日本の伝統的な着物を染める西清志さん。

ここ山梨で和文化を守り守り続けています。

 

 

 

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西染物店 西清志さん

住所/甲府市幸町7-8

電話/055-235-7785

 ■やまなし音遺産 〔第93回 “大塚にんじん”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第93回目は《大塚にんじん》

 

山梨県で「長いくて太いにんじん」と言えば『大塚にんじん』

市川三郷町の特産品の一つで、大塚地区で栽培されているため、この名前。

なんと長さが70cmはあるため、収穫はちょっと工夫して行われます。

昔から、先の尖った1mの「掘り棒」という物くを使って、周りの土を柔らかく掘り、その後、にんじんを思いっきり真上に引きつきます。

なが~いため、ゆっくりまっすぐ抜かないと土の中で折れてしまうんです。

 

今回は、収穫真っ最中の12月。アグリ甲斐の一瀬さんの畑にお邪魔してきました。

1反で6000本のにんじんが出来ると言う大塚人参ですが、実は全部が長いまま出荷できるわけではありません。変形していたり、折れてしまっているものはおよそ半分。

加工用になります。そのため、数は少なく貴重なものです。

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大塚にんじんは太くて長くて濃いオレンジ色で、独特の風味と甘さがあります。

収穫時には70cm~120cmにまで成長するものもあるんです。

通常のにんじんに比べると、カロチンは1.5倍、ビタミンB2は3倍、ビタミンCは2.3倍、食物繊維はおよそ1.5倍と栄養がとっても豊富。

これだけの栄養が含まれているにんじんなので、通常のにんじんより、生育期間が長いため6月下旬に種まきをして11月下旬から収穫開始。およそ5か月かかるんです。

 

もともと7千年~9千年頃前に八ケ岳の噴火の際、市川三郷町の大塚地区にも火山灰が降り積もりました。その後、長い年月の間に他の地域では火山灰はほぼ流出してしまいましたが、大塚地区には火山灰が残り、火山灰土となり、その土が「のっぷい」呼ばれ、現在でもそのきめ細かな肥沃な土と呼び名が残っています。

そして、にんじんは今からおよそ100年頃前に作られるようになりましたが、昭和30年代に野菜から果樹に転換する農家が増えたため、その頃を境に、作付面積が減少しました。

多い時では100軒以上あった農家ですが、少ない時は2,3軒まで減ってしまったそうです。

現在は、町内およそ50軒まで復活しています。

 

今回は「掘り棒」を使って手で収穫してもらいましたが、最近では機械を使用しています。

また、長いにんじんは葉っぱも長いため、まず引き抜く前に、葉っぱを短く切るところからはじまります。手間がかかる作業ですよね。

 

そのようにして収穫された大塚にんじんはとても人気!

にんじん嫌いのお子さんでも、これは食べられるというくらい甘いんです♪

生で食べるのはもちろん、加工品としてドレッシング、ジュース、ジャムもあります。

ぜひ一度、旬の味覚!なが~いにんじん!お召し上がりください^^

 

 

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のっぷい農産物直売所

住所/西八代郡市川三郷町大塚2608

電話/055-272-2641

 ■やまなし音遺産 〔第92回 “雅楽”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第92回目は《雅楽》

 

新年に神社仏閣から聞こえてくる音楽“雅楽”

あの音が聞こえると「新年だな~」「お祝いごとだな~」なんて思い、すんなりと耳に入ってくる方も多いと思います。

その雅楽とは、日本古来の音楽だろうと思っていますが、それ以上のことはなかなか知りません。そこで、今回は雅楽について、伺ってきました。

 

まずお話を伺ったのは、山梨さまざまな場所で雅楽を演奏している雅梨会の三井会長。

雅楽は“世界最古のオーケストラ” この言葉が印象的ですが、1400年ほど前に、朝鮮半島や中国大陸などから伝来した音楽が混ざり、平安時代に完成した日本独自の音楽です。

その平安時代からずっと変わっていないため“世界最古のオーケストラ”と呼ばれています。

ただ、オーケストラと聞いて、想像する合奏形態とは違い、雅楽には指揮者がいません。

そのため、テンポも一定のリズムを刻むのではなく、演奏者同士の阿吽の呼吸によって奏でられるものです。

 

こんにちでは、雅楽は宮内庁式部職楽部をはじめ、さまざまな神社仏閣などで見聞きすることができますが、その他で演奏者は減ってしまっているのが現状です。

 

雅楽には、三つの形態があるのはご存知ですか?

楽器だけの演奏表現が「管絃」

音楽に舞を伴う演奏表現が「舞楽」

そして、雅楽器の伴奏で声楽を伴うものが「歌謡」と言われます。

 

使う楽器は、笙(しょう)、龍笛(りゅうてき)、篳篥(ひちりき)の管楽器、琵琶、箏の弦楽器、太鼓、鞨鼓(かっこ)、鉦鼓(しょうこ)の打楽器の編成で演奏されます。

なかでも、笙、龍笛、篳篥の三つの管楽器を合せて「三管」と言います。

これらを合奏することで、宇宙を表すと言われています。

笙(しょう)・・・天から差し込む光を表します(天の音)

龍笛(りゅうてき)・・・天と地の間を縦横無尽に駆け巡る龍を表します(空の音)

篳篥(ひちりき)・・・地上にこだまする人々の声を表します(地の音)

 

雅楽の楽器には、こんな深い意味もあったんです。

 

私がお邪魔したときは、ちょうど日蓮宗の僧侶が雅楽を演奏している真っ最中でした。

お話を伺ったのは、常在寺長倉住職。

笛吹市(石和・八代・御坂)の日蓮宗の寺院を中心に12名が集まり、月1回合同練習を行っています。年齢は26~62歳と幅広い皆さん。

雅楽の演奏は、葬儀、婚礼、住職交代式で演奏する需要があるということで、平成15年から練習を始め、伝統を守り続けようとしています。

 

当時、全員が雅楽の楽器を演奏するのは初めてという皆さん。

独特な楽器を使うので演奏できるようになるのも大変そうですが、独特なのは楽器だけではありません。

それは、楽譜(譜面)です。

雅楽は古代より、決まられた家(「楽家(がっけ)」)によって口伝で正確に継承されてきました。そのため、楽譜が作られるようになったのは、まだ最近、明治時代と言われています。

その譜面は通称「カナ譜」と呼ばれ、たくさんのカタカナが並んでいます。

旋律を歌にした「唱歌」と指使いを表す記号で出来ています。

昔は、曲のメロディーをカタカナの歌であらわした「唱歌」を暗記するまで歌いこみ、それから楽器にするというものだったようです。

 

雅楽と聞くと、すんなりと耳に入ってきて「日本人だな」と情緒を感じますが、その雅楽というものはとても難しいもの、そして深い意味があるものだということがわかりますよね。

 ■やまなし音遺産 〔第91回 “武田神社”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第91回目は《武田神社》

 

この時期、新年を迎える準備が各地で行われています。

そこで、今回は、初もうで客で賑わう神社仏閣も準備で大忙しだと思い、武田神社を訪れてみました。

 

お話を伺ったのは、武田神社権禰宜の佐野浩一郎さん。

やはり神様をお迎えする準備で大忙しのご様子。

訪問した時は、ちょうど縁起物やお守りのお祓いをしている最中でした。

拝殿の中には、権禰宜の佐野さんお一人。そして佐野さんの前、神様の御前には縁起物がずらりと並び、それらに神様の魂を込めるために祝詞をあげているところでした。

 

縁起物というと、年始人気なものは、「魔を打ち破る」という意味の破魔矢や、「幸福を掃き集める」という意味の熊手。その他、神棚にお祀りする御札を多くのが求めにきます。

武田神社では30~40種類以上の縁起物が年始に並び、毎年さまざまな縁起物やお守りが増えていきます。

さらに、最近ではご朱印帳も大人気です。

 

縁起物などの準備以外にも武田神社では、すす払い、拝殿や社務所などに飾るしめ縄作り、鏡餅作りのための餅つき、鳥居前の門松作りと・・・次から次へさまざまは準備が行われます。

昨日27日、武田神社では鏡餅作りが行われ歳神様をお迎えする準備がしっかり整いました。

そして、年始はたくさんの初詣客をお迎えします。

 

さて、そんな武田神社は、甲斐の名将武田信玄公をお祀りした神社で大正8(1919)年に創建されました。武田氏三代が63年に渡り国政を執った「躑躅ヶ崎の館」の跡に建てられました。

躑躅ヶ崎の館は、戦国大名の館としては全国最大規模を誇るということで、皆さんにも知られていますよね。

県内はもちろん、全国各地からたくさんの方々が訪れますが、今年も三が日で18万人の初詣客を見込んでいるとのことです。

 

そして、皆が求めていく縁起物やお札ですが、ちょっとそこで気になることがありました。

神棚にはお札と、和紙で作られるしめ縄。

このしめ縄は「紙垂」という物ですが、山梨では「おしんめ」と言ったほうが馴染みがあるかもしれません。

山梨では「おしんめ」と呼んでいる人が多く、さらに全国的にみると4枚が基本ですが、山梨は12枚というのが特徴。

干支が12支だから・・・1年は12か月だから・・・など諸説あるそうですが、どちらも山梨独特のようです。

県外で「おしんめください」と言っても通じないかもしれませんよ~。

とても驚きました。

 

皆さんも神棚をもうお掃除した方、これからお掃除をされる方も多いかもしれませんね。

神棚も、心も身を清らかにして新年を迎えたいものですね。

新年は初詣お出かけください。

 

良いお年を。。。

 

 

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武田神社

住所/甲府市古府中町2611

TEL/055-252-2609

  ■やまなし音遺産 〔第90回 “湯村温泉郷”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第90回目は《湯村温泉郷》

 

山梨県甲府市北部にある湯村温泉郷は長い歴史と伝説が残ると言われています。

 

808年からお湯が湧いているという湯村温泉の開湯伝説は、弘法大師(空海)が甲府を訪れたとき、旅人の通行を困難にしていた道路の真ん中の大きな石を杖で退かしたところ、そこから温泉が湧き出たという一説。

さらに、もう一つには、キズを癒しに毎日来ていた鷲がいた葦の原っぱ、に温泉が湧き出ていた説があります。

そのため、昔「杖の湯」、「鷲の湯」、「谷の湯」という3つの温泉が出来たそうです。

今は湯村温泉郷と言われていますが、その呼び名も「湯島村」、「島の湯」、「湯島」などと変化していき、「湯村温泉」と呼ばれるようになったのは昭和に入ってからだろうということです。

また、昔は農作業で疲れた身体を癒しに来る地元の人のための温泉場であり、そのような方々には、温泉に入れる権利として「湯役株」というものも与えられました。

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昔、多い時は32軒の旅館・ホテルが立ち並んでいたという湯村温泉。

現在は13軒となりましたが、旅館・ホテルの源泉は8本、湧出量は1分間830ℓ(1日ではドラム館およそ6000本)というとても豊富なんです!

そして、弱アルカリ性で、神経痛、筋肉通、五十肩、打ち身、冷え性、疲労回復、切り傷、やけどなどに良いと言われ、長く愛されている温泉です。

 

そんな長い歴史を持つ湯村温泉には、昔から多くの人が訪れたようです。

地元の人が気軽に楽しめる温泉であることはもちろん、効能や江戸(東京)から近距離ということもあり、多くの文化人が訪れました。

武田信玄の隠し湯としても知られていますが、武田信玄の湯治の場でもありました。

 

また、信玄公のゆかりの地として、湯村山城という山に信虎が作った山城の跡と思われる、石垣や井戸の跡が山頂に残されているそうです。

もちろん、先勝祈願をしていた武田八幡神社も今でも存在します。

そのほか、葛飾北斎の団扇絵に湯村温泉が描かれていたり、太宰治は書籍も残しています。

また、井伏鱒二や松本清張もよく滞在されていたという記録もあります。

 

信玄公、昭和の文豪が愛した山梨が誇る山梨の温泉“湯村温泉”

ぜひお出かけください。

 

 

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湯村温泉旅館協同組合

住所/甲府市湯村3-10-5

TEL/055-252-2261

 ■やまなし音遺産 〔第89回 “野草 ウコン”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第89回目は《野草(ウコン)》

 

山梨県大月市では、特産品としてウコンをはじめとする野草を栽培しています。

ちょうど私が伺った時は、ナタマメの加工真っ最中。

 

現在は、ちょうど収穫が行われているウコンですが、大月で、なぜウコンの栽培が始まったのか、野草のさとの山崎さんに伺ってきました。

 

昔から野草を薬草としている人は少なからずいたそうですが、特産品としてウコンを売り出したのはおよそお20年前から。

作物を作るのに、鳥獣被害に悩まされていた昔、鳥獣被害に遭わない作物を探していたところ、ウコンに辿り着いたそうです。

野菜などの周りに囲うようにウコンも育てることで、イノシシ被害など防ぐことができました。

また、大月は郡内織物が昔から盛んでした。

その大月には、貴重なものはウコン染めの風呂敷きで包む風習もあったそうで、ウコンは染物の原料としても馴染みがあったようです。

 

そこからウコン栽培のあらゆることを学び、染物の原料ではなく、食品としても優れていることがわかり、健康食品として特産品にすることになりました。

 

そして、大月市内で組合を作り、組合員と大月市内のおよそ50の契約農家でウコン栽培を始めました。

現在は、栽培者は15名ほどに減ってしまいましたが、年間1.5トン~2トンを目安に毎年収穫しています。

 

ウコンは4月に植え付けを行い、11月から12月にかけて収穫。

南国の植物のように大きく伸び、1m50~60mくらいの高さまで茎・葉が成長します。

掘ってみると生姜のようにウコンが連なっています。

しかし、このまますぐに加工するわけではありません。

およそ3か月間、地中に埋めて寝かせてから、洗浄→スライス→乾燥→粉末と加工されていきます。

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なんと、大月市内の学校給食にはウコンパンや、ターメリックライスなどと取り入れられているということで、まさにご当地給食ですね。

 ウコン以外の野草は、ナタマメ、菊芋、ヤーコンなどあります。ナタマメはお茶として、約芋やヤーコンはチップスとして食べられます。

 

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野草のさと・大月加工センター企業組合

住所/大月市富浜町宮谷1531-1

TEL/0554-23-3800

■やまなし音遺産 〔第88回 “ゆず”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第88回目は《ゆず》

 

富士川町穂積地区はユズ栽培が盛んに行われていて、今収穫時期を迎えています。

 

今回は、活性化組合にお邪魔してお話を伺ってきましたが、ここでは、収穫するだけではなく、加工もしています。

組合に伺うと、コンテナに入れられた色鮮やかな黄色のユズがあちらこちらにたくさん!

次から次へとユズを運んでくる方、ユズを選別している方、洗っている方、箱詰めしている方、そして、ユズの皮を剥いているお母さん方・・・

穂積地区のお母さんは、4人でピーラーを使って皮を剥いていました。

片手でユズを転がしながら、1個剥くのに10秒もかからない速さでユズの皮を剥いていました。

一日で平均40~60kgのユズの皮を剥くということですが、作業を始めて、1時間もしない間に手袋が黄色に染まってしまいます。

長い方で皮むき歴9年!大事な作業の一つです。

というのは、この剥かれた皮は、ゴミが混ざっていないか再度点検して、真空パックにして冷凍し、保存したり、お菓子屋さんで使用したりするそうです。

皮が剥かれたユズ本体は、絞って果汁にされ、ゆずポン酢、ゆず化粧水などに加工されていきます。また、ユズを使ってお餅やユズ胡椒も作っています。

ユズがいろんな物に代わって市場に出てくるんですね!

 

活性化組合の細川組合長にお話しを聞いたところ、今年は表の年ということもあり大豊作!およそ7~8トン収穫するそうです。

一本の木から多くて200kg収穫できるユズですが、すべて収穫しているわけではありません。高齢化が進み、全て収穫しきれないため、ボランティアも頼んでいますが、さらに今年は大豊作ということで、収穫が追い付かないのが現実とのこと。

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それほど、たくさん実るユズですが、収穫量は富士川町が東日本だと一番だとも言われています。

穂積地区は、日照量が多く、気温差が大きいため、そこで採れる柚子は皮が厚く、柔らかくて、着色もよく香りも強いのです。

穂積の特産品として売り出したのは、実は10年前から。それ以前からもユズ栽培はしていたが、各家庭で楽しむだけで、たくさん実るユズをどうにか活用できないかと考えて活性化組合が発足しました。

養蚕業が盛んな頃から、ユズの木は各家庭に1~2本はあり、地形と気候がユズ栽培に逢っていると言われてきたが、一説では、妙法寺が種をまいて広めたとも言われています。

 

今月は冬至もあり、「ゆず風呂」も良いですね♪

収穫作業は例年冬至頃までということですが、今年は収穫量が多いため、12月いっぱい続くそうです♪

 

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日出づる里活性化組合

住所/南巨摩郡富士川町小室3296

TEL/0556-22-1503

 ■やまなし音遺産 〔第87回 “浅尾だいこん”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第87回目は《浅尾だいこん》

 

大根が旬の季節!

北杜市明野町浅尾地区では大根の一種「浅尾大根」が特産品として栽培されています。

 

そこで今回は大根の収穫真っ最中の畑にお邪魔してきました。

私が伺った11月中旬、天気の良い午前中は、あちらこちらで大根を収穫する生産者がたくさん。トラックには、山になった大根が積まれています。

 

ちょうど旬を迎えているこの大根が作られているのは北杜市明野町。

日本の中でも、日照時間が長いことで知られています。

夏は、向日葵の黄色、秋から冬は、この浅尾だいこんの鮮やかな葉っぱで彩られます。

 

浅尾地区では、大根栽培は、江戸時代からソバと共に行われてきたと言われています。

土が柔らかく、砂地のようなところは、形状の良い大根が作りやすいと言われ、茅ヶ岳の火山灰が堆積したきめ細かくて肥沃な土があるこの浅尾地区は、大根栽培に適しています。

 

ここでは、大きく分けて2つの種類の大根が栽培されています。

「青首大根」と「漬物用大根」。

大根の品種は、「秋の郷」や「くらま」など生産者によって色々ですが、浅尾で採れる大根を総称して「浅尾大根」と呼んでいます。

特徴は、柔らかくてみずみずしい!さらに、アクが少なく甘みと辛味のバランスが良いため、生で食べてもとても美味しいんです♪

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11月3日 文化の日に「浅尾だいこん祭り」が毎年行われているため、その少し前から収穫を始めますが、その後の霜に当てると、さら甘味が増して美味しいそうです。

気温低下、日照不足だと大根は成長せず、長雨や高温が続いてしまうと腐ってしまう・・・

そのため、適度の日照と水が必要ということです。

 

 

直売所によりますと、明野町民のほとんどが、多かれ少なかれ大根を作っているそう。

また直売所に届ける生産者はおよそ30人。

多い時は、一日500本の大根が直売所に集まるそうです!!

 

11月中旬以降に明野町浅尾地区にお邪魔すると、収穫中の生産者はもちろん、畑に干されている大量の大根を目にすることもあります。

細い真っ白な大根が葉のついたまま干されています。これが「漬物用の大根」。

葉つきのまま干すのは、葉が大根の芯の水分を吸い上げてくれて早く乾燥するためです。

稲掛けのように大根が並んでいます。

 

畑は、一度桑園に転換されてしまった過去もありましたが、近年再び大根に転換され、特産品として売り出し始め、今では山梨の美味しい野菜として欠かせないものとなっています。

収穫は12月中旬まで続きます。

 

きめ細かい土と太陽の光を存分に浴びて育った「浅尾大根」

明野町の!山梨のブランド!

ぜひ味わいにお出掛けしてみてください。

 ■やまなし音遺産 〔第86回 “鳴沢菜”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第86回目は《鳴沢菜》

 

富士北麓地域のひとつ、鳴沢地域で栽培されているアブラナ科の菜っ葉。

別名「ぐんないかぶ」とも呼ばれます。他のカブ菜に比べて、葉が大きく、葉の数も多い。

光沢のある濃緑色でノコギリ状の葉。およそ60cmもの高さに成長します。

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そこで、この鳴沢菜の収穫真っ最中の畑にお邪魔してきました。お話を伺ったのは渡辺たつえさん。

 

文献によると、鳴沢菜は江戸時代にはすでに栽培されていたと言われ、昔、鳴沢に住み着いた落ち武者がどこからか持ってきた種で作り始めたのが、始まりではないだろうかという話もあります。

この鳴沢菜のように、○○菜と付くのは、他に、長野の野沢菜、京都の長禅寺菜の3つだけ。そして、

歯ごたえは野沢菜と似ていますが、味がとってもまろやかです。

鳴沢は、水はけの良い火山灰土、富士山の伏流水、そして気候、これら特有の気候風土がもたらした伝統野菜の一つ。

 

鳴沢菜の栽培は、9月の種撒きから始まり、11月に収穫。その間、水やりはほとんど必要なく、雨が降らないときには10日に一回程度水やりをするそうです。

鳴沢の降水量も鳴沢菜には適しているんですね。

そして、いよいよ鳴沢菜が立派に育つと収穫!ですが、11月に入ると、霜が降りるため、霜に少し当ててから収穫するのがポイント。

霜に2~3回当てるとと、寒さに耐えようと、葉っぱに栄養を溜め込むため、味が凝縮して甘味が増すのだと、渡辺さんが教えてくれました。

 

いざ、収穫の時!手で土から引き抜くと、根元にはカブがついています。

そのカブを包丁でザクっと切り落として葉のみをまとめていきます。

このようにして、鳴沢菜を作っている家は、およそ50件。

出荷している農家もありますが、非常に減ってしまい、ほとんどが自家用だとJAの方がおっしゃっておりました。

 

今や貴重な「鳴沢菜」ですが、その鳴沢菜の美味しい食べ方も教えてもらいました。

昔はどの家でも自家用に鳴沢菜を栽培し、それを「漬物」にしたそうです。

お茶のみのお供には漬物がかかせないんだとか♪

昔は、各家庭、塩で漬けていた方がほとんどでしたが、今は、しょうゆ漬けなど、漬物の味もそれぞれだそうです。

このようにして、漬物として食べるため、秋には、各家の軒先に鳴沢菜がつるしてあります。数は減りましたが、昔も今も変わらない光景です。

 

さらに、農家ならではの珍味と言われるのが「カブ」

収穫の際に、ほとんどが切り落とされてしまう赤紫色が少し混ざったカブですが、そこカブも、スライスしておよそ半月の間、天日干しをして、切り干し大根のように水に戻して煮物に入れると、甘みも増して食感も良く楽しめるそうです。

なかなか入手できないので、栽培農家ならではのもののようです。

 

江戸時代から長い歴史を持ちながら作られてきた「鳴沢菜」ですが、一時、本来の鳴沢菜の味を失いかけてしまったこともありました。

それは、昭和30~40年代、鳴沢でもダイコンやキャベツ、白菜などの作物が作られるようになり、鳴沢菜と同じアブラナ科の植物だったため、自然交雑が起こり、鳴沢菜が変化してしまい、昔のような食感もなくなってしまいました。さらに当時はカブも全く食べられないものになってしまったそうです。

その後、研究を重ねて、本来の味と食感を取戻し、専用の種も生まれて現在に至っています。

 

山梨の気候風土が生んだ自然の恵みです!

ぜひ一度、食べてみてください^^ 

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道の駅 なるさわ

鳴沢村鳴沢8532-63

TEL/0555-85-3900

 やまなし音遺産 〔第85回 “和楽器”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第85回目は《和楽器》

 

箏、三味線、和太鼓といった和楽器ですが、現在は学校教育にも取り入れられているのはご存知ですか?

 

そこで、今回は、和楽器についてさまざまなお話を伺おうと、和楽器店にお邪魔してきました。

お話をしてくださったのは、山形屋琴三絃店の店主日原さん。

山形屋はなんと創業は明治4年!

和楽器の修理、販売を行っており、長い歴史を持っています。

和楽器の修理など行っているお店は、現在山梨県内には5件ほど。

お店にお邪魔してみると、三味線、津軽三味線、沖縄の三線など各三味線がずらりと並び、大きな箏も立てかけてあります。

IMG_1184.JPG昔は、甲府市若松町というところには、およそ350もの芸者がいたと言われ、三味線などの需要は主に芸者衆に。

しかし、だんだんとお座敷遊びが減ってくると、三味線は民謡ブームへと移り変わっていきました。

そして、お稽古ごととして、箏も習う方も多くいました。

 

現在、山形屋さんでは、修理と販売を行っていますが、昔は製造からしていました。

 

 箏の製造は、原料となる木を加工するために削ったり、焼いたりするため、たくさんのおがくずや、煙がたくさん出ている中で作業をされていたそうです。

 

そして、三味線の原料として使われる皮にも神経を集中させて作業を行いますが、皮というと何を思い浮かべますか?

 

実は、三味線の胴に貼られた皮は、犬や猫の動物。

そんなことを教えて頂きながら、日本の伝統文化は動物が支えていると考えて欲しいと店主日原さんがおっしゃっていました。

動物の皮は天候や湿気に敏感。

少しの差で伸縮し、乾燥すれば破損しやすく、湿気が多いと音も響かず重い音になってしまう。

そのため、乾燥しているちょうど今の時期(秋)が一番適しています。

3代目となる店主 日原さんは、この道50年ですが、皮の張り替えは、一人静かに集中して行うということで、作業風景を見せて頂くことは叶いませんでしたが、和楽器を直すには、職人の手わざも、音の響きをも確認する聴力も大切ということを教えてくださいました。

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そして、箏についても深いお話をしてくださいました。

「こと」と聞くと、どんな漢字を思い浮かべますか?

「箏」と「琴」ですよね。この違いは・・・

13本の絃が張ってあり、箏柱を立てて、あらかじめ音の高さを決めて演奏するのが「箏」

「琴」は、自分で勘所を押さえて、音を決めて演奏するもの。一絃や二絃のものを「琴(きん)」と呼んでいます。

 

 

今回、私が演奏させて頂いたのは13本の絃の「箏」

絃は、一、二、三・・・十以降は、斗(と)、為(い)、巾(きん)と呼び、楽譜も漢数字で立てに書かれています。

その糸を弾いて音を鳴らしていきますが、糸も昔と今では違って来ています。

昔は、絹糸を使っていましたが、現在はテトロンを使用。

しかし、木の部分は昔から変わらず「桐」(会津産の固くて若い桐が良い)です。

 

現在は、学校教育の中にも和楽器が取り入れられている。

和楽器こそ、日本の情緒ですね。

 

元旦、色々なところから流れてくる箏などの和楽器の音色。

何の抵抗なく、耳にスーッと入ってくるのは、日本仁のDNAに沁みついているからではないだろうか・・・そのように、日原さんが話してくれました。

大切にしたい日本の後世に残したい音です。

 

 

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山形屋琴三絃店

甲府市朝日町5丁目3-10

TEL/055-252-2110

 やまなし音遺産 〔第84回 “八幡芋”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第84回目は《八幡芋》

 

甲斐市八幡地区の特産品「八幡芋」が収穫期を迎えています。

芋は、種イモに親イモが出来て、その後、子イモ、孫イモと徐々についていきます。

 

その八幡芋は、里芋の一種。

たくさんある農家さんの一件、三井農園の三井さんに、今年の出来などを伺ってきました。

今年の出来はとても良いとのこと。

土の中で育っている芋の出来を判断するのは、茎や葉の大きさです。

葉や茎の成長が大きい程、土の中で大きな株(親イモ)が育っている証拠。

親イモが大きくならないと、それに付く、子イモ、孫イモが良く育ちません。

親から孫、またはひ孫まで一家総出で作るのが、里芋です。

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消費者に好まれるサイズは子イモ~孫イモ(2L:85g~90g、L:60g)です。

しかし、小さなひ孫イモも喜ばれます。

それは小さい芋は、「きぬかつぎ」として、皮のまま蒸かして、その皮を自分でツルっと剥いて食べるという、旬だからこそできる食べ方があるから♪

※「きぬかつぎ」とは、皮を剥いて食べる様子を、平安時代の女性衣装「きぬかづき」になぞられて名づけられたそうです。

 

今、収穫真っ盛りですが、八幡芋の収穫は9月から始まり、11月いっぱいまで続きます。

 

収穫が終わると、来年用の種イモを取っておき、それは3月に定植。

 

一番大きく成長するのが8~9月。この時期は、とても暑くて乾燥する時期でもあります。

しかし、乾燥は成長には大敵ということで、近くを流れている釜無川から水を引いて、適度な水分を保っています。

今年は比較的、猛暑にもならず、雨量も適当だったので、出来が良いということです。

また、八幡地区の土壌は「砂地」ということが特徴。砂地なので水はけも良く、芋にとっては最高の環境なのです。

親イモ~ひ孫イモまで、たくさん出来そうな芋ですが、八幡芋は連作障害が起きやすく毎年、同じ土壌で作ることができない貴重なもの。

3~4年、土壌を休ませないといけません。

そのため、八幡芋の栽培農家さんは、あちらこちらに土地を持ち、毎年場所をローテンションで作っています。

 

 

この里芋をずっと「八幡芋」と呼んでいますが、その名前の由来なども伺いました。

この八幡芋は200年以上の伝統を持ちます。

昔、武田信玄が治水事業を始めるまでは釜無川の氾濫に苦しめられました。

しかし、信玄堤ができてからは、その氾濫も減りました。

その長年の洪水により、八幡地区は、肥沃な砂地の土壌ができたのです。

里芋は土壌の影響を強く受ける野菜なので、砂地で水はけの良い土地になったことで里芋の栽培が盛んになりました。

そして、八幡地区を中心に作られたことから、地名をとって「八幡芋」と名付けられました。

芋の栽培も試行錯誤行いながら、マルチ(ビニール)をかけて、一定で成長を止め、均等の大きさにすることができるようになり、大きさや量がバランス良く、栽培しやすいようになりました。そこで平成13年に商標登録した甲斐市の特産品「八幡芋」となりました。

一般の里芋と比べると、粘りが強く、柔らかくて口どけがなめらか♪

今、まさに旬の味!

貴重なブランド里芋「八幡芋」この時期に味わってください。

 

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JA中巨摩東部

甲斐市篠原2635

TEL/055-276-2399

 ■やまなし音遺産 〔第83回 “こけら葺き”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第83回目は《こけら葺き》

 

山梨県内には現在およそ1280以上の神社と、およそ1500のお寺があります。

その多くは長い歴史を持ち、時が経つと同時に建物は当然古くなっていくため、折を見て氏子などの協力を得て修理されます。

しかし、機械の音や甲高い金属の音などは聞こえず、神社仏閣の修理は一般住宅の修理とは違います。

 

そこで今回は、本殿の修理が行われている笛吹市の「山梨岡神社」に行ってきました。

現在は、屋根の葺き替えが行われている真っ最中。

なんど今回20年ぶりの修理ということです。

屋根の特徴は『こけら葺き』というもの。これは全国でも珍しいものです。

屋根の種類には『ひはだ葺』というものを耳にすることがありますが、ひはだ葺はヒノキの皮を剥いだおよそ1.5mmのものを使います。

一方、岡神社の『こけら葺き』は、サワラの木を2~3mmの板にして使用しています。

『こけら葺き』は、鹿苑寺金閣、慈照寺銀閣、桂離宮古書院、

『ひはだ葺き』は、出雲大社、清水寺などが有名です。

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重なった板と板の少しの隙間が屋根裏の通気を促して耐久性を高めるようになっています。

そして、その板を留めるのは金属の釘ではなく、「竹釘」。

葺き師は20~30本の竹釘を口の中に含み、舌先で1本ずつ向きを揃えて口先に出します。

これぞ職人技で、このこけら葺きを行える職人も全国的にかなり少なく、今回も岐阜県から職人さんが来ています。

 

伝統的な屋根『こけら葺き』ですが、あの大雪の際は、神社内の他の瓦屋根は落ちてしまい修理をおこなったそうですが、こけら葺きの本殿だけは、なんの問題なく耐えたそうです。

しかし、環境の変化は避けられないもの。そのため、昔は50年に1度の葺き替えだったのが、今は20年に1度ということで、傷みも早くなっているのではないだろうかとお話してくださいました。

 

その「山梨岡神社」は、平安時代の「延喜式神名帳」に記録されている甲斐国の官社20社の一つです。

山の神、農業の神、天気を司る神が祀られています。

武田家・徳川家より深く信仰され、神社には武田家からもらった椀が伝わっています。

また明治13年には明治天皇ご巡幸の時、特に武田信玄公に所縁があるということで、永世保存資金として80円置いていかれたそうです。

 

山梨岡神社には“きのかみ”と称する一本足の木像が、雷除け、魔除けの守護神として古くから伝えられています。それも来年4月に御開帳されます。

また、現在修理中の本殿も11月末で終了予定です。

新しくなった本殿の「こけら葺き」、来年4月の太太神楽や“きのかみ”の御開帳など楽しみにしてください。

 

 

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山梨岡神社

笛吹市春日居町鎮目1696

 ■やまなし音遺産 〔第82回 “乳牛”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第82回目は《乳牛》

 

山梨県内、標高が高い八ケ岳山麓や富士北麓地域では酪農が盛んに行われています。

天気の良い午前中には放牧の様子を目にすることもあります。

このような場所で大切に育てられている牛は、食肉用だけでなく、乳牛でもあります。

 

今回は、八ケ岳にあるキープ農場にお邪魔してきました。

お話を伺ったのは、農場の渡辺さん。

ここでは、およそ110頭の牛が飼育されています。

乳を搾る搾乳牛がおよそ45頭

分娩直前の乾乳牛がおよそ7頭

子牛の育成牛がおよそ50頭

八ケ岳での牧場の歴史は大正15年(1926年)に馬の放牧から始まったと言われていますが、乳牛は戦後からです。

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そして、このキープ農場で育てられているのは、茶色の牛「ジャージー」。

ジャージーは、小柄で粗食に耐えられる牛です。

よく見かけることが多い、白と黒のホルスタインに比べると、乳量は半分ですが、味が濃いと言われています。

搾乳は1日2回行われ、500リットル絞られます。

良い美味しいお乳を出してもらうには、やはりストレスをためないことも必要です。

午前中は放牧をして、牛舎のなかでは、つながれることは無く、自由に動きながら過ごせるようになっています。

また、牛の食事も、トウモロコシの餌を多くあげるのではなく、有機栽培した草をメインにあげているそうです。ホルスタインと比べると、ホルスタインの4分の1しか配合飼料を食べません。

 

 

今はこのように酪農が盛んに行われ、110頭のジャージーがいますが、それは、ポールラッシュ博士の影響です。

ポールラッシュ博士はアメリカで生まれ、関東大震災で破壊された東京と横浜のYMCA会館再建委員の一人として1925年に初来日しました。

その後、大学の講師、日本のアメフトを組織化など行い、日本の八ケ岳清里にモデル農村センターを作りました。

そして、そこでジャージー種を飼育し始めたのがきっかけです。

まさに、清里の開拓者です。

農業学校も作り、酪農を教えて、卒業時にはジャージー1頭ずつプレゼントしたとも言われ、山梨から巣立った酪農生もいました。

現在、山梨県内では酪農家は71件。八ケ岳地域と富士北麓地域でちょうど半々くらい。

 

乳牛となるのは2歳からです。

搾乳の時間になると、搾乳の部屋に向けて牛の行列ができ、1頭ずつ各位置に、牛が自ら進んで入っていきます。まったく嫌がる様子はありません。

始めて搾乳する牛などは、始めは嫌がり、位置に付かせるのも一苦労ということですが、絞ってもらう快感を知ると、行列で並んでいる最中も「早く~」と泣く牛もいるようです。

そんな、牛も寿命は10頭くらい。分娩ができなくなったら、農場や渡辺さんともお別れです。そのようにして、毎年、何頭か連れて行かれ、でもまた新しい命が生まれて、私たちのために大事なお乳を提供してくれています。

 

このように、酪農を知ってもらおうと乳搾り体験も行っています。

キープ農場では、年間およそ1万2000人が訪れるので人気スポットです。

 

八ケ岳も富士北麓も紅葉シーズン。

お出かけの際は、ぜひ牛にも逢って来てください。

 

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公益財団法人キープ協会

北杜市高根町清里3545

TEL/0551-48-2114

 ■やまなし音遺産 〔第81回 “きのこ”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第81回目は《キノコ》

 

キノコが旬を迎えている今、山梨県内でもあらゆるところでキノコの収穫ができます。

そこで今回は、地元で「キノコ博士・キノコ名人」と言われる甲斐市の大森さんに、キノコ採りに連れて行ってもらいました。

すると、見事にクリタケとハタケシメジを収穫できました。

 

       
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山梨には、白いキノコ、黒いキノコ、茶色のキノコなどたくさんのキノコが出ていましたが、なかには食べられないキノコも多くありました。

さらに、煮ているキノコも多く、素人の私にはキノコの違いが全くわかりません。

そんな中、大森さんに付いて一つ一つ勉強しながら山を歩いてきました。

大森さんはキノコ採り歴およそ40年。

独学で勉強し、現在はおよそ500種類のキノコを判別できるそう!

さらに、平成18年には国土緑化推進機構が認定する「森の名手・名人」として、全国で100人のうちの一人にも選ばれました。

「とみや」という青果店を営む大森さんのお店には、この時期、自らが収穫したさまざまな種類のキノコが並んでいます。

そのため、採ったキノコを大森さんに聞きに来る人もいるそうです。

 

今年のキノコの収穫は9月から始まり、11月まで初旬までとのこと。

大森さんは、お店がお休みの日などに、朝から山へ入ってたくさんのキノコを採ってくるそうです。

場所によって、出てくるキノコの種類は違うので、たくさんの種類のキノコを採るには、県内さまざまな山にはいらなければなりません

しかし、残念なことに、伐採されてしまった山も多く、昔キノコ良く採れたという山も今はなくなってしまったり、たくさんの方に、場所を知られてしまっているのが現状です。

 

今年のキノコの状況は良いとのこと。

山梨は山岳地帯で、木の種類もたくさんあるので、木との関連性があるキノコも多種に及びます。

また、キノコの生育には降水量が必要です。

山梨は、雨が多い地域とは言えませんが、乾燥地帯でもありません。

なので、キノコが育つ環境は整っています。

まさに、「山梨はキノコの宝庫」です。

今年は、秋雨前線や台風の影響で前半は豊富でキノコの出るのも早かったそうです。

後半は10月2週目に降った雨の影響で、マツタケとクリダケなども多く出てきています。

山梨県内、アカマツの林も多いので、そこでマツタケが見つけられるかもしれません。

しかし、キノコの見分けはとても難しいですし、山も荒してはいけません。

また、深く山に入っていくと、クマ・イノシシも危険ですので、きちんとルールを守って安全な装備で出掛けてください。

 

 

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とみや

甲斐市中下条1269

TEL/055-277-3994 

 ■やまなし音遺産 〔第80回 “西洋梨”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第80回目は《西洋梨》

 

丸々とした和梨に対して、ベルやひょうたんのように上が小さく、下が大きな形をしている西洋梨。

実は、山梨県内では富士川町で西洋梨の栽培が盛んに行われ、町の特産品になっています。

 

そこで今回は、なぜ富士川町で西洋梨の栽培が盛んになったのか、もちづき農園の望月孝弘さんに伺いました。

富士川町では、昔から養蚕業が盛んでした。しかし、およそ25年前、当時外国産生糸の輸入により、生糸の価格が下落してしまいました。

そのため、ここで、養蚕に代わる産業として「農業経営者の会」を発足させ、ヤーコン、アケビ、ラ・フランスの試験栽培を始めたそうです。

ラ・フランスというと、山形など東北や新潟、長野が主な産地ですが、当時、山形、長野産のラ・フランスが首都圏での知名度が高くなりつつあることに気付き、洋梨栽培を強く推し進め20軒の農家が植え付けを行い、山梨県の産地に広がっていきました。

現在は、高齢化が進み、洋梨農家は2~3軒になってしまいました。

 

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西洋梨と聞くと、ラ・フランスを思いつきますが、品種数はなんと100を超えるとも言われています。

望月さんのところでは5品種を栽培していましたが、形も色も香りも味もみんなそれぞれなんです。

 

そのたくさんの西洋梨は9月末に収穫を済ませ、10月いっぱいまで販売しています。

西洋梨は、収穫してすぐに食べられるものではありません。

木では全てがバランスよく熟さないため、収穫後に追熟が必要です。

専用冷蔵庫で2~3週間保存をして、やっと食べられる洋梨になるのです。

 

収穫が終わると、11月頃から剪定作業、その後、土壌管理をしながら、蕾や花の時期を迎えると、摘み取り作業が行われます。

そして、梅雨に入る前に袋掛けを行います。

5000の花が咲いても、実にするのは200個前後。手間がかかり、一つ一つ大切に育てられる貴重な洋梨です。

今年の出来は上々で、収穫量はおよそ10トンだそうです。

 

 山梨は日照に恵まれ、他の地域に比べると育ちが早く、あっという間に枝の芽が大きくなります。

来年の出来はすでに今から決まり始めているそうで、大きく芽、小さい芽が、もうしっかりと出てきていました。

洋梨の見分け方、食べ方は、まず芳醇な香りがするかどうか。

追熟していないものは、香りがありません。

そして、洋梨に軽く楊枝をツンツンと当ててみると食べごろがわかります。

食べごろのものには、簡単に楊枝が刺さりますが、まだ早い物には、まったく刺さりません。

美味しい西洋梨を食べるために♪♪ぜひ皆さんも家で試してみてくださいね♪

 

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もちづき農園

富士川町最勝寺2201

 ■やまなし音遺産 〔第79回 “下駄”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第79回目は《下駄》

 日本の伝統的な履物、下駄。

下駄は田植え下駄が発祥であり、草履の原型はワラジ。

現在では一般的に履くことは少なくなりましたが、温泉街で履いたり、和装には草履を合せたりして特別な時の履物になっています。

 

今回は、甲府市内の履物店にお邪魔しました。

お話を伺ったのは吉字屋履物店の高野洋志雄さん。

もともと、吉字屋履物店は下駄屋さんとして明治16年に創業されました。

昭和初期までは下駄専門店として営業し、甲府市内にも下駄屋さんはあちらこちらに、およそ100軒はあったそうです。

今はほとんど見かけることがありませんが、吉字屋履物店のショーウィンドウには下駄が飾られて、今はとても目を惹きます。

そして、やはり市内では珍しいので、修理を頼みに来る人がみんな高野さんのところに集まります。

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ちょうど、お邪魔した時は、鼻緒すげの作業中。

鼻緒の中には必ず紐が入っています。その紐の力で、下駄の底で引っ張り、縛って鼻緒を取り付けます。

鼻緒を土台の穴に通すため、鼻緒を柔らかく平らにして紐で細く縛ります。

その柔らかく平らにするときには、かなづちでトントン叩いていました。

このようにして一人一人の足に合わせて仕上げていきますが、鼻緒を下駄にすげる(取り付ける)の技が、一番難しいとも言われています。

 

そして、土台になるのが、下駄の木の部分。

下駄の材料は、昔から、クッションが良く、水も吸い、柔らかく足にフィットする「桐」が使われることが多かったそうです。

日本の下駄の産地は、広島、福島、長野、新潟、秋田、静岡とありますが、中には、杉やヒノキを使ったものもあります。

 

最後に高野さんに下駄について豆知識も教えてもらいました。

・指を分けて履くことで足の力が強くなり、健康にも良いと言われている。

・かかとを少しはみ出して履くのが綺麗な履き方

・鼻緒に押し付けて履くのではなく、少し引き気味に履く(痛くならない)

・収納の仕方は、使った後は、底を陰干しして湿気を取る

 

こんなことに気を付けて、日本の伝統的な履物「下駄」履いてみたいですね。

おじいさま、おばあさま、お父様、お母様の「下駄」や「草履」もう一度、履いてみませんか?

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吉字屋履物店

甲府市中央4-4-26

TEL/055-233-0175

 ■やまなし音遺産 〔第78回 “鳴沢のキャベツ”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第78回目は《キャベツ》

 日本では、出荷の時期によって、春キャベツ、夏秋キャベツ、冬キャベツなどに分かれているので、年間通してお店でも売られているキャベツ。

実は、山梨県では、富士五湖地域、北杜市方面では今がキャベツの収穫期です。

 

そこで、今回は、鳴沢村のキャベツ畑にお邪魔しました。

お話を伺ったのは渡辺秀明さん。

 日本のキャベツの主な生産地は、冬キャベツは愛知県、夏秋キャベツは群馬県、北海道、長野県、そして、春キャベツは千葉県、神奈川県、茨城県。

実は、山梨県の鳴沢村も知る人ぞ知るキャベツの産地で、昭和53年には国指定の野菜産地となっているんです。

鳴沢村に入り、少し細い道に入っていくと、あちらこちらにキャベツ畑が広がっていて、皆さん朝から収穫をしていました。

 

明治の終わり頃に、まず河口湖の南岸でキャベツの栽培が始まり、昭和初期には東京の神田市場に出荷されるようになったといわれています。

そして、鳴沢での栽培は昭和36年頃からです。

それ以前は、泥つきダイコンの一大生産地でしたが、だんだん時代が進むにつれて、泥つきの方が新鮮と言われてきたダイコンも、貯蔵技術の発達に伴い、泥つきが市場では敬遠されるようになってしまいました。

そこで、鳴沢には川も湖もなく、出荷の際に大根を洗うことは不可能ということで、大根栽培を諦めて、同じアブラナ科の、洗う必要のないキャベツを作ることになったそうです。

夏でも涼しく、高冷気候と水はけの良い土壌や降水量の少なさが栽培に最適!

 そんな鳴沢で作られているのが「夏秋キャベツ」。別名「高原キャベツ」とも呼ばれています。

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春キャベツよりシャキシャキしていると言われますが、球の締まりや、葉に柔らかさがあるため、生でも食べられるそうです。

鳴沢村は、冬は寒すぎて野菜作りができないため、期間限定の栽培。

 4月に種まきをして、およそ2ケ月間ハウスの中で苗になるまで育てます。

同時に土づくりもしながら、その後、苗の定植をして、もう8月初旬から収穫が始まっていき、10月いっぱいまで収穫が行われます。

 

通常、10万個の種から7万個できるということですが、

気になる今年の出来は・・・10万個の種からおよそ5万個。

今年は、集中的に暑い日が続いたり、雨が長く続くことが多かったため、不作ということです。貴重なキャベツです!!

 

近隣にも出荷されていますが、富士吉田の市民にとってもかかせないのがキャベツ!

「吉田のうどん」のトッピングには必ずキャベツが乗っていますからね♪

さらに、鳴沢には「きゃべつわいん」(鳴沢のキャベツ60%、甲州ブドウ40%ブレンド)もあるそうです。

 

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■やまなし音遺産 〔第77回 “納豆”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第77回目は《納豆》

 

和食文化の一つ「納豆」。

弥生時代にはすでに食べられていたという説もある納豆ですが、山梨でも美味しい納豆が作られています!

 

今回は大月で納豆を作っている工場にお邪魔しました。

お話を伺ったのは、納豆つくって80年の富士納豆製造所の星野さんです。

 

山梨県内の納豆製造業者は7件。

そのうちの一つ、富士納豆さんは昭和10年創業。

星野さんのおじいさまが、大学で納豆菌の培養技術を取得し、納豆作りを始めました。

納豆が一般庶民の食卓に並ぶようになり、普及したのは江戸時代以降と言われていますが、納豆作りを始めた当時、山梨ではまだまだ珍しいものでした。

見たこともなければ、食べたことはもちろんないという「納豆」。

1日の売り上げは2~3個だったそうです。

そのため、納豆を広めるには行商!

「なっと~う、なっとう、なっとう~」と元気のいい掛け声と共に売り歩き、納豆の存在を広めていきました。

 

そして、昔の納豆というと、納豆の入れ物も特徴がありました。

現在は紙パックや発泡スチロールなどで出来た容器に入っていることがほとんどですが、昔は、藁や経木に包まれ、その中で発酵して納豆になっていました。

藁や経木のパワーは凄いものだったんですね。

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■やまなし音遺産 〔第76回 “お豆腐”〕

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山梨県内にある“後世に残したい音”  第76回目は《お豆腐》

 

自然がいっぱいで、水が美味しいと言われる山梨では、各地でお豆腐が作られています。

 

今回お邪魔したのは、富士山の伏流水が流れる忍野村。

浅野食品の浅野典之さんのお豆腐作りの工場にお邪魔しました。

 

お豆腐は、大半が水で出来ているため、大量の水が必要で、さらに、水は命。

富士山の雪解け水が岩肌に染みて、数十年の歳月をかけて地底を流れた透明な水が、忍野八海をはじめ、村内の随所に湧き出ています。

その水を使い、長い間豆腐作りをしている「浅野食品」。

忍野村は、米作には適さない土地で、野菜、特に大豆の栽培が盛んでした。

そのため、昔は個々で大豆を作り、大豆を豆腐屋さんに持ち込んで豆腐に加工をしてあげたといいます。

忍野村内には当時、10件の豆腐屋が軒を連ねていましたが、現在は2件に減ってしまいました。

また、一斗缶に水を張り、出来立ての豆腐を入れて、近隣に行商にも歩いていたそうです。

これは、県内あちらこちらでも同じようなことをしていました。

昔は、ラッパを吹きながら車の引き売りもよく行われていました。

そんな山梨県内には、豆腐店はおよそ50件。

ある調査によりますと、山梨県の県民一人当たりの年間豆腐消費量は38.9丁と全国3位なんです。

豆腐屋さんの仕込みは前日から始まります。

常に水温13度を保っている忍野の水を利用して、まず大豆を浸すところから。

夏は15時間、冬は20時間水に浸して、大きさを3倍にしてから豆腐作りが行われます。

まず、大豆がすり潰され、圧力釜で煮て、豆乳とおからに分けられます。

そして、豆乳ににがりを加えて、およそ20~30分放置すると完成です。

作業は、毎朝4時から行い9時頃まで豆腐作り。

豆腐屋は、豆腐作り半分、洗い物半分と言われ、作るにも、片付けにも同じくらいの時間を要すると言われています。午後に全てが終わり、その後、翌日に備えて大豆を水に浸す作業が行われていきます。

 

絹ごし豆腐を多めに作るか、木綿豆腐を多めに作るか、天気や季節などに合わせて常にバランスを考えているとおっしゃっていました。

お豆腐は冷奴として冷たいものを食べるのが一番と思われがちですが、常温で食べる方が、大豆の甘みが出て良いそうです。

冷蔵庫から出して、少し置いてから食べるのがベストです♪

 

 

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~忍野名水八海とうふ~

有限会社 浅野食品

南都留郡忍野村内野537-4

TEL/0555-84-3029

■やまなし音遺産 〔第75回 “八朔祭大名行列”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第75回目は《八朔祭 大名行列》

 

「下にぃ~下にぃ~」「よいやまっかよい」

この掛け声が聞こえるのは、都留市で毎年9月1日に行われる「八朔祭り」です。

今年も先週の火曜日に行われました。

 

「八朔祭り」は郡内三大祭りの一つ。

地元では「おはっさく」と呼ばれ親しまれていますが、生出神社の空きの例祭。

「八朔」とは、旧暦8月1日のことで、新暦に置き換えると9月上旬ということから、毎年決まって9月1日に行われます。

そのメインイベントなのが、色とりどりに飾られた屋台、お囃子、きらびやかな衣装で、国道を中心に練り歩く「大名行列」。

この大名行列のきっかけは、郡内領主の秋元氏が川越にて転封の際、行列道具一式を都留市の下天神町に置き土産として送ったと伝えられていて、自分を偲んで、大名行列をするようにと言い残したのです。

そのため、昔は、下天神町のみで行われていたお祭りで、今回、お話を伺った鈴木幹夫さんは、「下天神町大名行列保存会 会長」です。

 

この大名行列には、お殿様、お姫様を中心に鉄砲隊、槍隊、行列の先頭には露払いの四日市神楽、後ろには屋台が付きます。

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なかでも、花形と呼ばれるのが「赤熊」と言われる人たち。

奴の格好をして、毛槍の受け渡しをします。

「下にぃ~下にぃ~」「よいやまっかよい」

この掛け声は、彼らのところから聞こえてきます。

 

「下にぃ~下にぃ~」は、これから大名行列が通るので、頭を低く下げなさい。という意味。

しかし「よいやまっかよい」は、代々口伝で、誰も意味を知らないようです。

独特の掛け声、一度聞けば覚えてしまいますね!

 

奴が「ア、ヨイ、ア、ヨイ」と8回左右にステップを踏み、「あ、よいやまっかよい」の掛け声と共に、4人の奴が同時に毛槍を高く放り投げて、隣に控えた奴がキャッチをします。

双方の息が合わないと失敗してしまうため、お祭りの前には必ず密な練習が行われます。

 

 

 

 

昔は、一時中断した時期もあったり、神社の占いにより4年に一度の割合でしか行われなかったり、下天神町だけのお祭りで衣装もすべて手作りで行っていたこともありました。

しかし、現在は都留市のお祭りとして毎年開催され、参加者も地域限定から留学生や観光客にまで広がっていきました。

今年の大名行列には市民らおよそ130人が参加し、「赤熊」の掛け声が響きました。

また沿道にはたくさんの市民や観光客が詰めかけました。

 

今年も平日にも関わらず、都留市民総参加、皆さん仕事を休んだりして、盛り上がりました!

地元に残る伝統を守り続けるという皆さんの強い「思い」を感じることが出来ました。

 

 

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都留市役所 産業観光課内

都留市上谷1-1-1

TEL/0554-43-1111

■やまなし音遺産 〔第73回 “表具”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第74回目は《表具》

 

今回、お話を伺ったのは、身延町にあります「ほてい堂」の望月豊昭さん。

表具とは、掛け軸、屏風、巻物、ふすまのように和紙で仕立てられたもの。

そして、表具師というのは、それらの表具を仕立てたり、直したりする人のことを言います。

県内では、表具内装組合には40件ほど所属しているそうですが、表具の需要は神社やお寺が多いため、日蓮宗の総本山 身延山がある身延町には4件の表具店があります。

 

望月さんは、表具師のお父様の背中を見て育ち、継ぐのは当たり前のこととしてこの道に入ってきました。

 

なんと表具屋の歴史は平安時代。

宗教に関する書物などが入ってきて、それを本にしたり、巻物にしたりする「経師」という仕事が始まりです。

桃山時代には、障壁画が出てきて、その頃から壁をはるという仕事も増え、屏風や掛け軸も出てきたそうです。

日本独自の職人技がこのことからずっと続いています。

昔は各家庭に床の間があり、掛け軸などで式を彩りましたが、今は床の間がない家も増えてきました。

たとえ、床の間があっても飾るのは掛け軸ではなく、写真など表具の需要が少なくなっています。

とはいえ、お寺や神社は大きな行事ごとに表具を新しくすることがあるため、需要がなくなることはありません。

望月さんの工房からはいろんな音が聞こえます。

掛け軸の作業工程は、

  • 作品の裏に薄い和紙を貼る「肌裏」
  • 折れやすい場所に細く切った和紙を貼る「折れ伏せ」
  • 「布合わせ」
  • 和紙を貼った生地を作品に合わせて切って貼り合わせる「付け廻し」
  • 掛け軸の全体に和紙を貼る「中裏打ち」
  • 刷毛で何度も叩いて糊を圧着させる「裏打ち」
  • 「乾燥」

これらの作業の中では、和紙、糊、刷毛は欠かせないもの!

糊は、昔は小麦粉のデンプンから作られる「しょうぶ糊」というものを使っていました。

寒中に作る糊で、小麦粉のデンプンから作られる糊のため、作業場全体は、腐った匂いが充満していたそうです。

糊は、ただ、くっ付けば良いというものではなく、表具は何度も何度も直して使うため、剥がしやすさがとても大切だそうです。

望月さんの工房には、たくさんの刷毛が並んでいました。

その数、およそ30本。水刷毛は鹿やタヌキの毛、糊刷毛は熊の毛、裏打ちの刷毛はシュロ・・・など、さまざまな種類の刷毛があります。

この刷毛さばきは難しく、使いこなすまで10年くらいはかかると、表具師としての難しさや、魅力、望月さんにたくさん教えて頂きました。

 

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ほてい堂 望月豊昭さん

南巨摩郡身延町梅平20

TEL/0556-62-1470

 ■やまなし音遺産 〔第72回 “ナス”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第73回目は《ナス》

 

今が収穫最盛期のナス!

甲府市山城地区から中道地区にかけては、古くからナス栽培が盛んで、県下一の生産量を誇っています。

車を走らせると、あちらこちらに立派に黒く輝くナスにたくさん出会うことができます。

 

そこで今回は、ナスの収穫真っ最中の山崎将さんの畑にお邪魔してきました。

現在、甲府市(中道地区)では、農協出荷登録数82軒。山崎さんもこのうちの一軒ですが、昨年よりも増えているそうです。

中道で作られるナスは、市場での評価が高く、北は東京から南は兵庫まで出荷されています。

大きさもそれぞれで、消費者に合わせて生産されます。

関西方面の消費者が最も好む大きさは2L(115~150g)サイズ!

少し大きめのナスのようですよ♪

 

ナスの生育に大事なことは、水と太陽のバランス。

このバランスが良いと、ナスはすくすくと成長しますが、ナスの成長はとても早いんです。

実は、ナスは1日にワンサイズも大きくなるとされています。

そのため、毎日しっかり収穫をしなければ、あっという間に大きくなってしまいます。

それだけ人間がしっかり手を掛けてあげることが大切です。

今回、お話を伺った、山崎さんは、このナスのリズムがご自身にとても合っているとおっしゃっていました。

 

昔は、養蚕が盛んだった地区ですが、徐々に果樹生産が始まり、今では、複合農家さんが増えました。

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そのため、「春ナス」「秋ナス」と2シーズンに分けて中道ではナスが作られています。

「春ナス」はゴールデンウィーク頃に植えて、6月中旬から収穫。

「秋ナス」は6月30日に植えて、8月下旬に収穫。

複合農家さんは、もも、梨、ぶどうなどの果樹生産を済ませた後、「秋ナス」の収穫をされているということです。

 そして、「秋ナス」の収穫は11月頃まで続きます。

 

 

ナス農家さんのこの時期の一日の作業は、収穫はもちろん、除草作業、水やり、枝の誘引作業、葉かき、肥料、消毒など大忙しです。

その中で、農薬・消毒にはとても気を配り作業をしています。

ナスはほぼ毎日収穫するものなので、消毒が翌日に残ってしまっては、消費者の私達が食べるには大変危険であるということ。

そのため、山崎さんのところでは、週に1度。(月に2回という方もいる)。

出荷休みの前日、24時間前や36時間前など、涼しい時間帯、朝早くか陽が落ちる夕方に消毒するそうです。

ここまで考えられて、やっと私達消費者のもとに美味しいナスが届きます。

 

実は、山崎さんは、埼玉のご出身。

5年前に、「農業に挑戦したい」という思い一つで、この山梨県甲府市(中道地区)に移り住みました。30代後半とまだ若い農家さんの一人ですが、中道地区では、この山崎さんの若い力に刺激されて、皆で農業を元気にしようと頑張っています。

また、雪害の際には、さらに若い新卒の若者が、山崎さんのもとへ東京から手伝いにやってきてくれたそうです。その方もやはり、この山梨に移り住んで、山崎さんの下で、農業を支えています。

 

10年前では、97軒の農協出荷登録数でしたが、10年前とは、出荷者もガラリと変わっているそうです。さらに、ここ数年でまた増えている傾向があるそうです。

ナスに限らず、山梨で作られるもの、大きく広げていきたいですし、農業を支えて下さっている方々というのは、山梨の良い土地を支えて下さっているのだと感じます。

 

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 ■やまなし音遺産 〔第72回 “地ビール”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第72回目は《地ビール》

 

日本にはおよそ200の地ビールがあると言われています。

そして、山梨県内でも地ビールが作られています。

 

そこで、山梨県内にあるブルワリーのうちの一つ、今回は「アウトサイダーブルーイング」を訪れ、丹羽さんにお話しを伺いました。

ブルワリーの中に入ると、ビールの香りがいっぱいに漂い、タンクを洗う音や、ポコポコという音などさまざまな音が混ざっていました。

 

ビール造りの工程は、麦芽を細かく砕き、麦芽とお湯を入れて、酵素の働きによって、でんぷんを麦芽糖に変えていきます。

そして、麦汁に、苦味となるホップを加えて煮た後、冷却しながら酵母を加えて発酵させていきます。発酵タンクの中では、酵母が麦汁の糖を食べて、アルコールと炭酸ガスを出しているんです。その後、温度を下げて、少し寝かしてビールの完成です。

 

発酵タンクの横には必ず、水が張ったバケツが置いてあります。

それは、タンクの中でどのくらい発酵が進んでいるか見極める大切なもの。

水を張ったバケツの中に、タンクから出ているホースを入れておきます。

すると、ガスがポコポコと勢いよくホースを伝って、水の中に出てくるんです。

それの出てくる勢いを見て、タンクの中で、どのくらい発酵が進んでいるかを判断するそうです。

丹羽さんにとっては、もっとも重要な部分ということです。

 

さて、今は当たり前のように、日本でもほとんどの方が飲むようになったビールですが、実はこの甲府と深い関わりがあります。

日本にビールの醸造所が初めて出来たのが1870年、横浜で、アメリカ人のコープランドによって設立され、主に外国人向けで販売されていました。

その2年後1872年には、大阪で渋谷庄三郎氏によって「渋谷ビール」が設立。

さらに2年後1874年には、甲府で、野口正章氏によって「三ツ鱗ビール」が設立され、関西のビール文化は、渋谷ビールによって広まり、東日本は野口氏の三ツ鱗ビールによって広がっていきました。

杜氏、野口氏はまず道具類を横浜に調達しましたが、馬や舟しかなく交通の便が悪く甲府に運ぶことができませんでした。甲府産の大麦と笹子峠に自生していたホップも使ってみたが上手くいかず、最終的には、原料は輸入し、さらに、横浜で日本に初めてビールを伝えたコープランドを甲府へ呼び寄せて、およそ1年間醸造技術を学んだそうです。

残念ながら、1901年には事業撤退してしまいますが、優秀な醸造者がこの甲府から数多く巣立っていったといわれているんです。

 

そんな甲府で地ビールを作っている丹羽さんは、実は岐阜県出身。石材会社の新規事業としてビール醸造をすることになり、3年半前に山梨にやってきました。

平成6年(1994年)に酒造法が規制緩和されると、ビール醸造は小規模生産が可能になり、各地で地ビールブームが巻き起こりました。

その影響か、山梨でも5つのブルワリーがあり、およそ20種。

丹羽さんも、ここ山梨県甲府市でビールを造り続けています。

山梨の地ビールの特徴は「水の良さ」と「フルーツの豊富さ」

さまざまなフルーツを使ったフルーツビールが魅力のようですよ。

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アウトサイダーブルーイング

山梨県甲府市中央1-1-5

TEL/055-223-2622

 やまなし音遺産 〔第71回 “甲州金”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第71回目は《甲州金》

 

山梨は全国から見て、金山が多くあった地域です。

そのうち甲州の「黒川金山」、身延町の「湯之奥金山」は平成9年に国指定史跡にもなりました。

「湯之奥金山」とは「中山金山・内山金山・茅小屋金山」の総称で、古くから「信玄の隠し金山」として知られてきました。

 

中山金山からは、すり鉢状の採掘跡や坑道跡などの遺跡、ひき臼やたがねなどの鉱山道具、陶磁器、銅銭などの日用品が出土したそうです。

昭和63年粘年度に始まった調査などにより、鉱山の歴史や湯之奥金山遺跡の姿が解明されてきました。

それらを町の貴重な地域資源にしようと、遺跡から出土された物や、鉱山関係資料の展示など、金山に関する情報発信できることを願って、「湯之奥金山博物館」が平成9年に出来ました。

博物館では、金山の歴史や鉱石の採取からの作業工程を学べ、砂金採り体験もできます。

体験では、初心者の方は、平均で5粒前後を目安にします。

採れた砂金はボトルのまま持ち帰ることも可能ですが、自分で採った砂金をアクセサリーなどにすることもできます。

ケースの中におよそ100gの純金。およそ60万円相当です。

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鉱石とは、天然に生成されて地中に含まれる無機物が含まれる石。

採れる金は、1トンの鉱石から2-3グラムのみと大変貴重なもの。

ですので、昔は、採取された金は、武田時代の地方貨幣「甲州金」として使われていました。

武田氏は、信玄と、子供の勝頼時代に支配領域を拡大して、信濃、駿河、上野、遠江、三河、美濃、飛騨、越中とまたがっていましたが、その土地には、武田氏との関わりを伝える金山が今でも存在しているそうです。

 

金には鉱山から掘り出す「山金」と、川で採れる砂金があります。

川で採れる砂金は、もともと山から鉱石が削られ川に流れてきたものです。

「山金」の場合の金が採れるまでの流れは、①採掘(鉱石採取は露天掘り)②こなし(山から村への鉱石を降ろし、臼などを使った鉱石を砕いてすりつぶす)③ゆり分け(鉱石粉を水中でゆすって金探し)④甲州金

昔、鉱山村があり、200人ほどの採掘者が集まっていましたが、やはり金は、1トンの鉱石から2~3グラムしか採れません。

昔の方は、鉱石を見極める力がとてもあったということですね。

 

 

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湯之奥金山博物館

南巨摩郡身延町上之平1787番地

TEL/0556-36-0015

 ■やまなし音遺産 〔第70回 “桃・すもも”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第70回目は《桃・すもも》

 

山梨は桃、スモモの栽培面積、生産量ともに日本一!

ともに今、ちょうど出荷の最盛期を迎えていまして、農家の方々は大忙しです。

そんな農家では、機械を使って、大きさ、重さなどを選別して効率を良くしています。

 

今回は、桃、スモモ農家の一つ、南アルプス市の原農園にお邪魔してきました。

7月の東京中央卸売市場では、山梨県産の桃がおよそ90%も占めるそうです。

東京でも店頭で「山梨県産の桃」という文字見かけませんか?

桃の代表的な品種は「白鳳」「浅間白桃」さらにオリジナル品種「夢のしずく」も生産量が増加しています。

今回伺った原農園がある南アルプス市では「アルプス美人」という品種が作られています。

 

そして、私がお邪魔した時は、ちょうど「貴陽」という品種のスモモの出荷が最盛期でした。

スモモの代表的な品種は「大石早生」「ソルダム」「太陽」・・・とありますが、平成8年に品種登録された人気の品種が、大玉で高糖度の「貴陽」。大玉で栽培にも細心の注意と手間がかかり、味の良さから高級スモモとして扱われています。

平成21年、22年には連続で三重県の伊勢神宮に奉納もされ、スモモとしては、全国で唯一の奉納品だそうです。

さらに、世界一重いスモモとして、平成24年にはギネスにも認定されたという「貴陽」

南アルプス市の高石さんという方が、20年の歳月を費やして生み出された「幻のフルーツ」です。

桃、スモモ共に、今年の出荷スタート当時は、日照りが悪かったため、色つきが悪いと言われていましたが、その後は持ち直して、色も糖度も良くなってきているそう。

朝早く収穫が行われ、選別機械で大きさ、重さで分けられ、箱に詰められて出荷されますjpg遺産jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

スモモの出荷は8月中旬頃までだそうです。

そして原さんのところでは、蜂も飼っています。

サクランボ農家でもある原さんのところでは、蜂も一緒にサクランボの受粉作業をします。

そのため、蜂は欠かせないもの。

その数、およそ30万匹!

サクランボの木は高さがあるため、蜂が大活躍するんです♪

蜂の活動期間は、密を吸うため、主に花が多い春や秋。冬などの花がない時期には蜂に砂糖水やきな粉を与えているそうです。

 

原農園さんのように、山梨県内あちらこちらで、現在、桃やスモモ、またこれからは葡萄の収穫・出荷。

県内には観光農園を兼ねている農家もいて、果物狩りを楽しむことができます。

フルール王国である山梨の魅力ですね♪

 

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さくらん坊の原農園

山梨県南アルプス市上今諏訪1632

TEL/055-282-2574

  山梨県内にある“後世に残したい音”  第69回目は《吉田の火祭り大松明》

 

毎年8月26日、富士吉田で行われる大きなお祭り「吉田の火祭り」

そのお祭りに欠かせないものが、街中に飾られる「大松明」です。

大松明はすべて手作りで行われています。

そこで今回は、作業中のところにお邪魔してきました。

お話を伺ったのは、およそ70年も大松明を作っているという和光さん。

親方である和光さんを中心にみんな真剣勝負で大松明を作っていました。

 

そもそも吉田の火祭りの正式名は「鎮火祭」。

富士山の噴火を鎮めるお祭りで、御祭神が激しく燃える火の中で安産したという故事に基づくとされています。

また、毎年8月26日は富士山のお山じまいにもなっています。

古くからは「日本三奇祭」、昨今は「日本10大火祭り」の一つに数えられ、山梨県の無形民俗文化財に指定されています。

 

jpgのサムネール画像そんな大きなお祭りで存在感があるのが「大松明」

「大松明」は金鳥居のある表通りを中心に奉納され、炊き上げられます。

それは、火の海と表現されるほど煌々と燃えます。

高さ3m、底直径90cm、先端直径35cmのタケノコ型、なんと重さは200kgもあるそうです。

 

松明の構造は、主にマキを使います。

真ん中にヒノキを立てて、太いマキ、細いマキを使い分けて、タケノコ型にしていきます。

マキを詰め、ヒノキでできた「バタ」という薄い板状のものでマキを囲み、「経木」と呼ばれる赤松の薄い皮を表面に巻いて縄で固定していきます。

2人1組で作業が行われますが、縄はとても強く締めなければならないので、2人で全身を使って締めていきます。

1組一日で1本しか出来ないくらい全てが大変な作業です。

今年は7月13日から作り始め、8月までのお盆のころまで作り続けて、80本余りを仕上げるそうです。

 マキは山梨県産の赤松を使用するのがこだわり。

それは、火力が強く、綺麗に燃えるため。

大松明のお炊き上げには、防虫駆除の役目もあると言われています。

 

長い間、地域の皆が見守り、だんだん大松明の数も増えていったそうです。

さらに、火事を防ぐおまじないに松明の消し炭(オキ)を拾う風習があり、安産・子授けや無病息災のお守りとして持ち帰る人もいます。

 

今年も8月26日 「吉田の火祭り」開催。

立派な大松明が炊き上げられる様子ぜひご覧ください。

 

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富士吉田木材流通センター

山梨県富士吉田市新西原2丁目20-1

韮崎市穴山町4281

TEL/0555-23-6138

 ■やまなし音遺産 〔第68回 “能穴焼”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第68回目は《能穴焼》

 

山梨にも窯元はいくつかありますが、そのうちの一つ、韮崎市穴山で陶芸をしている焼き釜を訪れました。

今回、ご紹介するのは、林茂松さんの窯元「能穴焼」

 

「能穴」という名前は、能見城の麓、そして地名の「穴山」から一字取っています。

山梨は花崗岩で出来た山が多く、韮崎市穴山も山に囲まれています。

元々新鮮な花崗岩は固いですが、風化を受けた花崗岩はもろく、どんどん風化が進行すると一部は粘土化していきます。

そのためか、昔は韮崎市穴山では粘土がよくとれる土地だったそうで、瓦造りが盛んで瓦職人も多くいたそうです。

また、坂井遺跡という遺跡もあり、土器が沢山出土しています。

林さんも小さい頃など、土を掘るとよくさまざまな物が出てきたそうです。

 

現在、林さんが手がける能穴焼の特徴は、うわ薬への探究からうまれた神秘的なカラーと形。食器ではなくオブジェが多いということ。

 

能穴焼の工程は、山梨・岐阜・滋賀の土をミックスして粘土を作り、成形(ろくろ・たたら等)→乾燥→焼き→うわ薬→焼き 

焼きには十分な時間をかけて出来上がります。

窯の燃料には、こだわりで山梨県産の赤松を使っています。赤松は、火力が強く、燃焼が早いため、まんべんなく火が通るそうです。

昔から、粘土や赤松に恵まれ、窯を作ることができる土地がある。という環境は山梨ならでは。

焼き物は土地によって特徴があります。自然の中でやったほうが自然の良さが作品にも出ると林さんはおっしゃっていました。

武田信玄も、「お庭焼き」と呼び、自分が使うお皿を作らせていたそうです。

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林さんが作る「能穴焼」についても伺いました。

お話を伺った林茂松さんは現在二代目。

初代はご自身の父親で、1935年に山梨にて陶芸に取り組み、「甲斐の陶芸」として大きな反響と強い支持を受けました。

そして、二代目茂松さんは29歳で継承。フィリピンへの船旅を経て、オブジェ「深海の遺産」を手掛けるようになり、数々の賞を受賞しています。

 

 
   

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この茂松さんの作品は、山梨県立図書館にも展示されています。

現在は、茂松さんの息子さんも陶芸を行っています。

日常的に使える器として、粘土にうわ薬を混ぜ込んだ新しい技法を取り入れてメタリックと透け感のある“Notoh(能陶)”というブランドを立ち上げたそうです。

 

林さんのところでは陶芸体験も行っています。

 

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能穴焼き 窯元

山梨県韮崎市穴山町4281

TEL/0551-25-5047

 ■やまなし音遺産 〔第67回 “恵林寺”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第67回目は《乾徳山 恵林寺》

歩くと、まるでウグイスの鳴き声のような高い音がする「うぐいす張り」の廊下。

「うぐいす廊下」と聞くと、京都の知恩院や二条城が有名ですが、ここ山梨、甲州市にある恵林寺にも「うぐいす廊下」があるんです。

我が甲斐の国の武将武田信玄と深い関わりのあの恵林寺。

今回は住職の古川さんにお話しを伺いました。

 

正式名は『乾徳山 恵林寺』  1330年に夢窓国師が開山しました。

富士山と、山梨市にある乾徳山という山を線で結ぶと、ちょうど線上に恵林寺が位置するそうです。

この恵林寺は、武田氏が菩提寺として選んだ場所。

そのため、武田信玄公(武田晴信)のお墓を始め、武田家臣の供養塔もあります。

さらに、徳川五代将軍徳川綱吉の側近となった柳沢吉保夫妻のお墓もあるんです。

 

恵林寺は、天正10年(1582年)には織田信長によって、火を放たれ、和尚と100名ほどの僧侶が焼殺されました。

そのときの和尚が、武田信玄公が招いて住職とした快川国師。

天目山の戦いで、武田氏を滅ぼした織田軍が恵林寺に押し寄せ、潜伏保護されていた者たちを引き渡すように快川和尚に命じたが拒否されて、怒った信長が三門に火を放ちました。

 

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そして、快川国師が最期に言った一句が、あの有名な「安禅不必須山水 滅却心頭火自涼」。

(あんぜんかならずしもさんすいをもちいず しんとうめっきゃくすればひもおのずからすずし)安らかに座禅を組むには、必ずしも山水は必要ではない。無念無想に達すれば、火もまた自ら涼しく感じるものだ。という意味です。

 

その後、徳川家康によって再建が行われましたが、また明治38年には本堂等が火事遭い、焼失しました。

のち、さらに再建された恵林寺が現在の建物です。

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そして、恵林寺というと、庭園が国指定の名勝。

開山した夢窓国師築庭の池泉回遊式庭園。枯山水と心字池を配した雄大な規模を誇る名園で、昭和17年に国指定の名勝になりました。

池が広がり、小さな滝がいくつかあり、座禅石になるような大きな石が多くあり、すばらしい庭園です。

夢窓国師は恵林寺の後に、西芳寺や天龍寺のお庭も手掛けています。

 

その他、恵林寺宝物館には、武田信玄所有の兜や軍配など武田氏に関する文化財が所蔵されています。

 

さて、恵林寺は禅寺。ということで、警策の音も聞こえます。

座禅中に眠くなったり、姿勢が悪かったりしたときに肩を打つ木の板「警策」

毎週土曜は午前6時から、毎月第二日曜は午後3時から一般に開放している座禅会も開催しています。

座禅とは、身体と呼吸と心を整えるものです。そのため、しっかりとした姿勢で臨む必要があります。

顎を引き、前方を向いたまま目は開いて視線だけおよそ1m前方に落とします。

そうすると自然に目は開いた「菩薩の半眼」状態になります。

目を閉じると消極的になり、余裕な妄想が湧いてくるので開けたまま、ゆっくりした呼吸を鼻で行い、その息を1~10まで数えることで、心を空っぽにしていきます。

これも訓練!

少しずつでも続けてしていくことで、身体も心も変わっていくと、ご住職お話してくださいました。

 

是非、武田氏の菩提寺でもある「乾徳山 恵林寺」で、歴史・山梨を学ぶと共に、自然を感じながら座禅の体験も♪

 

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乾徳山 恵林寺

山梨県甲州市塩山小屋敷2280

TEL/0553-33-3011

 ■やまなし音遺産 〔第66回 “木彫刻師 鈴木秀明さん”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第66回目は《木彫刻》

 

木を彫刻して、建具や家具、そして仏具・仏像、さらに透かし彫りなどを作る職人を『木彫刻師』と言います。

 

そこで今回は、県内では数少ない木彫刻師の一人、甲府市に工房を構える鈴木秀明さんを訪ねました。

 

鈴木さんは、卓越した技能者に贈られる称号「やまなしの名工」にも選ばれているほど、素晴らしい木彫刻師。

お父様の跡を継いで、木彫刻師として50年。

最初に出がけたものは「仏壇装飾」。

当時は仏壇のブームがあり、お父様と徹夜で彫っていたと、教えてくれました。

そこから鈴木さんの木彫刻師としての道が始まり、建具や家具、仏壇や和室の欄間などはもちろん、県内外の神社仏閣の彫刻も数多く手がけていて、これまで手掛けた社寺建築の彫刻は100以上あるそうです。

小さい物から、工房では作業できないほど大きな物まで作り上げてきました。

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小さい頃から、父親の姿を見ていた鈴木さんですが、小さい頃から修行が始まっていたと言っても過言ではないくらい、父親の技術を見て学び、さらに、4年間、生け花の先生に付いて造形や植物の表現を学んだり、日本画の先生に付いて、下絵を描くための技術もしっかりと身に付けたそうです。

木彫刻作品の作業工程は、まず下絵を描き、カーボン紙を使って絵を板に写します。

そこから、作品にかたどった板を、糸のこ(ノコギリ)を使って切り、叩きのみと玄能(カナヅチ)を使って荒彫り、そして、小道具(彫刻刀)を使って仕上げ・・・と行っていきます。

鈴木さんの商売道具「彫刻刀」はおよそ300本以上あります。

しかし、中でも、良く使うものは20本ほどで、彫刻刀の寿命は4~5年くらいなんです。

鈴木さんは、とても独特な持ち方。右手の小指にタコができます。これこそ経験の証!

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作品によって木の素材もたくさん扱っています。

柔らかい木はヒノキ・シナ、堅木はケヤキ・サクラ、綺麗な色はヒノキ、木目を活かすにはケヤキ、香りがするものはクスノキ・・・・など。

 

モノ作りが好きで、工房にいるのが一番落ち着くという鈴木さん。

いつ、どんな注文が来ても良いように、日々さまざまなものを彫って練習もしているそうです。

現在は、教室も開いています。

 

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木彫刻師 鈴木秀明さん

山梨県甲府市高畑2丁目14-16

 ■やまなし音遺産 〔第65回 “ちんどん”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第65回目は《ちんどん》

 

派手な衣装で、鉦や太鼓の鳴り物を「♪ちんどん♪」と奏でながら、お店や商品を街頭で広告・宣伝する商売「ちんどん屋」。

実は、山梨にも2軒のちんどん屋が存在します。

今回はそのうちのひとつ「梁川ちんどん」

 

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 大月市梁川で活動する「梁川ちんどん」の代表 佐々木團さん。

高齢者施設などでの余興として始めて、平成15年に仲間と愛好会を立ち上げました。

メンバーは6名ほど。50~70歳代の皆さんで、現役で普段は仕事をしている方から、定年退職された方、また女性の方もいます。

 

はじめは佐々木さん一人で始めた「ちんどん屋」。

幼い頃、ちんどん屋が大好きで、よく、ちんどん屋の後を付いてまわったほど。

その当時のことを思い出しながら、記憶と資料などを参考にして、見よう見まねで「ちんどん太鼓」を全て手作りし、演奏も試行錯誤行っていたようです。

そして、仲間とやり始めてからは、高齢者施設や地域のお祭りなどに出演し、ご年配の皆さんを楽しませています。

 

「ちんどん屋」というと、派手な衣装と楽器が特徴。

楽器はもちろん手作り。

衣装は浅草へ出向きたくさん揃え、お化粧も何回も練習したそうです。

そして、演奏曲のレパートリーは10曲ありますが、サックスがある曲を佐々木さん自身が探して、その曲をバッグミュージックに、叩き方を考えて演奏するそうです。

和楽器と西洋楽器の融合で演奏するのがちんどん屋の特徴でもあります。

衣装、楽器だけでも独特な「ちんどん屋」ですが、さらに、ちんどん屋は何でもできないといけない商売。口上、マジック、寸劇なども披露。

 

戦後、ちんどん屋は街頭に再び現れ、ちんどんの黄金時代と言われる1950年代にはちんどん人口はおよそ2500人。

今は、昔よりは減っていますが、それでもプロとアマに分かれ、プロ(屋号を持つ人たち)は、全国でおよそ30軒あるそうです。

 

「梁川ちんどん」の佐々木さんの願いは、暗いニュースばかりなので、賑やかなちんどん屋で世間を明るくしたい!ということ。そして、今後の夢は、後継者を育てることです。

 

ぜひ一度!賑やかなちんどんを聞きに大月へ♪

8月1日開催の大月かがり火祭りにも参加予定です。

 

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梁川ちんどん 代表 佐々木團さん

山梨県大月市梁川町綱の上995-1

TEL/0554-26-2741

 ■やまなし音遺産 〔第64回 “鮎釣り”〕

 山梨県内にある“後世に残したい音”  第64回目は《鮎釣り》

 

夏の風物詩「アユ釣り」のシーズンが今年もやってきました。

山梨県各地で、早いところでは6月1日からアユ釣りが解禁となっています。

 

そこで、今回ご紹介するのは山梨県で今年一番早くアユ釣りが解禁になった『桂川』。

この『桂川』には、県内の方に限らず近県からたくさんの釣り人が訪れます。

6月1日に解禁され、今年は、好天に恵まれて、気温もあがったため、水温も高く、鮎の生育がよかったそうです。

 

まずお客さんは、朝、川に来ると場所の選定から始まります。

アユ釣りのベストスポットは、「川の落ち込み部分で広くて深くて、石がいっぱいあるところ」だと、教えてくれました。

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場所によって、釣れず数がまったく違うそうで、6月1日の解禁日には、前日泊まり込みの方もいたようです。解禁日、多い人で150匹。皆さん、平均40~50匹も釣るそうです。

 

桂川では琵琶湖産の稚魚を放流していますが、毎年110万匹以上(1万kg)を放流。

アユは自然発生しても堰を越すことができず上流までは上れないため、毎年4月中旬に稚魚を放流して、川の中でジックリと育てます。

放流時5~6cmのアユは、6月には18~20cmに成長します。

 

このように大きく育つには、川の状態が重要!

水温、水の量、そして清らかさがポイント。

桂川は水質が良いですが、年に一回、組合員総出で川の清掃を行うと大量のゴミが集まるそう・・・マナーを守らない人がいて、とても残念だとおっしゃっていました。

そして、アユの天敵が「カワウ」。このカワウは一羽一日1kgのアユを食べるというほど大きな被害。そのため、しっかりとカワウの駆除も行います。

 

さて、アユ釣りには様々な方法があります。

その一つ友釣りは日本古来の手法。

竿の糸の先に友鮎を付けて、友鮎の後ろに針を付けます。

琵琶湖産のアユは闘争心や縄張り意識が強く、自分の縄張りに入ってくるアユを追う習性があります。そのため、桂川では、「友釣り」を基本としています。

 

夏の風物詩の一つでもある「アユ釣り」

現在では、富士川、笛吹川、釜無川などでも鮎釣りが出来ます。

アユ釣りの期間は11月末まで設けているところもありますが、7~8月が最盛期!

9月以降は産卵するため、卵を抱えて川を下り始めます。

 

これから7月!

自然に囲まれて、アユ釣りでさらに夏を感じてください♪

 

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桂川漁業協同組合

山梨県上野原市上野原2580
TEL/0554-63-0083 

 ■やまなし音遺産 〔第63回 “お茶”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第63回目は《お茶》

 

新茶の季節。この時期、山梨県内でも新茶が出回っています。

あちらこちらのお茶屋さんのお店には、必ず「新茶」の文字が・・・!

 

今回、お茶について詳しくお話を伺ったのは、菱和園の小尾武久社長。

お茶の歴史から、山梨とお茶との関係について色々と教えてくれました。

 

そもそもお茶は中国から日本へやってきたもの。

鎌倉初期に栄西が日本にお茶を持ち帰り、種子を植えたことが始まりで、上流階級などの限られた人々だけが飲むことが出来たそうです。

この当時のお茶は、蒸した茶葉を揉まずに乾燥させたもので、社交の場で武士にも普及しました。そして、徐々に京都各地、伊賀、伊勢、駿河、武蔵では、寺院や寺領の茶園を中心に茶栽培がおこなわれるようになったと言われています。

 

戦国時代には、千利休らによって新しいお茶の礼式が作られ、「わび茶」として武士階級に浸透して現在の「茶道」が生まれました。

 

江戸時代中期には、富裕層は「抹茶」。一般庶民は、当時まだ粗末だった「煎茶」を飲んでいたそうです。

末期になると、高品質の煎茶が作り出され、明治初期に、やっと、静岡に茶園ができるようになりました。

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山梨のお茶の産地と言えば「南部町」。南部町のお茶は柔らかい味ながらコクがあり、香り高いのが特徴です。

昔、山梨には甲州市や身延町の古い寺院にも茶畑があったと言われていますが、この南部町が産地として残ったのは、お茶の生産日本一である静岡との県境にあたるため、気候がお茶の栽培には適していたのです。

 

山梨県民は、比較的、濃くてうまみのあるお茶「煎茶」を、好んで飲むようです。

地域によって好むお茶は違ってきます。(京都や富山、石川は番茶・・・など)

 

 「夏も近づく八十八夜~♪」

茶摘みの時期は立春から数えて88日目。

摘まれたお茶は、乾燥までほぼ産地で行われます。

葉を蒸気で蒸して、揉みながら水分を均一にして乾燥させます。(揉みを繰り返す)

この揉みの作業は、昔は「手揉み職人」と呼ばれる人も多くいました。

 

今、出回っているお茶は「新茶」ですが、

新茶は4月末~5月中旬までに摘まれた「一番茶」のことを言います。

6月以降の茶摘みは「二番茶」「三番茶」「四番茶」と10月頃まで、1年に茶摘みは4回行われるんです。

 

そのうちの最初に摘まれる「新茶」。

毎年、縁起物のように買われていくお客さんも多く、新茶ファンの方もいて、一年分の「新茶」を買っていく方もいるほど魅力的!

その新茶を楽しめるのも、だいたい6月いっぱいです!

ぜひこの機会に☆

 

さいごに、美味しいお茶の入れ方のポイントは、茶葉を急須に入れ、お湯を一度湯呑に入れます。

その後、湯呑に入れたお湯を急須に移して、15秒くらい待ちます。

そして、少しずつ均等に注ぎ、最後の一滴まで絞り出すこと!

 

最近では、お茶の飲み方が急須からペットボトルへ移り変わってきていますが、日本の文化でもあるお茶ですので、急須と湯呑で「新茶」楽しんでください。

 

 

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㈱菱和園

甲府市太田町4-7

TEL/055-235-5075

 ■やまなし音遺産 〔第62回 “とうもろこし”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第62回目は《とうもろこし収穫》

 旬の味覚“とうもろこし”

山梨県内各地でさまざまな品種のとうもろこしが作られています。

産地を車で通ると見事なとうもろこし畑が綺麗に広がっています。

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平成22年度にはスイートコーン生産量は全国6位にもなりました。 

今回ご紹介するところは、とうもろこしの産地の一つ市川三郷町です。

市川三郷町では“甘々娘”という品種のとうもろこしを栽培。

甘々娘は静岡や四国でも少し作っていますが、全国的に見ても市川三郷町が多いそう。

甘々娘は他のとうもろこしに比べて、極めて甘く、糖度は15度以上。

日持ちが良く、甘みが落ちません。

大きさは少し小ぶりで、粒は白、黄色など色々な色が混ざっているのが特徴です。

 

今は市川三郷町内、とうもろこし農家は70~80軒。

昔はそれ以上の農家さんがいらっしゃり、一面がとうもろこし畑だったそうです。

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今が旬のとうもろこし。

種蒔きから収穫までの日数はだいたい決まっています。

種蒔きから収穫まではおよそ100日。

そのため、2月上旬の寒い時期に蒔いて、5月下旬には収穫。

また、収穫の時期もずらすため、種蒔きから5日置きや一週間置きに行っていくそうです。

すくすくと、上へ上へ、あっという間に育っていきます。

しかし、寒い時期に種を蒔くので、寒さ対策・温度管理が必須。

2月中はビニールを掛けて育て、発芽してくると、天気や気温に応じて、ビニールを開けたり、閉めたり一日中天気を見ながら管理をしていく大変な毎日。

 

 

 

 

そして、いよいよ節にとうもろこしが付き始めると、今度は実をさらに大きく、美味しくするため、節の一番上のとうもろこしを残して、それより下にできるとうもろこしは、かいていきます。そのようにしたことで、栄養が一つのとうもろこしに行くように育っていくのです。

その大きくなる前にかいたトウモロコシは、ヤングコーン(ベビーコーン)として売り出され、私達のもとにお目見えするのです。

 

今日は甘々娘を紹介しましたが、県内にはその他に「ゴールドラッシュ」「きみひめ」「恵味」「ミルキースイーツ」といった品種が栽培されています。

 

今の時期、まだまだ収穫が行われているトウモロコシは、農家さんはみんな早朝から収穫し始めます。

あちらこちらから、収穫の音、トラックの荷台に乗せるときのバサーンという音など朝から聞こえてくるそうです。

 

今年は、4月に雨が多く、陽が照らなかったため少し小ぶり。

しかし、5月に入り、暑さで甘さがましたということです。

 

県内各地でとうもろこし収穫祭が行われます。

市川三郷町の甘々娘は6月13日

甲府市中道町のきみひめは6月14日です!

 

旬の味覚をぜひお楽しみください^^

 

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市川三郷町産業振興課

JA西八代

 ■やまなし音遺産 〔第61回 “道志川・道志村クレソン”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第61回目は《道志川》

山梨県の東南部、神奈川県との県境に位置する道志村。

そこには村の中央部を流れる川「道志川」があります。

ミネラル豊富な富士山の清流で、道志村はまさに大自然の宝庫なんです。

なんと年間100万人を超える観光客も訪れます。

 

道志川は明治30年間から横浜の水源地になっているんです。

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水質がとても良く、「道志川の水は赤道を超えても腐らないほど澄んでいる」と表現されるほど!

昔は、土手で子供たちの遊び場だった「道志川」ですが、現在は護岸工事が進んでいて、道路も国道になり、たくさんの観光客が道志村を訪れています。

また、道志は「キャンプ銀座」と言われるほど、キャンプ場も密集しています。

これからの季節は道志川の魚釣りも楽しめて絶好の場所です。

 

道志村の人たちはもちろんのこと、横浜の皆さんにも欠かせないこの「道志川の水」。

良質な水を利用して、クレソン栽培が始められました。

もともと道志村にはクレソンが自生していたといわれていますが、当初は「ドカタゼリ」と呼び、鶏の餌に利用する程度だったそうです。

それが、現在は大きく変わりました。

 

昭和55年には栽培農家が11軒あり、「道志村クレソン出荷組合」が設立。

しかし、今は少し減り、7~8軒になってしまいました。

クレソン栽培に大切なことはやはり、綺麗な水が一年中豊富で、水温が一定で常に水が流れていること。

佐藤さんのところでは、クレソンが一年通して収穫できるように、道志をはじめ、富士山の周りに田を持っているそうです。

春先に植えると、およそ2か月で収穫。秋はおよそ3か月かかります。

季節や天候にも左右されますが、標高差が違うところで栽培することにより、年間通じた出荷を可能にしています。

 

苗を植えると、根と芽が上と下に出てきた、稲と同じで水の一面緑になります。

そこから、雑草取りをしたり、苗寄せをします。

植えた場所によって、水の流れ方や陽のあたり方が違うため、最終的には全て収穫できるわけではありません。

そのため、クレソンの移動もしながら、大きく育てていきます。

 

クレソンに大きなダメージを与えてしまうのが台風。

台風によてい葉がダメになってしまうことが多々・・・

また台風という予報を聞くと、台風が来る前に全て刈取りを済ませて、田に泥が入らないように、水を専用の板などで止めなければならないのです。

 

とても手のかかるクレソン栽培ですが、気付けばクレソンの出荷量「日本一」と言われるほど。

現在はクレソンを使った商品をたくさん開発されて、道の駅どうしにはクレソンうどん、クレソンパスタなど、愛されています。

 

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道志村クレソン栽培組合

佐藤みち子 さん

住所/ 山梨県南都留郡道志村川原畑7868

 ■やまなし音遺産 〔第60回 “甲府市地方卸売市場”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第60回目は《市場の競り》

県民の台所と呼ばれる、山梨県内唯一の公設市場、“甲府地方卸売市場”

甲府市とついていますが、供給圏は山梨県下全域と、長野県南部。

昔は甲府市の中心部に海産物問屋、八百屋問屋がありましたが、昭和48年に現在の場所に移されました。その広さは東京ドームおよそ2.5倍の広さ。卸売場は青果棟と、水産棟に分かれていて、水曜、日曜以外の朝午前6時から競りが始まり威勢のいい声が聞こえてきます。

 

今回は普段、登録者しか入ることが出来ない市場の中へ特別入れて頂き、競りの場にお邪魔してきました。

今回お話を伺ったのは、市場の卸売業者 甲州青果市場の窪寺常務です。

競られていたのは、すべて山梨県産野菜。いわゆる「地物」と言われるもの。

キャベツ、トマト、ほうれんそう、この時期ならではのベビーコーン、小梅など。

これらの競りには毎回140~150人が参加し、卸売業者(黄色い帽子をかぶった競り人)を囲み、4ケタのコード番号が書かれたプレートを帽子につけた仲卸業者と売買参加者が次から次へと野菜をセリ落としていきます。

市場には、このような競り(競売)と相対売りに分かれます。

現在は相対売りも増え、競売は青果の場合は地物に限っているんです。

そのため、およそ10~15分で終わってしまうほど、あっという間。

以前はすべてが競りだったそうで、2~3時間も競りが行われていた時代もあったそうです。

 

今の人気は山梨の芦川で作られている「芦川のほうれんそう」

昔はたくさんあったという芦川のほうれんそうですが、生産者の高齢化で以前の1/4ほどに減ってしまったそうです。

 

そして、競売では聞きなれない言葉が飛び交っていました。

それが「符丁」というもの。

これは、仲卸業者や売買参加者が商品を購入する為に値段を示す業界用語です。

例)2→ブリ、20→ニマル、21→ノイチ、22→ナラビ、23→ノサン、24→ノシ、25→ヤッコ

 

また、水産部では「太物」と呼ばれるマグロだけ競りが行われますが、その他は「相対売り」です。

マグロも4年前に条例が変わり、「相対売り」でも可能になり、今は相対売りがメインで行われているそうです。

1日に100本以上のマグロが入ってきます。

それは、他県に比べると少ないですが、人口規模にすると多いそうです。

さすが、マグロの消費量全国2位なだけあります。

今の時期は鰹やホタルイカなどの取引が行われています。

仲卸業者のところには、地域の魚屋さんや居酒屋店の方が購入にくるそうですよ。

 

普段、一般の私たちはなかなか聞くことができない「競りの音」

今日はご紹介しましたが、まさに“県民の台所”だと感じたのではないでしょうか?

 

そんな市場では年に4回、私達一般が買い物できるイベントがあります。

市場開放「甲府さかなっぱ市」です。

次回は6月27日(土)です。待ち遠しいですね♪

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甲府市地方卸売市場

住所/甲府市国母6-5-1

TEL/055-228-174

 

■やまなし音遺産 〔第59回 “正の木さん”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第59回目は《正の木さん》です。

 

「正の木さん」の愛称で親しまれ、毎年5月2日~5日まで開かれる甲府三大祭りの一つ「正の木祭り」。

今年も、およそ200の露店が稲積神社と遊亀公園内に軒を連ね、県内外からおよそ8万人の人が訪れました。

 

その正の木祭りの風物詩であるのが「植木」。アジサイ、ツツジなど苗木が並ぶ「植木市」でもあります。

今年は、およそ200の露店中、植木市は8軒ほど。70~80軒は並んでいたという昔に比べるとだいぶ減ってしまったよう。

それでも、長い人では50年以上出店している人もいます。音遺産.jpg

 

 

 

 

 

 

 

 

この「植木市」の魅力は、多種多様な花や木を見比べることが出来ること、育て方や樹木に関する豆知識を専門家に直接聞けるということ、そして、値切り交渉です。

お祭り自体は5日で終わってしまいますが、昔は「植木市」だけ6~7日までやっていたそうです。

それは、売れ残すことなくという思いから、売り手も買い手も、値切り交渉などのお客さんとの駆け引きを楽しんでいたということなんです。

植木店も正の木に合わせて開花や仕立ての準備をしてお客さんをお迎えしています。

 

苗木を求めに来たお父さん、お母さんたち、母の日のお花を選びに来たお兄さん、お姉さんで賑わう「植木市」の一方、公園内には、子供たちの声も響き渡っています。

 

焼きそば、たこやき、かき氷といった定番な露店もあり、さらに公園内にある市立動物園は5月5日のこどもの日から11日まで児童福祉週間のため中学生以下の子供を対象に無料開放されます。

そして、毎年3日には稲積神社の境内にある土俵で子供の奉納相撲が行われているんです。

 

お祭りの期間中は稲積神社でも大忙し!

それは、農業の神様である稲積神社の例大祭だからです。

農業の神様であるため、神社の周り通りには、昔から苗木や農具を扱うお店が多く立ち並んでいたそうです。それは今でも、遊亀通りに少し残っています。

また、昔は養蚕業をする人が多く、養蚕業を祈願してお札を求める人も稲積神社に訪れました。

お祭り開催日の5月3日は、立春から数えて88日目に当たり、霜の心配がなくなるこのころで、かつて農家では一斉に種まきや苗の植え付けにとりかかったため、その材料を買いにくる人で賑わいました。

江戸時代から行われているというお祭りですが、境内にも当時の雑踏の光景が「まよひ子しるべ石」のように存在します。

(賑わうため迷子も多く、目印とした石。この石に迷子がさわると父母があらわれるという不思議な石)

 

地元の方は、毎年ゴールデンウィークの予定というと「正の木さん」と答える方も多いのではないでしょうか?

何十年もたくさんの人が楽しんできたお祭りの一つです。

 

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稲積神社

甲府市太田町10-2

TEL/055-233-5573

 ■やまなし音遺産 〔第58回 “山梨の野鳥”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第58回目は《山梨の野鳥》です。

 

自然がいっぱいな山梨は鳥の鳴き声を聞くにはとても良い環境。

春のこの時期、あちらこちらで綺麗なさえずりが聞こえます。

 

ちなみに、5月10日~16日まで「愛鳥週間」

鳥類について正しい知識をもつこと、愛護すること、そして野鳥を取り巻く自然の大切さを知る事を目的に昭和25年からはじまりました。

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今回は、やまなし野鳥の会の窪田会長の案内のもと、甲府市北部にあります、武田の杜健康の森へ行ってきました。

 

森林2500ヘクタールの広さ。遊歩道が整備されていて、野鳥観察には最適の場所です。

あちらこちらから綺麗な鳥の鳴き声がたくさん聞こえてきました。

 

春は繁殖期のため、オスがメスを呼ぶときや縄張りを守るために鳥が一番自己主張する時期です。

一方、ヒナが巣立った後の真夏は、巣を守る必要がなくなるため、あまり鳥の鳴き声は聞くことはできません。

 

さて、山梨県の県鳥というと、春を代表する鳥「ウグイス」です!

ホーホケキョ♪とウグイスのさえずりは、低い山では5月末頃まで、高い山では8月中旬まで聞こえるそうです。

その後は、「チャチャチャ」という地鳴きに変わり、あまり目立たなくなってしまい、一般の私達にはなかなか気づくことは難しくなってしまいます。

ウグイスのさえずりを聞くには今がチャンスかもしれませんね!

 

このように、山梨は平地から高山まであるので、海の鳥以外は多種多様な鳥を見ることができます。

自然がいっぱいあるということは鳥にとってもとても良い環境です。

 

しかし、昔と今では鳥の数が減ってきているのが現実。

気候変動によって山梨にやってくる野鳥の種類も年々変わっていきます。

暑さにも影響しますが、自然の環境が変化していくと昆虫やすべての生き物が変化していくので、それに合った鳥も増えたり減ったりと変わっていきます。

 

 

この時期、遊歩道を歩いていると、筒状に綺麗に丸められた葉っぱが見つかります。

これが、「鶯の落とし文」「ホトトギスの落とし文」と季語にも使われている「落とし文」というもの。

昆虫が卵を入れて丸めて木につけたままにしておきますが、鳥が巣を作るときに落としてしまうことがあるんです。そのため、巣作りを始める春にたくさん遊歩道に落ちているんですよ。

 

鳥の鳴き声というと「聞きなし」ということも良く耳にしますよね。

私達人間にはどのように聞こえるか言葉にしたものです。

ウグイスは「ホーホケキョ」

では、ホオジオは?

ホオジロは「一筆啓上仕候(いっぴつけいじょうつかまつりそうろう)」と聞こえるんです。

 

今の時期はまさに鳥のさえずりを聞くには・・・♪野鳥観察するには良い時期♪

朝~午前中が一番出会えます!

山には野鳥もいますが、野生の動物(クマ、イノシシ、ヘビ)もたくさんいるので、気を付けてください。

 

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やまなし野鳥の会

甲府市城東4-12-4

TEL/055-228-7366

 ■やまなし音遺産 〔第57回 “武道具 職人”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第57回目は《武道具職人》です。

 

武道とは、剣道、柔道、弓道、空手、相撲といった日本の伝統的なスポーツ。

武士が戦うための技術が基になっていますが、身体だけでなく、心も鍛えるもの。

まさに「心技体」!

 

山梨県内にも、あちらこちらに武道場があり、武道をたしなんでいる人々がいます。

そして、その陰には支える人がいます。

その一人が武道具を作り、直す職人。

甲府市朝気にある「正武堂」店主内藤 正さん。

山梨県内には4軒の武道具店があり、そのうちの一つが「正武堂」。

お父様先代から続くお店はおよそ70年。

2代目であり内藤正さんも職人になって42年です。

剣道、空手、合気道、なぎなたなどの道具を製造・修理できるのは県内では、ここの正武堂だけになってしまいました。

なかでも、内藤さんは、剣道の道具を扱うことが多く、縫製から竹刀の組み立てまで手作りしています。

その手は、とても大きく細かい作業が多いせいか、指先は長く細い内藤さん。

       
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修理は竹刀を握る甲手が多いそう。お邪魔した時も甲手の修理をしていました。

甲手も、もちろん手縫いです。

材料が固く厚い物が多いため、針が通りづらいそうです。特に梅雨時や湿気が多い日も、かなり革が固くなってしまうそうです。

そのため、革を縫う針先は三角形になっている針を使用します。またペンチを使って針を抜くなど、一針一針大変な作業です。

剣道の場合、甲手や垂には、柔らかい鹿の革が使われ、竹刀の柄革や胴は強くて厚い牛の革が使われています。

 

 

そして、「正武堂」にはたくさんの竹刀も並んでいました。

竹刀は4枚の竹の四面を合わせて出来ています。

まず先から物打ちあたりをささくれ防止のために角を丸く削ります。

修理に出す人は、ささくれが出来てしまう人が多いそうです。

 

昔のほうが武道をしている人が多くいましたが、今は減ってきてしまいました。

それでも、今でも小学校で夜に剣道の稽古が週1回行われており、正武堂にも声が聞こえてくるそうです。

武道は「心技体」のバランスが大切。それを鍛えるために愛着を持って大切に使ってもらえるような武道具であるように、日々心を込めて内藤さんは作っています。

武道愛好家は減ってきているものの、古来から受け継がれてきたものなので流行り廃れのないもの。

小学校から始めた人が大人になり、子供をお店に連れてくる瞬間はとても嬉しいと内藤さんが話してくれました。

平成24年からは中学校保健体育において武道が必修科目にもなっています。

 

最近では、勝山の「やぶさめ祭り」、信玄公祭りの小学生による「剣道大野試合」がありました。また節分の時には、富士吉田や武田神社で弓による追儺式も行われます。

 

これから日本の伝統「武道」がより身近なものになりますように。

内藤さん今日も陰で支えていらっしゃいます。

 

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正武堂

山梨県甲府市朝気1-3-17

TEL/055-232-4780

 ■やまなし音遺産 〔第56回 “甲斐善光寺 御開帳”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第56回目は《甲斐善光寺御開帳》です。

 

4月5日~5月31日まで甲斐善光寺で7年に一度の大行事「御開帳」が行われています。

御開帳は、秘仏である御本尊その身代わりとして全く同じ姿の「前立本尊」の厨子が開かれ拝むことができます。

 

そこで、御開帳の初日、開闢大法要を終えたばかりの善光寺僧侶 渡辺さんにお話しを伺ってきました。

 

初日は県内外からおよそ8000人の方が訪れ、御本尊に向かって手を合わせました。

開闢大法要ではおよそ400人が本堂でご開帳を見守ったそうです。

 

甲斐善光寺は開祖武田信玄が1558年に信州善光寺が川中島の合戦で焼失するのを恐れてご本尊善光寺如来などを移し、一山まるごと甲斐に移転されました。

しかし、その後、武田氏滅亡後、御本尊は織田信長、徳川家康、豊臣秀吉のもとを転々として、1589年に信州の善光寺に戻りました。

信州善光寺の御本尊「一光三尊阿弥陀如来」は一つの光背の中央に、阿弥陀如来、向かって右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並びます。

誰も拝むことが出来ない絶対秘仏のため、前立本尊が造られ、甲斐善光寺では武田信玄がもたらした信州善光寺の前立仏をご本尊としています。

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この御開帳、山梨だけではなく、信州善光寺をはじめとする全国6か所で同時開催されています。(甲斐、信州、飯田元善光寺、祖父江(愛知)、関、岐阜)

甲斐善光寺は大正年期の時に御開帳は行っていましたが、その後長い間行われず、80年以来の御開帳が平成9年でした。その時から、信州善光寺と足並みを揃えて7年に一度御開帳が行われるようになったそうです。

 

そして、御開帳というと、もう一つ目を惹くのが「回向柱」です。

御本尊の手に結ばれた五色の糸は「善の綱」として本堂前の回向柱に結ばれます。

そのため、回向柱に触れることは御本尊に触れることと同じとされ、これにより、御本尊とご縁が結ばれるといわれています。

甲斐善光寺は檜の一本柱で幅はおよそ24cm、高さはおよそ5mです。

 

 

初日も全国各地からたくさんの方が訪れていましたが、4月26日までにおよそ10万人を超える方々が善光寺に来場されたそうです。

これからも5月3日に中日大法要、9日にはシンポジウム、23日は立川志の輔さんの落語独演会なども行われます。

 

さらに甲斐善光寺には、他にも見所があります。

「鳴き龍」

これは、本堂の天井に巨大な2つの竜が描かれています。この部分がつり天井になっていて、手をたたくと多重反響現象により共鳴が発生します。

その規模は国内最大と言われているほど、とても有名です。

その他「戒壇巡り」。

これは本堂の下にある真っ暗な通路を通って、鍵を探して触れることでご本尊と縁が結ばれるというもの。

また、「宝物館」もあります。源頼朝像、実朝像などは、鎌倉時代の肖像彫刻の優作として文化財にも指定されています。その他、数多くの宝物が公開されています。

 

7年に一度の勝縁 甲斐善光寺 御開帳 5月31日までです。

是非お出かけください。

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甲斐善光寺

山梨県甲府市善光寺3-36-1

TEL/0552-231-0934

 ■やまなし音遺産 〔第55回 “タケノコ”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第55回目は《タケノコ》です。

 

タケノコは今が旬♪ 山梨県南部の南部町は周囲を山に囲まれ、面積のおよそ89%が森林。

県内一雨が多く、年平均気温が15度と温暖なため、タケノコの産地となっています。

 

南部町福士の「うとうざか農園」望月正文さんの農園。

望月さんは平日お勤めをしながら観光農園をしているため、タケノコ掘りの時間帯は朝の出勤前や休日。

一度に40kg詰めるカゴを3つ運搬車に積んで竹林に行き、およそ80~100kg掘ります。

今が旬のタケノコの収穫は3月下旬から始まり、今年は5月の連休まで。

 

南部町の方々は、昔から私有地である山にあったタケノコを収穫して食べていたそうです。

武田信玄公にも贈り、お礼の手紙が届いたと言われ、その手紙も南部町に残されているそうです。

しかし、特産として売り出したのは、およそ昭和40年代から。

この南部で採れるタケノコが入手できるのは山梨県内のみ。およそ1kg=700円で売られています。

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タケノコにも竹の種類があります。

今はほとんどが「孟宗竹」

 

タケノコの成長はとっても早く、なんと1日で30cmほど成長し、大きいものでは5~7kgほどに。

ただ、市場に出せるのは、大きさおよそ3kgまでのもの。あまり大きいものは出荷できないので、なるべく早めに掘るのがポイント!

 

旬の時期である毎年この時期、「たけのこ祭り」が開催。

南部町内5件がタケノコ掘り体験を実施していて、望月さんのところはその1件。

タケノコが良く育つには、竹林の手入れが最も重要!

タケノコを生み出す親竹は5~6年くらいの役割のため、冬に古い竹を切り、新しい竹をどんどん成長させなければなりません。

そのため、親竹にしていくタケノコは収穫せずに土に残しておきます。

 

その中で、害獣がイノシシやシカや猿。イノシシはタケノコが大好物。嗅覚でタケノコを見つけてしまうため、タケノコが頭を出してなくても土の中を掘って採られてしまうそうです。

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タケノコが育つ場所は寒すぎないと土地。

日本全国で見ても内陸はタケノコを育てにくいため海沿いが良いそう。

また水分が大切なため、雨が多いところ。

 

タケノコは土が盛り上がっていたり、ひび割れているところにあります。

収穫し始めの頃は、足の裏で触りながら探すそうです。

長年の勘を頼りにタケノコ掘り。これぞ長年の勘!

 

タケノコ掘りには、タケノコ掘りの専用の桑を使います。タケノコの周りを深く深く掘っていきます。タケノコの曲がりを見ながら、タケノコが曲がっているほうを掘るのがコツ!

 

タケノコは水分が大切。水分が減れば減るほど、渋味やえぐ味が増してしまいます。

そのため、目安は、収穫してから処理は8時間以内!

煮もの、タケノコの刺身、焼タケノコ、タケノコご飯・・・など新鮮なうちに料理をして味わって下さい。

 

うとうざか農園さんでは、ゴールデンウィークの連休までタケノコ掘り体験を行っています。体験は1000円で1kgタケノコをサービス!

 

旬の音♪旬の味覚♪

感じてみてください^^

 

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うとうざか農園

望月正文さん

山梨県南部町福士10365

TEL/0556-66-2401

■やまなし音遺産 〔第54回 “甲州かるた凧”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第54回目は《甲州かるた凧》です。

厚さおよそ3mm、幅およそ5mm、長さおよそ3mくらいの竹を準備するため、ナイフを使って、この大きさに割っていきます。
そして、この竹を使って「甲州かるた凧」を作って揚げている人がいます。
凧作り40年以上の南アルプス市の山本武夫さんです。

山本さんは、竹ヒゴも自分で加工し、凧の絵も自分で描き、100%手作りで「甲州かるた凧」を作っています。
もともと日本の凧は、中国が発祥の地、2000年くらい前からあったとされ、仏教文化と共に日本に渡来してきたといわれています。
奈良時代から平安時代に入って凧揚げが行われるようになりました。
凧にシッポがないので、「かるた凧」と呼んでいます。
一般的には、大きさは長方形で江戸角と言われ、3:2に比率で90cm×60cmの寸法。
「甲州凧」は、江戸時代中期、甲州商人が「江戸角凧」を江戸土産として持ち帰ったのが、甲州凧誕生のきっかけと言われていますが、その歴史を知り、今から40年以上前に山梨の土産物として山本さんが作ったかるた凧が「甲州かるた凧」と呼ばれるようになりました。

そして、南アルプス市の旧甲西町地域は、釜無川沿いが凧を揚げるのに最適な風が吹き、さらに養蚕が盛んだったため、餌になる桑をはじめとした野草を育てるため、一面野原のように見通しが良く、凧揚げには向いている場所・気候だったそうで、甲州かるた凧つくりが盛ん♪

山本さんは凧師になって40年以上ですが、小さい頃、お父様が作ってくれた凧で遊んでいたそうです。
しかし、戦争で中断し、戦後になってから今度は自分で凧を作るようになりました。
凧の材料は、和紙と竹ヒゴと糸。
昔は障子紙と家具屋で余った竹と、母親の裁縫箱の糸を材料にしていた山本さんです。
はじめは無地の凧を揚げていたという山本さんでしたが、絵の勉強もしながら、凧作りをしてきました。
凧は、男の子の誕生と成長を祈願するため、全国的にも武将が書かれることが多いですが、「甲州かるた凧」というと、やはり武田信玄公の絵が描かれているのが特徴です。

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凧作りはとても難しい。
かるた凧にはシッポがない分、しっかりとした竹ヒゴが必要です。
強い風にも折れず、かつ、弓のようにしなる竹ヒゴでなければなりません。
この竹ヒゴが作れるようになるには10年はかかるそう。
山本さんは、いくつもの凧を車に積んで、強い風の中でも凧が上げられるように、何回も何回も試行錯誤試したそうです。
風の強さ、風の方向を見ながら、糸目の中心位置を上下にして、弓の張り方を変えて、空気抵抗の調節をします。
そのため、風の吹き方を敏感に感じて、糸目の調整をしていきます。
これぞ、長年の腕、感覚が大切です。

今月29日には、「甲州凧上げまつり」が行われます。
空高くピタっと揚がる色鮮やかな凧をぜひ見てください。

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甲州かるた凧保存会 会員顧問
山本 武夫 
山梨県南アルプス市江原1428

やまなし音遺産〔第53回 “若神子商店街 レトロ品”〕

山梨県内にある“後世に残したい音”  第53回目は《レトロ品》です。

今日ご紹介するレトロ品の一つは『真空管ラジオ』
真空管とは、中が真空になっているガラス管の中に、電子を放出・吸引するもの、整流するもの、そしてヒーターのような電熱線が入っています。
この回路を利用して作られたのが、『真空管ラジオ』です。
『真空管ラジオ』は電源を入れると、すぐに音が流れてくるわけではありません。
1分くらい経つと、ガラス管で出来たヒーターが明るく光り、ラジオが流れてきます。

そのレトロ品『真空管ラジオ』が北杜市須玉町の須玉印刷さんにありました。
昭和29年くらいのもので、現在須玉印刷の代表である小泉さんのお父様が開店祝いで親戚から贈られたものとのこと。
小泉さんは子供の頃にお父様の仕事場へ行くと、必ず付いていたというラジオの音。
印刷業を営むため、工場にはいつも大きな機械の音がいていたそう。しかし機械が止まった瞬間に鮮明に聞こえてくるラジオが心地よかったのが印象的とお話してくださいました。
お店の転居に伴い、およそ20年間、ずっとしまい込んでいたため、ラジオの存在は忘れていたという小泉さんでしたが、再び出してみると、当時と変わらずラジオが流れ感動したそうです。

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無題.pngのサムネール画像このラジオを再び出したのは、2~3年前のこと。
若神子商店街の活性化のため!
若神子商店街は須玉町の中心部に南北およそ2km、およそ20の店舗が連なっています。
江戸時代に宿駅として栄えた歴史がありますが、時代とともに活気がなくなってしまったため、活性化目的で懐かしいものが並ぶ「レトロ商店街」の案を考えて実施しました。
さらに、「900年の歴史 若神子散策MAP ~若神子全体が懐かしの博物館マップ~」というものを作成。
各地から、レトロ品を見るためにたくさん人が訪れるようになったそうです。

何十年ぶりかに聞いたラジオにはやはり感動したという小泉さん。
温かみ、ふくらみがある音。
昔聞いていた頃を思い出すので、ラジオをつけると、当時のラジオが流れてくるのではないかと思ってしまうそう。今でも、わざわざこの『真空管ラジオ』でラジオ聞くことがあるそうですよ♪


そして、若神子商店街には他にもこんなレトロ品が!
『レジスター』です。
いわゆる商売で使う「キャッシュレジスター」。商品の販売額の計算をするもの。
時代と共に、レシートの発行が可能になったり、つり銭計算機能が付いたり、割引きなどクレジット機能など進化していきました。

この『レジスター』があるのは、河手油店です。

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未だ現役で活躍中の『レジスター』。およそ60年以上前のもの。
亡くなった旦那さんが大切にしていたため、形見のように今も奥様が使っています。
昔は、どのお店もこのレジスターを使っていたため、あちらこちらから「チーン」という音が聞こえてきたそうです。
そのため、この音からもお店の商売繁盛の様子が伺えたようですよ♪

河手さんのところにあったレジスターは「タイプライター」にも見えがち。
昔はレシートも発行したり、ガソリンスタンドのため、レギュラー、ハイオク、軽油とボタンで分かれていたそうです。
どこかのボタンを押してからでないと、右のレバーを廻してもドロワーは開かないようになっています。
また、ドロワーだけ、取り外しが可能なため、お店を閉めた後は、ドロワーを外して家へ持ち帰ることができるそうです。今のように鍵はついていないんです。

60年以上経った今でも、河手油店では「チーン」と音が聞こえてきます。
また、お母さんのそろばんの音も聞こえるときもあるかもしれません♪

若神子商店街には、黒電話や、蓄音機や・・・まだまだくさんのレトロ品があります。
たくさんぜひ、一度、懐かしの博物館へ★

■やまなし音遺産 〔第52回 “隼の大ワラジ”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第52回目は《隼の大ワラジ》です。

 山梨市牧丘町隼地区には大きなワラジを毎年3月に奉納する伝統の行事があります。

 地元の組の11世帯の方々が朝8時からおよそ6時間かけて、大きなワラジを作ります。

その大きさはなんと縦およそ3m、幅およそ1.5m、重さおよそ250kg

長い稲わらを男性2人がかりで右にひねりながら編んでいきます。

その長さ、およそ25m。結構な力作業!

これは江戸時代初期から始められたと言われていて今年で281年目。

昔、この地で疫病が流行ったとき、どこからかお坊さんが現れ、祈祷をしたところ、その疫病は治まりました。

村の人はお礼をしようとしましたが、お坊さんは見つからず、代わりにボロボロになった片方だけのワラジが落ちているのを見つけました。

村の人たちは、お坊さんのものに違いないと、お坊さんに感謝を表すため、大ワラジを作って木に吊り下げ、旅のお坊さんがどこにいても見えるようにしたのが始まり。

そこから「無病息災」の願いを込め、1年間、国道沿いにある桜の木に吊るされます。 

毎年3月の社日(土地の神様を祀る日)に行われるのが決まり。

まず、朝、前年の大ワラジを木から下して、今年のワラジ作りに入ります。

そして、その新しいワラジが完成すると、木に奉納され、そこから直会が行われます。

また、前年のワラジは燃やされ、灰になったワラジは畑にまかれます。

女性は、男性が作業している間は、当番さんの家に集まり、お餅作りなど料理作りが行われているそうです。

去年のワラジの燃える火にあたりながら、煙を身体に受けて、お餅を食べて互いに無病息災、五穀豊穣、家内安全の祈りを捧げます。

山梨市の市指定無形民俗文化財となっている「隼の大わらじ」

今年も立派な大わらじ!これからは桜の花とわらじのコラボレーションが素敵★ 

国道140号線を山梨市から牧丘へ向けて走っていると、右手に見えます。

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■やまなし音遺産 〔第51回 “市川 花火”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第51回目は《市川の花火》です。

 

山梨県市川三郷町は花火が有名。毎年8月には県内最大の花火大会が行われます。

今回は、市川三郷町にある齊木煙火本店にお邪魔してきました。

 

花火は夏の風物詩なので、作業も落ち着いているのではと思いきや・・・

工場では今が花火作りのピーク!

昨年の9月から翌年分の夏に向けて、毎年4万発の花火を作るそうです。

齊木煙火本店では、県内だけでなく、全国の花火大会、コンクール用に作製しています。

 

山梨の花火は「甲州花火」と呼ばれ、昔から、愛知の豊橋、茨城の水戸に並ぶ三大花火といわれました。その「甲州花火」と呼ばれた花火が、ここ市川三郷の花火なんです。

 

今の時期は、花火作り真っ最中ですが、空気が乾燥する冬からこのような季節が花火作りには最適。

花火作りには大きく分けて、3つの工程があります。

  • 星・割薬作り
  • 玉詰め(玉込め)
  • 玉貼り

「星」とは、花火の光の一つずつ。星には、炎色反応を起こす配合した金属が含まれています。星に入っている成分が上空で火薬によって燃えて、炎色反応を起こしてさまざまな色に光るのです。

そして、肝心なものもう1つ「割薬」は、玉を爆発させるのに重要な火薬。割薬が燃え始めると、星に火を伝達するのと同時に花火の玉皮を膨張力によって破ります。

このようにして、色鮮やかな大輪の花が空に輝くんですね。

6cmの玉~4尺玉まで種類はありますが、齊木煙火本店では、主に尺玉をたくさん作製。

しかし、とても手間がかかる作業のため、1日2~3個しか作れないそう。なので、およそ2ヶ月かかります。

 

ちょうど、今は天気の良い日には、外で、星が天日干しされています。この天日干しはこだわり!

水分はカビやひび割れの原因になってしまうため、十分な乾燥が必要。

しかし、それだけが重要なのではなく、すべての作業がバランスよく揃わないと打ち上げたときに綺麗に開きません。

玉詰め(玉込め)は、球状の星を球状の玉に隙間なく詰めていく難しい作業。隙間があると着火などでムラが出てしまいます。そのため、半球に星を詰めながら、隙間をなくすように、鍋の蓋のようなもので上から何度も何度も叩きながらつめて行きます。

作業員はみんなベテランばかり!

玉詰めが済んだ玉には、今度は何重にもクラフト紙を貼っていきます。

 

もともと、市川が産地になったのは、花火作りに欠かせない和紙の生産が盛んだったことから。

光のもとになる「星」と、星に点火して四方に遠くまで飛ばす「割薬」を花火玉の中で直接触れないように仕切るのは、薄くて丈夫な和紙が最適。

その和紙に、昔は市川のものを使用していたそうです。

平安時代、京都から手漉き和紙の名人が市川に紙漉き技術を伝え、その後、名人を称えて、名人の命日に盛大に花火を打ち上げるようになりました。

これが「神明の花火」の始まり。

そして市川の花火は武田氏時代の「のろし」に始まるといわれています。

市川の花火師たちが徳川御三家に仕え、花火作りに専念したと言われてもいます。

 

江戸時代から盛んになり、日本三大花火の一つとして賑わった「甲州 神明の花火」

いつしか神明の花火の歴史も途絶えていましたが、平成元年によみがえり、今も私たちを楽しませてくれています。

齊木煙火本店の社長はじめ、皆さんは、もう既に夏が始まっている!とのこと!

私たちも今年の夏も待ち遠しいですね!

 

 

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齊木煙火本店

住所/市川三郷町市川大門74

TEL/055-272-0158

■やまなし音遺産 〔第50回 “バルサミコ酢”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第50回目は《バルサミコ酢》です。

 

山梨は、日本一の葡萄の産地です。

今の時季は、その年の実の付き方、収穫量、品質を左右する剪定が行われています。

枝や葉の広がり方を想像しながら、その枝を残すか?切るか?見極めるようになるには10年かかるとも言われています。

 

実った葡萄は、生食用ではもちろん、干し葡萄、ジャム、ワインに加工されて口にすることが多いですが、『バルサミコ酢』も葡萄から作られるものの一つなんです。

 

そこで、今回は笛吹市でバルサミコ酢を作っている農園に邪魔しました。

お話を伺ったのは、なでしこ農園の若月美智子さん。

若月さんは、1次産業として、葡萄の栽培を行い、2次産業として、その葡萄を使用し、自らの手で『バルサミコ酢』を作っています。

そして、それを自営のアンテナショップで販売しているという3次産業。

つまり、若月さんは葡萄の6次産業化に取り組んでいるんです。

 

始めたきっかけは、葡萄処理の問題。出荷できなかったものをどうにか加工できないかと思ったこと。

もともと『バルサミコ酢』は北イタリアのモデナ地方で1000年以上前から作られている葡萄が原料のイタリア特産の果実酢の一種。

イタリア語で「誇り高い」という意味で、イタリアには欠かせない調味料で、各家庭で「家庭の母の味」として、作られてきました。

若月さんは、モデナの伝統的なバルサミコ造りを独学で学び、そこから独自製法による国産のオリジナル・バルサミコ酢を作っています。

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20150311_142203.jpgしかし、具体的には、どのようにバルサミコ酢が出来上がっていくのか・・・

まずは、原料となる葡萄づくり→収穫→果汁搾り→アクを取りながら煮詰める。

煮詰めることが一番大変で一番重要!

アルコール発酵しないようにまずは素早く煮詰め、その後はゆっくり煮詰めて糖度をあげていくこと。

そのため、二回に分けて煮詰めます。一回目は糖度45度に。二回目には糖度60度に。

 

 

この際に、添加物な一切使用しません。葡萄本来の糖度を出していきます。

そして、「ぶどうの密」と名付けた「モストコット」と呼ばれる糖度60度になった葡萄の煮詰め液に、ワインとワインビネガーを独自比率でブレンドして、樽に入れて、待つこと3年!

じっくり3年掛けて熟成させます。

今年仕込んだバルサミコ酢は、なんと3年後にやっと味わえます。

そして、同じ味は一滴もないのも特徴。樽の中でどんどん熟成されていきます。

しかし、ずっと大きな樽に入れておくと、自然蒸散してしまうため、3年ごと小さな樽へ入れ替えていきます。

これがイタリアの伝統的な手法です。

樽の木の香りを移していくことで独特な香りを付けていきます。

4回だんだんと小さな樽に移し替えるため、最低で12年もかかります。

 

どの葡萄でもバルサミコ酢造りは可能です。

葡萄の品種によって、色も香りも味も違います。

若月さんはヤマブドウや、シャルドネを使ったバルサミコ酢があります。

ドレッシングとしても、煮物にも、アイスにかけても美味しい、酸っぱすぎず、優しい甘さの『バルサミコ酢』です。

 

 

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なでしこ農園

若月 美智子 さん

TEL/0553-26-3520

■やまなし音遺産 〔第49回 “あけぼの大豆”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第49回目は《あけぼの大豆》です。

 

山梨県南部身延町の特産品のひとつに『大豆』があります。

『大豆』と言っても、身延町で採れる大豆は一般の大豆とは違います。

そこで、今回は、身延町飯富大豆生産組合 組合長の佐野文秀さんを訪ねてきました。

 

身延町の特産品のひとつの大豆 その名も『あけぼの大豆』

明治時代に関西地方から、身延の曙地区に伝わってきたと言われています。

その、身延町中富の曙地区、標高400m~600mで栽培が始められたため、『あけぼの大豆』と命名されました。

本当に品種名は不明ですが、品種改良せず、在来種を大切に引き継いでいます。

佐野さんは30年ほど前から作りはじめたそう。

現在は、町で身延町内の遊休農地約2000平米を使って『あけぼの大豆』を栽培しています。

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一般の大豆と大きく違うところが大きさ。

『あけぼの大豆』は10粒並べると、6寸(約18cm)になることから『十六寸(とうろくすん)』という別名もあります。

また、地域性が強いため、生産量が限られ、特に枝豆は収穫期間も3週間程度しかないため「幻の大豆」とも言われてきました。

枝豆期間は短く、すぐ固くなって、大豆になってしまうそうです。

 

その貴重な大豆がすくすく育つのに最適な場所が、身延町です。

昼夜の寒暖差があり、よく霧が発生します。

この霧で大豆に潤いが与えられ、寒暖差が大豆の味を濃縮させるため、甘みが増します。

 

大豆農家の1年は、まず土づくり。6月に植え付け、その後、8月に水入れをして、雑草取りや病害虫対策。

そして、10月に枝豆の収穫を迎え、11月に大豆として収穫。

そこから、大豆の選別がはじまります。

この選別が大作業!機械で大まかに選別した後、一粒一粒手作業で選別。

良い大豆は、大きくて丸いもの。悪いものは、紫色でシワがあるもの。

これを朝から夜までやって、やっとおよそ20kg。佐野さんは年末年始、ひたすら選別。

収穫された大豆は、味噌、豆腐、湯葉、いり豆、きなこ、に利用されます。

また、町の観光センターでは味噌作り体験なども行われていたり、そのあけぼの大豆から出来た味噌を使った味噌もつ丼も今人気のようです。

 

また今年も10月に枝豆の収穫祭が開催される予定です。

甘みやコクがあり愛される『あけぼの大豆』

今年もお楽しみに♪

 

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あけぼの大豆

身延町飯富大豆生産組合

組合長 佐野 文秀 さん

TEL/0556-42-2316

 

■やまなし音遺産 〔第48回 “山梨むかしばなし”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第48回目は《山梨むかしばなし》です。

 

昔、おじいちゃんやおばあちゃんが話してくれた昔話。

全国にたくさんありますが、山梨県内にも昔話や伝説が残っているんです。

 

そこで、山梨の昔話や伝説を甲州弁で語り継いでいるのが、藤巻愛子さん。

山梨むかしがたりの会の代表を務める藤巻さんは甲州弁で民話の継承を始めて約25年。

昔は紙や筆記用具が十分になく、教育もままならなかったため、話や伝説は語り継がれてきました。

そして、同じような話も、その地域の気候風土や風習に合わせて少しずつ変わって磨かれてきました。

たくさんある昔話の中で、藤巻さんの作品は180話ほどです!

 

そんな藤巻さんが行っているのが「再話」という作業です。

山梨の昔話は郷土史研究家の土橋里木さんのおばあちゃんである、くらさんが語った話を孫の里木さんが文字に起こしたくさん残っているそうです。

藤巻さんは、それを読み、ストーリーを理解したところで、再想像して、頭の中で甲州弁に変換しながら作り上げていきます。これが「再話」。

先に物語を書いて甲州弁に変換するのではなく、頭の中で変換することにこだわっている藤巻さん。

それは、生きた甲州弁、生きた話にしたいからという思いもあり、頭で考えることによって、身体に沁みついている甲州弁がすらすら出てくるそうです。

 

藤巻さんは、県外で活動していた頃、「お国ことば」があることの魅力を知り、甲州弁で昔話を語るようになりました。

子供達は甲州弁で語っても理解できないのでは?と心配する人も多いですが、物語のため、子供たちは自分自身で想像を膨らますことができるそうです。

さらに子供の興味を引くために、クイズにしながらすることもあるそうです!

 

その他、昔話だけに限らず、お手玉やわらべうたも、過去からずっと子供たちが伝承してきたものです。

藤巻さんが小さい頃は、わらべうたを聞いて、歌って、ケンカもわらべうたでやるという生活だったのが、今では子供たちはあまりわらべうたを歌わなくなりました。

なので、昔話が終わるとリラックスのためにわらべうたを披露したり、子供達とお手玉をしたり楽しんでいるそうです。

 

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山梨むかしばなしの会

代表 藤巻 愛子 様

■やまなし音遺産 〔第47回 “馬の町”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第47回目は《馬の町・小淵沢》です。

 

山梨県内には19の乗馬施設があり、特に八ケ岳の麓に位置する北杜市小淵沢町は、古くは良馬の産地として、朝廷へ献上される馬や戦国時代の武田軍の戦馬が育成された「馬の町」です。

現在でも武田信玄が信濃攻略のために整備したとされる軍用道路「棒道」もあるんです。

 

今回は、北杜市小淵沢町にあるララミー牧場にお邪魔しました。

お話を伺ったのは石澤秀信さん。毎日馬と一緒に生活されています。

この八ケ岳南麓は、標高1000m 年平均気温10℃、夏の平均気温20℃、年降水量120ミリと馬にとって、非常に良い環境とのこと。

そのため、県内にある乗馬施設19のうち、13施設が八ケ岳南麓にあり、さらにここ小淵沢には8施設があります。

もともと小淵沢に乗馬クラブが誕生したのは1970年代後半ですが、爆発的に増えたのは1986年開催の「かいじ国体」とテレビの時代劇の影響です。

今では、時代劇の撮影現場で使われる馬の育成場もあり、施設内での体験乗馬から林間コース、国体をきっかけに作られた、プロの馬術競技場があります。

20150203_112540.jpgさまざまな乗馬体験もでき、外周コースもあるため、車で道路を走っていると所々に「馬歩行注意」のような看板もあるんですよ。

 今回伺ったララミー牧場は、乗馬が趣味だった秀信さんの父親が昭和53年に創業しました。

3頭から始まった馬も、現在は31頭に!!

小さい頃から乗馬を習い、馬術では山梨県代表国体選手だった、秀信さんの息子さんも、今では牧場を手伝い、親子3代にわたって牧場を守り続けてきました。

 

 しかし、秀信さんは、もともとはサラリーマン。

この牧場を継いだ秀信さんに馬について伺うと・・・

生き物相手なので、もちろんお休みはありません。

毎朝5時に起床し、掃除、餌やり、放場(運動)、手入れ・・・と休む間もなく動いています。

しかし、それは馬自身がしっかりわかっているんです。

馬は人に懐きやすく、従順。感覚も鋭くて相手の動作や声も識別できると言われています。

そのため、朝、秀信さんが来ると、馬も喜ぶようです。

馬は寒さに強く、暑さに弱い生き物。冬になると毛が伸びてきます。

運動をした後は汗をかくので、毛が伸びてしまうと汗が乾きません。これが体調を崩してしまう原因。

それを避けるために、毛を伸ばさないように、寒くないように、と馬着というものを1頭1頭に着させています。

「うちは過保護だから~」なんて、笑ってお話してくれましたが、ちゃんとした理由があるんです。

20150203_112041.jpgこのような「馬の町」小淵沢で育つ子供は、やはり馬は身近なもの。

小淵沢には乗馬のスポーツ少年団があり、国体出場を目指す子供もいます。

さらに、北杜高校には馬術部もあり、学校で馬も飼育しているんです。

 

「馬の町・小淵沢」が大きく取り上げられるのが、毎年8月。

「八ケ岳ホースショーin こぶちざわ」が開催され、火の輪の中を通るホースショーや騎馬隊によるマスゲームなどが繰り広げられます。

ここ小淵沢だからできること!!全国各地からお客さんが集まります!

そして、小淵沢をはじめ、八ケ岳の馬は、毎年4月に開催される県下最大のお祭り「信玄公祭り」でも活躍します!

 

 

 

 

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ララミー牧場

住所/北杜市小淵沢町10106番地

電話/0551-36-3298

■やまなし音遺産 〔第46回 “若草の十日市”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第46回目は《若草の十日市》です。

 

山梨県南アルプス市の若草地域で毎年2月10日、11日に開催される、旧正月明けの最初のお祭り。甲府盆地に春を呼ぶ祭りとして知られています。

今年も2日間でおよそ10万人の人が訪れました。

 

このお祭りの運営は、地元の十日市場区や南アルプス市商工会の皆さん。

そこで、商工会の加賀美さんにお話しを伺いました。

「十日市」は、文献によると、400年以上の歴史がある伝統のある市です。

十日市場区は富士川水運沿いで、山と里の中間点。

山の幸、野の幸をぶつぶつ交換するのに一番適している場所で市が始まったと言われているそうです。

さて、この「十日市」というと、臼や杵などの木工製品や甲州だるまなどが販売されるのが特徴。

県道沿いおよそ1キロにわたって、今年はおよそ270店が立ち並び大賑わいを見せました。

「十日市で売っていないものは、猫の卵と馬の角」を言われるほど、多くの品が並びます。

とはいえ、今年は「猫の卵」という名のお菓子がお目見えするなどユニークな場面もありました。

峡西地域の大きなお祭りのため、10日の平日は若草地域の小学校では午後は臨時休校になるほどです。

 

旧正月明けのお祭りなので、売られているものは縁起物が中心。

そんな中、十日市の醍醐味の一つは、露天商とのやり取りで、店主との値段交渉。

お客さんが楽しみにしているコミュニケーションの一つになっています。

 

IMG_0501[1].JPG以前、この音遺産のコーナーでも取り上げた、女性臼職人の佐野さん、瓦会館の永利館長もお店に出ていました。

佐野さんは今年10個の臼を出品。昨年よりは多く作れたということで、たくさんの中からお客さんに選んでもらえて嬉しいとおっしゃっていました。

 

そして、永利さんが売り込んでいたのは、「甲州十日市だるま」です。

この十日市だるまは、若草瓦会館が3年ほど前に、新名物として開発・制作した開運「福だるま」。

顔のまゆは「鶴」ひげは「亀」を表現。「七転八起」に縁起をかつぎ、頭に7本、腹に8本の金線が描かれています。

 

 

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そして、今年も、河口湖勝山から朝6時に出発して来たというザル・カゴを売っていた小林さんにもお話を伺えました。

今年はおよそ200個のザルやカゴを出品。

今年は去年よりもお客さんも多く、活気があると、イキイキと話してくれました。

 

色々なお店をのぞいていると、やはり値段交渉する姿が目立ちます。

しかし、これは大切なコミュニケーションの一つ。

昔は、値切り、少しでも安い価格にしてもらうが、支払うときには、もとの金額を払ってお客さんは帰っていったそうです。

それは「縁起物」を買うということで、店主へのご祝儀として、もとの金額を払っていたよう。

昔はこのような値段交渉をする粋なお客さんも多く、店主との会話を楽しみに来ていた人も多かったそうです。

 

何百年も前からみんなに愛されてきたお祭り。

当時から十日市のにぎわいは変わっていません。

昔は、サーカスが来たこともあったというほどですが、今では、よさこいや太鼓や猿回しなど、さまざまはイベントも行われています。

また来年をお楽しみに♪

■やまなし音遺産 〔第45回 “山梨の地酒”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第45回目は《もろみが発酵している音》です。

 

日本酒になる前のお米と麹が発酵している状態をいう「もろみ」。

ここ山梨で、このもろみが発酵して出来上がるのが山梨の地酒。

山梨県内には16の蔵元があります。うち酒造組合に属している蔵元は13社ですが、山梨の風土を生かした甲斐の地酒造りを行っています。

 

今回は、そのうちの一つ、北杜市にある山梨銘醸にお邪魔してきました。

お話を伺ったのは、山梨銘醸の常務であり、製造責任者の北原亮庫さん。

現在は大吟醸の仕込み真っ最中。

日本酒の仕込みは主に米の収穫が終わった10月から翌年の春にかけて行われます。

寒い冬の間に仕込んだお酒「寒造り」と言われ、蔵元にもよりますが、大概は普通酒やにごり系のお酒から造り始めて、一番寒い時期に大吟醸などのグレードの高いお酒を造っていきます。

 

山梨の地酒は、良質な地下水と内陸型の冬の厳しい気候条件を生かして作られるのが最大の特徴です。

2015-01-30-20-40-59_deco.jpgそして、ほとんどの蔵元が山梨の水と県産のお米を使っているんです。

 

日本酒造りの工程は、まず精米→蒸米→蒸米に麹菌を混ぜて麹造り・蒸米、麹、水、酵母を混ぜて、お酒にはもっとも大切な「もと」と呼ばれる酒母を作ります。

そして、さらに、お米と麹と「もと」と水を混ぜて醪を作って発酵させ、絞りへ・・・

 

このような工程を経て、やっとお酒一本が出来上がるまでにおよそ1か月半~2か月かかります。

さらに、一番大変なのは大吟醸の仕込みだそうです。

大吟醸は繊細さが求められるため、温度管理に神経を使います。

大吟醸の仕込みの時は泊まり込みで、夜も管理して、夜中に何回も見回りに行くと北原さんがおっしゃっておりました。

もちろん、全ての醪、毎日の朝晩の検温もかかせません。

 

美味しいお酒を造り上げる「七賢」の名で知られる山梨銘醸は1750年。

今からおよそ265年前に創業した蔵元。

古い町並みを残す旧甲州街道 白州台ケ原にあります。

今回お話を伺った北原亮庫さんは、大学を卒業後、岡山の蔵元で修行し、山梨銘醸にて下積みから酒について学び、4年前に酒造り専門の製造責任者になりました。

お兄様が次期13代目として、いらっしゃいます。

昔は、杜氏と蔵人の集団がいて、季節になると地方から蔵元へ酒造りに来ていました。

山梨銘醸も、北原亮庫さんが現場に入るまで、新潟や岩手、地元韮崎の杜氏さんがいらそうです。

杜氏さんは、自分の技術は誰にも教えず一人酒造りをしてきましたが、北原さんは全てオープンに・・・という考えをもっていらっしゃいます。

伝統の味、技法を守ることも大事ですが、時代にあった変革も必要だと・・・。

だからこそ、酒造りをする上で北原さんが大切にしていることは「チームの輪」だとも教えてくれました。

IMG_0479.JPG県内の蔵元でも新しいことにチャレンジしているところもありますし、山梨の日本酒は、国内はもちろん、海外にも売り込み、評価を得ています。

 

西に行けば、「これが西の酒だ」

東北へ行けば「東北の味だ」とわかるように、これは「山梨の酒だ」とたくさんの人に思ってもらえるような酒造りをして、山梨ブランドを作り上げていきたいと北原さんがおっしゃっておりました。

 

 

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山梨銘醸株式会社

住所/北杜市白州町台ケ原2283

TEL/0551-35-2236

■やまなし音遺産 〔第44回 “紙芝居おじさん”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第44回目は《紙芝居》です。

 

戦前からあったと言われる紙芝居。戦後は街頭で紙芝居を見る子供たちの姿があちらこちらで見ることが出来、その中から「黄金バット」という人気作品も生まれました。

 

実は甲府市にある遊亀公園では、晴れた休日に紙芝居おじさんに会えるんです。

自転車に紙芝居を積んで拍子木を鳴らしていたのは、小倉功さん。

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小倉さんは、山梨県内唯一の紙芝居師。

お父様(先代)が昭和7年にはじめ、紙芝居60年以上、自転車40年以上、紙芝居舞台30年以上・・・とすべて先代から引き継いだ年季が入ったもの。

 

戦後は紙芝居がブームで、山梨県内にも70人程の紙芝居師がいて、組合まであったそうです。

その組合の中で、紙芝居の披露する場所などが割り振られていたそうです。

しかし、テレビが普及すると紙芝居ブームも勢いがなくなり、昭和42年頃には、既に、小倉さんのお父さんただ一人だけになってしまったんです。

 

この紙芝居師は山梨県内はもちろん、全国でもとても珍しいものとなりました。

現在、守り続けるのは小倉功さん。

子供の時は、毎日家で練習するお父さんの紙芝居を子守唄がわりに聞いていたそう。

競争が激しかった紙芝居の世界で、毎日朝晩の練習は欠かさなかったというお父さん。

そのため、いざ、自分自身が紙芝居をやると、教えてもらわなくても自然と喋ることができたそうです。

そして、その喋り口調は甲州弁。これがとっても味があるんです。

紙芝居の裏にはセリフが書かれていますが、それは標準語。

そのため甲州弁に直して、8割がアドリブ! 子供たちに受けやすいようにしているそう。

学校や親御さんが使わない言葉を使わないことで、珍しそうに新鮮に見てくれると、小倉さんがおっしゃっていました。

さらに、紙を舞台から抜く速さや間も工夫。子供を楽しませるために、色々なことを考えて披露しています。

 

紙芝居はすべて手作りで、先代が購入した紙芝居800~1000巻を所有。

先代が長年続けてきた紙芝居ですが、父親が引退後、一時紙芝居も終わりそうに・・・

しかし、惜しむ声が続々と届き、父親を手伝うこともあった功さんが、会社員をしながら休日は紙芝居師として引き続きすることになったそうです。

IMG_0474.JPG紙芝居は駄菓子を売るための人集めの道具だったため、水あめが付き物♪

水あめは小倉さんの手作りで、いちご・メロン・ミカン味が各100円で楽しめます。

紙芝居クイズに正解すると、水あめがもらえたり、その他に、かたぬきやクジもあるんです。

 

小さい時に紙芝居を見たという大人が子供を連れてやってくることも。

拍子木が聞こえると、あっという間に小倉さんの周りにはたくさんの子供・大人が集まります。

独特の語り口調や年季の入った紙芝居に子供たちは新鮮。

そして、大人たちは懐かしさで自然とこみ上げ、タイムスリップ。

 

老若男女みんなが同じ方向を向いて微笑む姿・・・紙芝居おじさんの魔法にかかったようです。

 

IMG_0467.JPGそんな小倉さんの夢は、老人施設などでの紙芝居。

昔のことはきっと忘れていないだろう。

そんなことを信じて、もう一度楽しいことを思い出してほしいと、小倉さん自身も夢を持っていらっしゃいます。

 

 

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子供に夢と笑顔と思い出を、走れ紙芝居

小倉興行

代表 小倉功さん

■やまなし音遺産 〔第43回 “ブランド豚”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第43回目は《ブランド豚》です。

 

全国各地で美味しいとされる銘柄食肉、いわゆるブランド肉が開発されています。

牛肉、豚肉だけでも全国200以上の銘柄があると言われ、山梨県でも、牛、豚、鶏のブランド肉が育てられています。

 

そこで今回は山梨県のブランド肉を育てている養豚場にお邪魔しました。

千野ファームの千野律子さんにお話しを伺いましたが、千野ファームでもおよそ1800頭の豚を育てています。

昔、甲府市南部(旧中道町右左口)では24軒のうち、17軒が豚を育てていたというほど、日当たりが良く、風通しも良いため、豚にとって良い環境のようです。

しかし、現在は千野ファーム一軒のみ、県内では現在17~18軒の養豚場があるそうです。

 

そもそも山梨の養豚の歴史をさかのぼると、明治35年には、238頭が飼育されていたと記録されているそうです。

大正7年には1,000頭を超え、昭和10年には10,000頭を突破しました。

そして、小規模飼育から近代的な養豚へ変わる大きな契機となったのが昭和34年。

県下を襲った、台風7号と伊勢湾台風。

この時に、以前から親善を深めていたアメリカ・アイオワ州から災害見舞訪問がありました。

そして、アイオワ州から優秀な種豚35頭と飼料のトウモロコシ1,500トンが贈られたそうです。

その後、この種豚は県畜産試験場で飼育管理され増殖、順次、県内の養豚農家に貸し付けられ、近代化された飼育技術とともに県下に急速に普及していきました。

このアイオワ州の種豚をもとに研究・開発を続けて誕生したのが「フジザクラポーク。

 

千野ファームで育てられているのはフジザクラポークと同じ「クリスタルポーク」「東京X」「縄文スウィートポーク」の3種。

そこで養豚場の1日の動きや苦労な点も伺いました。

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肉豚(出荷直前の豚)は四六時中エサを食べているそうで、1800頭のエサにかかる費用は一か月およそ600万円。

まず朝は、親豚にエサをあげて、その後は巡視・清掃。

この巡視がとても大切。

一番気を遣うのは病気ということで、目で見て豚の様子を判断しなければなりません。

子供は下痢に注意、お腹がピクピクしている豚は熱がある、咳をしている豚には一刻も早く注射をしなければ死に至る・・・と、1頭も見逃せない大切な巡視です。

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一方、毎日種つけや交尾をさせたり、午後は小屋の移動を行ったりと休む間なく豚と関わっているわけです。

豚の出産は2回。一度に12~13頭出産。

 

なかには、大変なお産の豚もいると一晩中付きっきりになることもあるそうです。

しかし、生まれてしまうと豚の成長はあっという間!

産まれておよそ半年で成長・出荷。

体重110~120kg 良く太らせて、千野ファームでは週に2回出荷(1回4トン)

大切に育てているということもあり、情も入り、出荷のときは別れが辛い時もあると話す千野さんでした。

 

山梨では、さらに新銘柄豚に向けた努力が続けられ平成24年には「フジザクラDB」が誕生。

これからまだまだ山梨の未来が楽しみですね。

 

 

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千野ファーム

山梨県甲府市右左口町2264-1

■やまなし音遺産 〔第42回 “酒まんじゅう”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第42回目は《酒まんじゅう》です。

 

山梨県上野原市の庶民の味、上野原名物「酒まんじゅう」。

道沿いには蒸気をあげる蒸し器を店頭に置いているところもあり、近づくと甘い香りがしてきます。

 

現在は12軒のまんじゅう屋がありますが、そのうちの一つ「永井酒饅頭店」にお邪魔してきました。

永井酒饅頭店は地元1番の老舗です。

昔からの味を守り続けてきました。

12軒もの酒まんじゅう屋がある旧 上野原町は、旧 甲州街道沿いにあり、かつて甲斐絹の里として江戸と甲州の商人の出入りで賑わっていました。

 

20141212_111254.jpgこの永井酒饅頭店では明治時代から変わらない味。

そもそも「酒まんじゅう」は、清酒が入っているのではなく、炊いたお米と麹から作った酒種を小麦粉に混ぜ、発酵させた生地を使っているんです。

そのため、蒸かすと甘酒のようなお酒の香りがしてきます。

永井酒饅頭店では、明治時代から現在まで、酒まんじゅうの素になる酒種は毎日手を入れ、生かし続けてきたそうです。

そんな酒種を使って、前日から種づくり。炊いたご飯と米麹を桶へ入れて発酵させます。

そして、当日は朝6時半から作業開始。作り続けて午後1時頃に1日分のまんじゅうを作り終えます。

永井さんのところでは、4人の連携によってまんじゅうが出来上がっていきます。

玉切り(生地切り)、具詰め、成形、蒸かし、販売。

 

20141212_111239.jpgその作業、すべて手で行われています。

玉切り(生地切り)の作業も、包丁などの道具を使わず、手のひらの側面で切っていきます。それも、中に入れる具によって大きさも違うので、具詰めをする永井ご主人とコミュニケーションを取りながら良いテンポで行われていました。

どちらも長年の腕。

 

柔らかさを保つにはリスクもあり、発酵も難しいのが現実・・・

季節やその日の天気によって発酵が違うため、朝、仕込み桶を開ける瞬間は毎日緊張すると言います。まるで“生き物”のようです。

そのように手間を掛け、一日約600個作るそうです。

 

永井酒饅頭店では、餡・みそ・塩・おかか・とと(鱒)・高菜・餡なしの7種類を売っています。

おやつや昼食以外にお祭りやお盆などの人が集まるときにも欠かせない食べ物です。

毎朝お店に寄り、昼食に買っていく会社員の方もいれば、学校帰りに学生が集まることも。

老若男女問わず人気の上野原名物「酒まんじゅう」です。

 

長寿の里と呼ばれる「棡原(ゆずりはら)」を源流とする水が使用されている上野原の「酒まんじゅう」。

明治、大正、昭和、平成と、いつの時代も素朴な味は愛されています。

 

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永井酒饅頭店

山梨県上野原市上野原1596

TEL/0554-63-0109

■やまなし音遺産 〔第41回 “ひなづる漬け”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第41回目は《ひなづる漬》です。

 

山梨県上野原市秋山地区では、昔から長かぶが栽培されています。

その長かぶを材料に作られる「ひなづる漬」が特産品となっています。

 

そこで、「ひなづる漬け」について、上野原市役所の渡辺さんに伺いました。

「ひなづる漬け」に使われる長かぶは「東京長かぶ」という品種で、長さ20cmほどの大根のような形をしています。

この長かぶを使った漬物は、昔から各家庭では、塩味で作られていましたが、特産品として特徴を付けるために、特製の醤油ダレが開発され、「ひなづる漬け」が昭和58年に誕生しました。

そこで、気になる「ひなづる」というネーミング。

これは、地域に伝わる鎌倉時代の伝説にまつわる雛鶴姫の伝説から付けられたそうです。

上野原には、「雛鶴峠」「雛鶴神社」「雛鶴街道」など「ひなづる」という言葉が付くものが、いくつかあるそうで、この漬物も皆に馴染みのある名前になりました。

 

昔から作られている長かぶですが、生産組合の人が種から育てています。

長かぶの生産者は13人。

9月中旬ごろから栽培を始め、11月初旬から順次収穫が始まりますが、収穫後、そのまま工場に持っていくのではなく、生産者が、その場でカブの毛を取り、葉も程よく量を整えてから工場に運ばなくてはならないため、手間と生産者の思いが一つ一つに掛けられています。

20141219_104231.jpg今年出荷された長かぶは全体で6.8トン。

製品としては500g入りと、250g入り、合わせて6000袋程度出荷されています。

塩漬けにするため、生産量の1/3ほどの重さになってしまうんです。

 

さて、そして運ばれてきたカブを「ひなづる漬け」に製造するのは、地元の高齢者3人。

仕込み真っ最中の作業現場にお邪魔してきました。

 

収穫され、運ばれてきたカブをまず水洗い。

その後、およそ3週間かけて3回塩漬けと水洗い・脱水を繰り返します。

そして、4回目の漬け込みは特製の醤油ダレに漬け込んで、「ひなづる漬け」の完成。

さらに、仕上げの特製ダレと一味唐辛子が入れられ、真空パックされた袋の中でも漬けこまれている状態と同じため、なんと5回も漬けこまれていることになるんです。

 

市内で獲れた長かぶをまるごと漬け込み出来上がる甘辛い風味とコリコリとした独特の歯ごたえに毎年虜になっていく方が多いそうです。

 

旬の味!

12月中旬から販売が始まっていまして、だいたい2月頃まで上野原市内のスーパーなどで購入することができるます。

 

 

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ひなづる漬け

上野原市役所 建設経済部経済課商工観光担当

TEL/0554-62-3119

山梨県内にある“後世に残したい音”  第40回目は《木遣り》です。

 

消防の出初式などで披露される歌。甲府市無形民俗文化財にもなっています。

実は、歌うのは鳶職人なんです。

 

そこで、山梨県鳶工業連合会 甲府市消防記念会の方々に木遣りについて伺いました。

甲府市消防記念会は6つの組で構成されています。

甲府火消の伝統を受け継いで、保存や披露する団体です。

甲府城下は江戸時代初期に火消し人足制度が組織されました。

これは全国的に見ても極めて早く、300年以上の長期にわたり伝統的な技術が伝えられています。

 

《木遣り》は労働歌のひとつです。

材木運びや土づくりなど、力作業に息を合せるための掛け声が歌になったそうです。

これが、鳶職に伝承された歌。口伝で歌い継がれていきます。

木遣りにも必ず最初に歌われるのが「真鶴」

「鶴の一声」ということから、仕事を始めるときの合図として、はじめに歌われます。

 

現在は、消防の出初式やお祭りで歌われることが多く、この木遣りと同時に纏振り梯子乗りが行われます。昨日(1/4)、甲府市でも出初式で披露されました。

 

この纏振りも、梯子乗りも行うのは鳶職人。

鳶職人とは建築業の中で高い場所での作業を専門とする人ですが、なぜ、鳶職人が消防と関係があるのでしょうか?

それは、家の作りをよく知っているのは鳶職人であるから。

江戸幕府が旗本の“火消し役”に任命したことをきっかけに消防組織が生まれました。

江戸城や武家屋敷の消防を行う「定火消」や「大名火消」に対して、町の人の火災時には鳶職に消火をさせました。

そのため、屋根では組の心意気と象徴として、およそ20kgある大きな纏が振られていたんです。

 

そして、もう一つ魅了するのが「梯子乗り」

梯子の高さは、およそ6.3m。梯子はもちろん消防記念会の会員の手作り。

鳶口と刺又と呼ばれる火消し道具を持って、8人で梯子の足元を支え妙技を披露します。

記念会5つの組にそれぞれ梯子乗りがいます。

梯子に乗れる人は、身長、体重、体格などを基準に選ばれるそうで、取材した二番組では4人が練習中でした。

高さの恐怖はもちろん、足腰で身体を支えるので力も必要。

技には「遠見」「藤さがり」「鶴亀」などがあります。

2013年には富士山の世界文化遺産登録記念で5合目で梯子乗りを披露したそうです。

 

昭和40年代には、甲府でも女性の梯子乗りもいたそうです。

 

江戸時代から続く町火消しの文化や伝統技術を、今もこのように「甲府市消防記念会」が継承し、粋な姿を見せてくれています。

機会があれば、その勇姿をぜひたくさんの方にご覧いただきたいです。

 

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山梨県鳶工業連合会 会長・甲府市消防記念会 二番組

有限会社 加々美組

住所/笛吹市八代町北3179-4

TEL/055-261-7031

■やまなし音遺産 〔第39回 “竹炭”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第39回目は《竹炭の風鈴の音》です。

 

山梨県南巨摩郡身延町では特産品として、「竹炭」が作られています。

 

その竹炭を作っているのは、地元の高齢者およそ20名からなる身延竹炭企業組合の皆さん。

そこで、理事であり生産部長の片田一弘さんが竹割りをしている作業中にお邪魔しました。

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企業組合の皆さんの平均年齢は70歳。

もともとは、銀行員、農業者など様々な経歴を持つ、身延町在住の定年退職した方々が集まって、現在竹炭作りをされています。

山から竹を切って、完成まで一貫して組合員が行っているのが特徴です。

 

作業工程は、まず山から竹を切り、長い一本の竹を4本や6本など輪切りにします。

そして、今度は一定のサイズに短くなった竹を縦割り、(3つや4つや6つに分割。)

さらに節取りを行って、束に竹をまとめてヒモで縛ります。

そうするとたくさんの束が出来上がるので、やっと窯入れができます。

やはり力仕事のため竹割りからは機械作業ですが、一本一本竹を割っていかなければならないので、時間もかかります。

竹炭ができるまでおよそ15日間もかかるため、一度に350kg~400kg生産をしているそうです。

 

身延で採れる竹には特徴があります。

身延で採れるのは「孟宗竹(モウソウチク)」。

この孟宗竹は竹の種類の中で一番肉が厚く、一番大きるなる竹。

1日に1メートルも成長すると言われるほどの生命力を持っているそうです。

身延の和田峠は孟宗竹の宝庫ですが、プラスティックなどの登場で竹の利用が減少し、さらに地主の高齢化により竹林が荒廃してしまっていました。

そこで、荒廃地を綺麗にするために、1990年に竹炭づくりのグループが発足。

機械なども組合員が出資して、本格化させていきました。

そのため、竹炭はもともと身延の特産品ではなかったんです。

それが、組合の活動や、年間120万人訪れる身延山の参拝客を通じて、身延竹炭の名が全国に広まり、今や特産として守り続けられています。

 

竹炭には、木炭の2~3倍の気孔と呼ばれるあなが空いているため、水の浄化や消臭効果があるといられています。

なので、お米を焚くときに使う人や、靴の中に入れて使う人も多いですよね。

 

企業組合では竹炭を使った風鈴のような工芸品、枕、竹酢液、シャンプー、石鹸、珈琲などを開発しています

 

このように、地域資源を使い、竹炭づくりを支えるのは、定年退職された方々のシニアパワー。

大変な作業なはずですが、竹炭作りには魅力がたくさんあるそうです。

それは、毎回出来が違うということや、ドキドキ・ワクワク感。

一番肝心な温度調節では窯の温度が700℃~800℃を保つように見守ります。

だからこそ、窯を開ける瞬間というのは、たまらなくワクワク・ドキドキするとお話してくれました。

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また、12月は竹炭だけではなく、門松作りもしていました。

 生産量はおよそ100組。2メートル近い門松を作っていてとても立派でした。

門松に使う竹はもちろん、藁も組合員が種まきから行い作っているそうです。

 

組合員みなさんが、どれだけ「竹炭」に思いをかけているかわかりますね。

 

 

 

 

 

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身延竹炭企業組合

住所/山梨県南巨摩郡身延町角打2635-2

TEL/0556-62-3611

■やまなし音遺産 〔第38回 “染物”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第38回目は《生地を染めている音》です。

 

古代から人間は綿や麻で織った布を草木で染めてきました。

それは、時代とともに染料や技法の開発が進み、機械化されています。

しかし、今でも伝統的な本染めで幟旗や暖簾などの染物を作るところが、この山梨県内にもあるんです。

 

明治25年から染物業を営んでいる、笛吹市の山下染物工場を訪れました。

ここでは大きな幟旗が作られており、「引染」という技法で行われていました。

「引染」とは、色ごとの型を作らないので、枚数が少ない物や、一枚の製品に多数の色が使われるときに行います。

 

まずは、生地に下絵を描くところから始まります。下絵は紅花から取れた染料で描きます。

その後は、「糊置き」。これぞ職人技!

一番重要だというこの糊置きは、防染のため。

「もち米」「塩」「石灰」「米ぬか」を材料として作られます。

「糊筒」というホイップクリームを出すような物を使い、縁取っていきます。

力加減で糊の量が変わるため、とても難しい作業ということです。

そして、「糊置き」が済むと「色差し」(筆で染める)、「色止め」(密閉された部屋で熱処理)、その後、「水洗い」「乾燥」、最後に、武者幟の場合は、目やヒゲ、両家の紋を書いて、ラメを入れて、縫製して完成・・・と続いていきます。

さて、「水洗い」ですが、今はホースなどで洗い流していますが、昔は川で洗っていました。

今は、汚染や水量の減少により、出来なくなってしまったんです。

しかし、水洗い以外の工程は昔と変わっていません。

 

今回お話を伺った山下勲社長は、3代目。

職人の父親の姿を見て育ち、幼い頃から絵を描くのが好きだったということで、自然とこの道に入ってきたそうです。

 

山下染物工場では、現在、幟旗、暖簾、法被、横断幕などを作成。

ただ染めるだけではなく、文字や模様から描いていくんですよ!

全国から依頼があるということで、たとえば“大相撲のぼり”も、色鮮やかで、大きくて、とても立派なものでした!

完成まで5~10日かかりますが、さらに屋外作業もあるため、天候や気候にも左右されます。

 

 

 

 

さて、山梨ならではの染物といえば「甲州武者幟」です。

端午の節句に鯉のぼりと同様、男の子の無病息災と立身出世を願うために立てられるものですが、“甲州”と付くだけあって、特徴があります。

それは、まず大きさ!

甲州武者幟は長さ9mもあります。(地方はおよそ7.5m)

そして、描かれる絵も地域それぞれ。

山梨では、武田信玄(川中島合戦)や風林火山の文字も描かれることが多いそうです。

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そもそも武者幟は、戦国武将の旗指しもの(家紋を染めたのぼり旗)が起源。

室町時代末期の武家社会には端午の節句に旗指しものを飾る風習がありました。

武家の風習を庶民が真似、端午の節句に武者幟を全国各地で立てるようになったわけです。

そのため、今も父母両家の家紋を入れたり、子供の名前が入ります。

 

手染めとプリントの違いは、やはり同じものは一枚もないということ。

色にも深みがあります。

山下社長は、自分の作品は遠くから見ても、絵や文字や染め方に特徴があってわかると話してくれました。

 

もう、今から5月に向けて大忙し!

来年の5月、また、空に山下さんの甲州武者幟がたくさん見られますよ。

 

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有限会社 山下染物工場

住所/笛吹市御坂町八千蔵454

TEL/055-262-3068

■やまなし音遺産 〔第37回 “木臼”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第37回目は《木の臼を掘る音》です。

 

富士川町(旧増穂町)平林区は、鎌倉時代から木臼をはじめとする木工品づくりが行われています。平林は櫛形山の中腹になり、林業が盛んなためです。

お隣の南アルプス市で毎年2月10日に開かれる「十日市」でも平林の木工製品が有名で、臼も十日市の風物詩です。

 

戦後20人ほどいた作り手も高齢化や格安製品の輸入などの影響で減ってしまい、今は3人程度。そのうちの一人が、なんと女性の佐野ふきえさん。

 

もともとは普通のOLをしていた佐野さんでしたが、佐野さんの師匠となったやまなしの名工 故・深沢俊人さんの作業に見とれてしまったといいます。

欅の丸太がみるみる臼になっていく様子に惚れ込んで、深沢さんに弟子入りしました。

はじめは工具を持たせてくれないことはもちろん、何もできません。

しかし、見て覚えるため、ずっと深沢さんについて修行をされていたそうです。

現在は家業である養殖場を手伝いながら、臼を作っています。

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木臼の重さは、およそ60kg。直径45cm。

女性一人には大変な大きさ!

そんなこともあり、師匠も家族も最初は本当にできるのか?と疑っていたそう。

しかし、師匠のところに通い続け認めてもらい、工具を渡されて「やってみろ」と言われた時は本当に嬉しかったのを覚えていると佐野さんは話してくれました。

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現在は、来年2月の「十日市」に向けて、本格的な制作期間中!

2週間でやっと1個が仕上がるというとても大変な作業。

まず、チェンソーで丸太の中を刳き、のみで少しずつ深く掘ってくぼみをつけていきます。

そして、てっくりやかんなで表面を綺麗にしていきます。

臼の中をボール状に刳り抜くことにより“返し手”がいなくても餅をつくことができます。

 

今年は1月末までに5~10個作るということで今は大忙し!

しかし、佐野さんは深沢さんを受け継ぎ、十日市に木臼を出店するということは大きな思いがあります。

それは、深沢さんは生前、ずっとずっと、いつも、「十日市」から木臼が消えることを懸念していたのを、近くで佐野さんは知っているからです。

その遺志を継いでいきたいという佐野さんの思いは格別です。

 

「十日市」で売られる臼を見て、孫に餅つきをさせたいと喜んで購入する人や、臼を見て、家にある臼をもう一度出してみようかと、改めて臼のことを考えてくれるお客さんがいるそうです。

佐野さんも自分で作った木臼でついた餅が一番おいしいと思う!

そのようにおっしゃっておりました。

 

今年の2月「十日市」に並ぶ木臼お楽しみに!!

 

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木臼職人 佐野ふきえさん

住所/南巨摩郡富士川町平林2714

    忍沢養殖場内

■やまなし音遺産 〔第36回 “笹子追分人形”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第36回目は《三番叟口三味線の音》です。

 

三番叟は、この国に伝わるたくさんの芸能の中でも最も古いもの。日本最古の歴史書『古事記』に記されたものがたり「天岩戸伝説(あまのいわとでんせつ)」の頃まで遡ることができると言われています。

さて、そんな三番叟などに乗せて演じられる人形芝居「笹子追分人形」が大月市笹子町にあります。

三番叟の口三味線は笹子追分人形ならでは。とても珍しいものです。

 

そこで今回は笹子追分人形保存会の天野会長にお話しを伺いました。

この保存会は昭和26年に発足。

長い間、地域内で伝来されてきました。

人形芝居は寛永15年(1638年)に山梨県大月市笹子の地につたえられました。

笹子が宿場町だった当時、街道第一の難所である笹子峠に差し掛かるころには日暮れになってしまったんです。

そのため、旅人は宿をとると、他に何の楽しみがないことと、それまでの旅の疲れを癒すために人形芝居を楽しんで翌日の峠を越えていました。

これは、ずっと人形芝居を伝え歩いていた江戸の人形遣い(吉田冠二)から教わり、盛んに演じられるようになっていったそうです。

当時の舞台は宿屋や民家の座敷か土間が普通。

このように昔から長い歴史を経て、伝わってきています。

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長い歴史の中では、大変なこともありました。

保存会は、高齢化などの影響で、平成6年に一度途絶えてしまいます。

しかし、平成17年に復活。現在は小学生~60代のおよそ20名の皆さんが守っています。

 

人形芝居というと、欠かせない大切なものが「人形」

江戸時代から続いてきた人形でしたが、明治35、40年の2度の水害で人形全てが流されてしまいました。しかし、一つだけ、当時の2代目座長が抱えて逃げたカシラがあります。

それが、三番叟のカシラでした。

その後、必死に買い集めた人形はなんと120体。何体かは現在も残っているそうです。

人形は1体1メートルで、5~8kg。

飛騨の檜が使われ、体の中では色々なからくりが施されています。

実は、現在、県内唯一大月市に一人だけ、追分人形を支えている人の一人・人形細工師がいるんです。それも貴重ですよね。

 

1体1メートル、5~8kgする人下用は三人で操ります。(一人が足、1人が左手、一人が右手とカシラ)

これはすぐに出来るものではなく、ちゃんと扱えるようになるまで、およそ3年。

さらに、人形の動きに自分の感情が入りやすく、かつ3人で呼吸を合わせなければならないので本当に難しい芝居です。

 

笹子追分人形保存会の皆さんは、八王子車人形西川古柳座の五代家元、西川先生による指導を受けて練習しています。

西川先生は、江戸時代から伝わる車人形、3つの車がついた箱型の車に腰かけて、1人が操る特殊な一人遣いの人形芝居をされています。

 

そのような方に指導を受けて、保存会の皆さんは日々芝居を磨いています。

笹子では小学校でも追分人形の授業を取り入れて文化祭で発表するという馴染みがある人形芝居。

地域みんなで守り続けています。

 

次回の公演は2月1日 山梨県立文学館で行われるそうです。

指先まで繊細に動く人形の動き、そして言葉なしで表現される人形の表情に注目頂きたいです。

 

 

 

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笹子追分人形保存会

住所/大月市笹子町黒野田91

追分ふれあいセンター

電話/0554-25-2339 

■やまなし音遺産 〔第35回 “干支 土鈴”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第35回目は《土鈴》です。

 

土を焼いて作った鈴。起源は古く縄文時代からあります。

振ると中にある玉が壁にあたって「カラカラ」と高く澄んだ音がします。

 

そこで、今回は山梨県内で土鈴作りと言えば、この人、2代目・斉藤岳南さんの工房にお邪魔しました。

 

現在は、来年の干支である「羊」型の招福土鈴の制作真っ最中!

土鈴は厄除けの一つ。

来年の干支は「羊」。

親子ひつじというのがポイントで、子供が母に甘え

、母ひつじが子供を心配そうに見ている表情がなんとも言えません☆

 

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 土鈴作りは、原型作り→型取り→およそ900℃で焼き→絵付け→乾燥。

11月中旬から、絵付けを行っている岳南さんですが、毎年、どの作品にも必ず「松竹梅」が書かれています。

そして、干支の絵にはピンク、赤、青、緑、黄色など鮮やかな色が使われています。

毎年コツコツ作り、大きい土鈴は2000個、小さい土鈴は1500個、絵馬は3500個制作するということで現在は大忙し!

6月から原型作りに取り組んでいて、絵入れや乾燥を入れると業は節分前の1月25日頃まで続くそうです。

 

大きさはもちろん粘土の厚さ、底の切り口の長さによって音が変わります。

一番神経使うのは目。目一つで表情が変わるため、目を入れる位置やご自身の気分・機嫌にも気を遣いながら行うそうです。

干支の顔を書き、松竹梅を書き、目入れは最後に描かれます。

 

現在職人歴45年の斉藤さんは、建築設計技師の道をやめてまで、「なんとか郷土玩具を残したい」という思いで、伝統工芸職人の道を選んだお父様をずっと間近で見てきました。

会社員をしながら、配達だけ手伝っていたという斉藤さんでしたが、石が猫に見えたり、流木がチドリに見えたり・・・と郷土玩具作りの道に入ってきました。

しかし、父親は何も教えてくれず、「見て覚えろ。技術は盗め」の精神でやってきたそうです。

はじめにさせてもらえたことはダルマの白い色塗り。

その色塗りだけ2年ほど行い、やっと松竹梅が書けるようになったそうです。

 

斉藤さんは干支の土鈴以外に、「甲州親子だるま」も作っています。

およそ400年の歴史があると言われる甲州親子だるまは山梨県の伝統工芸品にも指定されています。

 

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 ダルマの形は、昔、養蚕が盛んだったことから繭の形に似せて、色も白。

親子で目線が違うのも特徴です。

親の目は神棚に飾った時に拝む人と目が合うように下目使いに描かれ、子供はまっすぐな未来を見ているように正面に描かれています。さらに子供には、出世してほしいという願いから立派なヒゲも描かれています。

素敵な縁起物ですよね☆

 

郷土玩具は、素朴で生活に密着しているものが多いため、その土地に伝わる伝説、風習、風俗、民話がバックボーンになり、その土地にある材料を使って、その土地の人間が100年以上コツコツと続けてきたもの。

そう語る2代目・斉藤岳南さんのモットーは「あなたに小さな幸せを」です。

 

来年の干支羊の土鈴作り。今日もたくさんの人の幸せを筆先に込めています。

 

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民芸工房がくなん

住所/甲府市池田二丁目4-5

電話/055-252-7661

■やまなし音遺産 〔第34回 “枯露柿”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第34回目は《枯露柿》です。

 

食欲の秋!柿の美味しい季節です!

この季節、山梨県内の民家の軒先に干し柿を見かけることがあります。

甲州市塩山松里地区は「枯露柿の里」と呼ばれる全国有数の産地。

棚干しするとき、毎日、裏表に返し「ころころ転がす」ということから「ころ柿」を呼ばれています。

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実は、この地域のJAフルーツ山梨松里果実支所には「ころ柿部」があるんです。

今回は副部長の相沢一秋さんの作業現場にお邪魔しました。

 

今年は11月1日から枯露柿作りをスタートした相沢さん。

一日300kgの皮を剥いて、毎年およそ1か月は枯露柿作りに集中するそうです。

 

もともと「枯露柿」は最古のドライフルーツとも言われ、信玄公の時代には陣中食として、そして江戸幕府には甲州八珍果の一つとして献上されていました。

※甲州八珍果・・・「葡萄」、「梨」、「桃」、「柿」、「栗」、「林檎」、「石榴」、「銀杏または胡桃」

 

1415672518439.jpg干し柿というと「あんぽ柿」と「枯露柿」がありますが、この2種類の違いは水分量です。

 

「あんぽ柿」は水分が50%、「枯露柿」は水分が25%~30%で甘み成分の結晶化した白い粉が吹いたもの。水分がほとんど枯れるまで干すことから「枯れる露」と書いて、「枯露柿」と書かれるとも言われています。

 

 

 

 

 

収穫から完成までおよそ1か月半!

まず、干し棚「ウシ作り」、そして、収穫。収穫はおっぱさみという竹竿を使います。

その後、「へた切り」「肩取り」「柿剥き」・・・と続き、「柿剥き」が終わると、柿をヒモで括って、いよいよ干す準備です。

 

「ヒモつけ」の後は、「硫黄殺菌」をします。

この硫黄が一番大変なところ、天気・湿度や柿の大きさ・重さに合わせて、硫黄の量を調節して燻します。

一番神経を使うところだと相沢さんもおっしゃっていました。

 

そして、硫黄によって、綺麗なオレンジになった柿は「ウシ干し」され、「アンマ(手もみ)」、「棚干し」「屋内乾燥」され・・・渋柿がだんだんと甘くなり、白い粉が吹、き甘く仕上がってきます♪♪

とても長い時間がかかり、美味しい「枯露柿」が出来上がります!

 

今年は、柿は豊作で、相沢さん宅では3.5トンの枯露柿をつくるそうです。

柿の皮も無駄なく使い、皮は漬物に使っているそうです。

農家さんだけの特権かもしれませんね☆

相沢さんが子供の頃は、おやつとして食べていたそうです!

 

現在では、地元の松里中の生徒が授業の一貫として体験に来て、枯露柿についてや郷土愛などを学ぶそう。

 

今年は12月10日ころにお目見えするという「枯露柿」

枯露柿つくりは、相沢さんにとって、腕の見せ所であり、やりがいのある仕事ということです♪

 

まだ塩山松里地区では、軒先にかかる柿のすだれ(カーテン)見られるかもしれません♪

また山梨の風物詩ごらんください^^

 

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JAフルーツ山梨松里果実支所

住所/甲州市塩山三日市場3234

電話/0553-33-3096

■やまなし音遺産 〔第33回 “畳刺し”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第33回目は《畳》です。

 

畳は日本の文化。日本独自の床材です。

奈良時代には権威を表すものとして使用され、鎌倉時代になると床全体に敷かれるようになり、江戸時代以降、民衆に普及しました。

 

山梨県内にも、まだ畳の良い香りが漂い、縫う音など聞こえる畳店があります。

今回は、昭和町で畳店を営んでいる畳刺しの塩沢政博さんに畳について伺いました。

塩沢畳店は主に畳の交換を行っています。

この道24年の塩沢さんは、子供の頃からお父さんの背中を見て、畳の香りに包まれてきました。そのため、子供の頃には、畳屋になることを決めて、高校卒業後には、父親のもとで修行するのではなく、あえて静岡の畳屋へ修行に出ました。

静岡はすべて「手縫い」。

手縫いという確かな技術を学ぶことで、家に帰ってきても機械だけに頼るのではなく、目や手で覚えた感覚を最大に使うことができるといいます。

 

そんな塩沢さんは、山梨県内で数少ない若手畳刺しの一人です。

2009年畳ドクターに認定されました。これは、当時、塩沢さんが山梨県第一号。

その他、各賞も受賞されています。 

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畳の特徴というと、湿気が多く、夏暑く、冬寒い日本の気候風土にぴったりですよね。

それは、畳には調湿や断熱効果があるから。

さらに、香りの癒し、防音効果、空気清浄効果もあります。

 

畳の交換を行っている塩沢畳店ですが、この11月~12月が一番畳交換が多いとのこと。

それは、年末に向けて大掃除と一緒に畳交換を考えるお客さんが多いからです。

畳交換は5~10年に一度は行ったほうが良いと塩沢さんは薦めています。

皆さんのお宅はいかがですか?

 

そもそも畳の構造は、中の芯の部分(基礎)にあたる「畳床」「畳表」「畳縁」からなります。

畳床は昔から少し変化もしています。昔ながらの畳床は稲わら。しかし、今はポリスチレンや細かいチップの板などが使われているところもあります。

一枚の畳ができるまでは、まず縁をはがし、寸法をわら等を使い足して調整、新しい畳表のサイズに合わせて切ります。そして、床に合わせてピンと張り、縁ではない一間を縫い、縁を縫って仕上がりとなります。

 

畳の大きさは、家によっても違います。

さらに、関東・関西でも違います。江戸間は一間を六尺(1m82cm)、京間は一間を六尺五寸(1m97cm)です。

 

良い畳とは、床に昔ながらの稲わらが使用されていて、イ草もたくさん使われ、縫い目が細かいもの。

畳一畳分に使用されるイ草は、およそ4000~5000本。高級なものになると7000本ものイ草が使われます。

最近ではオシャレの畳も増えてきました。例えば正方形の畳を敷き詰めたもの、市松模様、また縁なしのものも題材の洋風住宅には流行っているそうです。

 

・集中力を高める効果

・調湿機能、保温、断熱性

・空気清浄化

・香りによる沈静効果

・弾力性

・吸音効果

 

イ草や畳に良いことたくさん。

 

12月からはい草を使って門松作りも始めるそうです!

 

 

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塩沢畳店

住所/中巨摩郡昭和町押越920-2

電話/055-275-7576

■やまなし音遺産 〔第32回 “粘土節”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第32回目は《粘土節》です。

 

粘土節とは、中央市旧・田富地区で歌い踊り継がれている曲。

この地区の子供から大人まで、誰もが一度は聞いた、そして歌った曲なんです。

 

この「粘土節」は明治時代に誕生。

田富地区は釜無川沿いにあり、盆地内で最も低い場所です。

そのため、昔は雨が降り続くと、各河川は増水して、氾濫を起こしていました。

甲斐国史によると、一帯が湖のようになり、家のカマドでオタマジャクシが蛙にかえって飛び出してくるようなことが、10年のうちに5~6回もあったと言われている。

特に、明治18年の大氾濫は、田富はもちろん、盆地一円を、泥と砂の海と化。

これを機に、時の政府が明治20年に堤防の改修工事を命じました。

そして、この工事には、老若男女問わず地域住民が作業員として借り出されました。

男性が粘土を築堤現場まで運び、女性は杵と平打ちを使って、粘土を打ち固める。

この単調の作業を繰り返しているうちに、田の草取り歌や盆歌が歌われ、それが杵と調子が合うようになり「粘土節」が誕生しました。

よって、この「粘土」とは、築堤現場で使われた「粘土」のこと。

 

そんな作業中、ひときわ若く、美人で声のいい“お高やん”と呼ばれる18歳の娘がいた。

“お高やん”はアイドルのような存在になり、彼女がいるだけで、作業がはかどったなどとも言われています。

2014-11-10-10-51-14_deco.jpg「粘土節」は昭和56年に旧・田富町の無形文化財に登録。

歌と踊りは、まず男性女性に分かれて、女性が踊り、男性が歌や楽器(笛・太鼓)を担当。

また、一人の男性は粘土を運ぶ様子を演技。

女性は全員、肩から日本手ぬぐいを下げ、手には杵や平打ちを持って、みんな歌に合わせて同じ動きをします。

そして、気になる「粘土節」の歌詞

“粘土お高やんが来ないなんて言えば広い河原も真の闇”

“粘土つくにも繻子の帯しめて、嫁に行くときや何をしめる”・・・♪

 と、“お高やん”が主人公の歌詞になっています。保存会で歌い継がれているのは「正調粘土節」で5番まで。

 

「粘土節」が無形文化財に登録された翌年に保存会が発足。

保存会のメンバーは現在23名。男性13名、女性が10名。

先日11月3日に開催された「稲穂まつり」でも披露され、福祉施設への慰問なども行っているそうです。

そして、中央市田富小の3、4年生に教えて、毎年運動会で児童が披露をします。

児童が踊り、歌を保存会の男性が担当。

小学生も喜んで踊り、ずっと歌い継がれてきたこの粘土節が披露されると、周りからは大きな拍手が湧くそうです。

 

子供から大人まで、一度は聞いたことがある歌ったことがある「粘土節」

人から人へとしか伝えることができない無形文化財は伝える人が命。

「粘土節」によって、多くの人が結びついていけたら良いですね。

ぜひ、田富地区ご出身の方がいらっしゃったら「粘土節」聴かせて頂いてください♪

 

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粘土節保存会

(中央市教育委員会内)

住所/中央市臼井阿原301-1

電話/055-274-8522

■やまなし音遺産 〔第31回 “錦鯉”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第31回目は《錦鯉》です。

 

「鯉」と言っても錦鯉。

錦鯉は日本で作られた唯一の観賞魚。

そんな、古くから日本の芸術・文化の一つとして親しまれてきた錦鯉ですが、実はここ山梨は全国屈指の錦鯉の飼育地。

これは山梨県民にあまり知られていない事実です!

 

IMG_0355.JPGしかし、なぜこの山梨県で錦鯉なのか、

石和錦鯉センター(リオスフィッシュパーク)の雨宮さんに伺いました。

 

そもそも、錦鯉というのは、色や斑紋があり、鑑賞用として飼育する鯉。

およそ200年間前に、新潟の山古志村や、その周辺で養殖していた真鯉が突然変異を起こして、赤や黄色や、黒などの鯉が生まれました。そこから品種改良をして、現在の錦鯉が誕生したそうです。

 

 

 

その錦鯉が盛んな場所が、山梨県笛吹市石和町。

新潟の鯉の生産者が、昭和36年に石和温泉が出来たとき、池を作り、鯉を入れたところ、冬でも餌をたくさん食べ、色がとても綺麗になるということから、石和の水が錦鯉に適しているということが広がり、石和の錦鯉文化も広がっていきました。

鯉の健康状態に一番良い水温は24~25℃。

(のちに、専門家が分析したところ、温泉の中でカロチンをたっぷりと含む植物性のプランクトンであるラン藻が赤く発色を進めたことが分かりました。)

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昔は、山梨県内には30軒ほど錦鯉の生産社があったそうですが、今は4軒ほどになってしまいました。

しかし、日本全国では、新潟、広島、山梨などが生産量トップクラス。

山梨県の調べによると、山梨県の生産量は、平成25年およそ30トン

 

 

 

 

錦鯉の育ち方は・・・

鯉は、春に産卵、夏に成長、秋は冬眠の準備をして、冬に冬眠。

錦鯉は、ある程度のところまで大きくなると、そこから育つ環境の広さによって成長の具合が決まります。

そのため、大きく立派な鯉にするには、野池で管理をしなければなりません。

その期間は春から秋までで、自然の池で育ちます。

そして、立派に大きくなった鯉を秋に上げる(収獲)「池上げ」を行うんです。

鯉を去年買った海外のお客さんたちは、この池上げを楽しみに再び日本にやってきます。

だんだんと水かさが減っていき、錦鯉がピチピチとしだす、抱え込んで「池上げ」。

この瞬間というのは、お客さんにとっても、鯉を育てる生産者にとっても感動の時だそうです。

 

錦鯉も品評会があります。

その品評会では、「体系」「色」「模様」を重視されます。

錦鯉というと、「赤・黒・白」の3色。

斑紋も、一つだけの連続模様より、斑紋がいくつかに分かれているほうが、一般には人気。

しかし、前後左右にバランスの取れた模様が基本。

それほど、こだわりをもって育てられる錦鯉は「生きた宝石」とも言われます。

なんと、品評会では、山梨で育った錦鯉が6回世界を制覇しています。

そのうち4匹は石和で育った錦鯉なんです!

誇るべき山梨の「生きた宝石」です♪

 

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(養殖場・事務所)

住所/笛吹市石和町八田142-2

電話/055-262-4191

(直売店)

リオスフィッシュパーク

住所/笛吹市石和町市部840

電話/055-262-7878

■やまなし音遺産 〔第30回 “甲州名物 煮貝”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第30回目は《煮貝》です。

 

山梨の名物である、アワビの煮貝。

アワビを煮てそのまま醤油仕立ての汁へ漬け込んだもの。

現在は、晴れの席や贈答品として親しまれています。

 

今回は、信玄食品の海野さんにお話しを伺ってきました。

煮貝の誕生は、昔の人の知恵です。

四方を山に囲まれた甲斐の国山梨県人にとっては、海産物はとても高価であり、強く憧れを持っていました。

昔、駿河湾沼津に出かけた商人が、甲斐の国に戻る際、持ち帰るまでに傷まぬよう、新鮮なアワビを浜で煮て、醤油に浸し、樽に詰めて馬の背に乗せて運びました。

すると、甲府に着くころにはちょうど食べごろの味になっていたと言われ、昔の人の知恵で生まれた名物です。

また、アワビは神様への献上物でもあり、「あわびのし」とも言われ、縁起も良く、めでたい席で目にします。

全国に誇れる山梨の伝統食になりました。

そのため、山梨県民一人当たりのアワビ消費量は全国一ともいわれているんですよ!

 

アワビの種類はたくさん。

アワビは巻貝の一種で、ミミガイ科に属する貝です。

オスは肝が淡いおうど色、メスは深緑色。

世界では数百も種類があり、日本では主にクロアワビ、マダカアワビ、メガイアワビ、エドアワビの4種類です。

信玄食品では、日本だけでなく、オーストラリア産、南アフリカ、チリ、中国、韓国のアワビも扱っています。

去年、日本が世界から輸入したアワビが全体でおよそ2000トン。

そのうち、およそ200トンを信玄食品で輸入。これだけ聞いても、山梨がアワビ消費量全国一というのもわかるでしょう。

 

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そして、私たちが食べられるようになるには、様々な工程を経て、やっと食卓にお目見えします。

一日に扱うアワビの量は、およそ1トン。年末になると2~3トン。

綺麗に洗ったアワビは、その後、袋の中でつけ汁に入れられ、密封され、120℃を超える殺菌温度による加圧熱釜に入れられます。

中には、綺麗に洗われたアワビが、殻と合わさり袋詰めされるものや、スライサーで細かく刻まれて混ぜご飯の素になるものもあります。

さらにこれからの季節はおせち!手作業でナイフが入れられるものもあり、手間暇かかるものなんです。

 

これだけ、今や山梨の伝統食として愛される美味しいアワビ!

煮貝の鍵となる作業があるんです。

それは、アワビの柔らかさを出すには新鮮なまま、すぐに煮ること。

なので、現地の作業員に煮る方法を教え込むのが難しい。

生きたまま、冷凍してしまうのではなく、現地でまず煮てから保存することで、日本に輸入されて解凍された時に、貝の死後硬直の度合いが少ないようです。

そのため、現地で煮込むことにこだわって、柔らかさを残しているそうです。

 

またアワビの種類によってつけ汁も変えています。

この何十種類にも及ぶつけ汁も、100人を超える作業員の中でも、作れるのは3人だけ!

アワビの状態、湿度、温度によっても微妙に変わってくるということで、秘伝のつけ汁だそうです。

 

アワビが出来上がるまでにたくさんの音が生まれていました。

またたくさんの人の手も関わっていました。

このようにして、山梨の伝統食は守られているのだと改めて感じました。

 

今年の年末年始、晴れの日も、皆さんのご家庭に煮貝がお目見えするのではないでしょうか?

 

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株式会社 信玄食品

住所/甲州市塩山藤木1870

電話/0553-32-3324

FAX/0553-32-3141

 

■やまなし音遺産 〔第29回 “養蚕”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第29回目は《蚕が桑の葉を食べている音》です。

 

山梨県は、江戸時代、東山梨や東八代地域を中心に養蚕が盛んでした。

それは生産高全国上位を占めたこともあります。

しかし、明治に入ると、中国や韓国産のものが安く輸入されるようになり、昔一面に広がっていた桑畑の多くは果樹園に切り替えられ、養蚕業も衰退していきました。

 

そんな中、現在も養蚕技術の伝統を守っている富士川町の芦澤定弘さんに伺いました。

芦澤さんはこの道40年ほど。

養蚕は昭和50年代が最盛期でしたが、芦澤さんはちょうどその頃お父様の後を次ぎました。

昔はたくさんあった養蚕農家も、山梨県内、今は15軒。

今から十数年前には、県内のいたるところに桑畑が見られたが、今はほとんどありません。

 

芦澤さんのところ蚕の卵を、長野から仕入れてそこから飼育が始まります。

蚕の飼育は春5月から始まり、秋10月で終わります。

それは、蚕の餌の桑の葉が採れる時期限定だけなんです。

蚕は一日3食、およそ1.5トンの桑を食べます。

養蚕業とは、良い桑を育てて、その桑が蚕の餌になり、蚕に立派な繭を作ってもらうという手間のかかる作業なんです。そのため、桑も蚕も慎重に育てなければいけないんです。

 

蚕には呼び方があります。

卵からかえった幼虫が一齢。

脱皮は4回ありますが、脱皮を繰り返すごとに二齢~五齢と呼びます。

そして、繭を作る直前の蚕は体が透き通り、アメ色のようになります。

このことを山梨では「蚕がひきる」と言います。

また、養蚕農家では蚕を子供のように大事に育てることから「おぼこさん」と呼ばれているんです。

 

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いよいよ蚕がひきると、繭作りへ・・・

蚕の這い上がる習性を活かして「もず・まぶし」という箱におびきいれます。

この「回転もず」は大正時代に竜王(現在の甲斐市)の斎藤さんが開発した山梨発祥のもの。

現在では、全国のほとんどの養蚕農家で使っています。

 

繭の年間生産量はおよそ2トン。

その後、「甲斐絹」の材料として郡内方面や長野などに納められます。

 

山梨の養蚕業を学ぶため、静岡から人も来たと言われているほど、静岡の養蚕業は山梨県が大きな影響を与えました。

 

芦澤さんのところには、現在、フィリピンから研修生が来ています。

さらに芦澤さんは年に一回、フィリピンへ出向き、養蚕を教えているそうです。

そのため、フィリピンの養蚕業はすべて芦澤さんの教えに基づいて行われています。

 

 

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養蚕農家 芦澤定弘さん

富士川町最勝寺

 

■やまなし音遺産 〔第28回 “削り節”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第28回目は《鰹節を削る音》です。

 

削り節は日本食の基礎調味料の一つ。

生粋の日本古来の天然調味料。

魚の頭や内臓を取り除いて、煮て、骨を取り除き、煙でいぶして乾燥させ、カビを付けて再度乾燥させます。

そうすると、生の魚にはない風味が生まれます。

 

そこで、実は、四方を山に囲まれ、海がないこの山梨県で、一件のみ、削り節のお店があるんです。

甲府市地方卸売市場外にある「小沢朝雅商店」。

今回は小澤一幸さんにお話しを伺いました。

 

小沢朝雅商店は、昭和9年に甲府市魚町(現在・富士川小入口~金山神社東周辺)に創業。

この「甲府市魚町」というのは、明治25年に魚町二丁目に甲府魚市場が開設され、魚商人が集住して、この地が「魚町」として栄えました。

現在は、「魚町通り」と、道の名前として「魚町」の名が残っています。

しかし、昭和48年、甲府市地方卸売市場が開設。

魚町にあった、小沢商店も移転され、長い間、おじい様から始まった乾物屋(削りのお店)として、今も変わらず営業しています。

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お店に入ると、削り節のいい香り♪

 

削り節の種類には、鰹、サバ、マグロ、いわし、ムロアジ、ウルメ、サンマなどさまざま。

小沢商店では静岡などから取り寄せた鰹とサバの削り節を加工。

まず、蒸気ボイラーのスチームで「節」に水分を含ませてそれを削っていきます。

原料の状態やその日の気温や湿度も考えながら蒸す時間なども調整するそうです。

これも、朝早くから作業が始まります。

朝早くから、削り節の音が聞こえ、いい香りが漂ってくるんですよ♪

 

 

削り方は二種類

薄削り(花かつお)・・・香り重視 / 厚削り・・・コク重視

料理によって使い分けると良いそう。県内のお蕎麦屋さんでは、ブレンドして使っているところもあるそうです。大切な調味料ですね。

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おじい様のときからある「削り節機」

この機械には、刃がたくさんついています。

刃は、節の見た目、味、香りを左右する重要なもの。

刃をとんかちで叩きながら調整しています。

静かな工場の中に、カンカンカンと響く。

この音は、小沢さんも小さいころから聞いて育ったそうです。

しかし、小さい頃は、この機械に触れたことはなかったようです。

職人のみぞ触れることができるこの機械に触れたのは、自分が静岡へ修行に行った際。

静岡で始めて、この機械で削り節を自分で作ったそうです。

 

今は、このように削りも機械化されているので、手で削ることはなかなか聞くことができません。

また、昔は金物屋さんで多く売っていた削り器も今はほとんど見かけない。

しかし、削り節は削りたてが味も香りも一番!

懐かしい!もう一度、家庭で削りたい!と、削り器を小沢さんのところから購入していく人もいるそうです。

年配の方は、「子供の頃、お袋にやらされたなぁ・・・」なんて言う方もいるそうです。

 

 

 

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株式会社小沢朝雅商店

住所/甲府市国母6-6-1

電話/055-228-1628

 

■やまなし音遺産 〔第27回 “身延山御会式のお囃子”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第27回目は《身延山御会式のお囃子》です。

 

日蓮宗総本山の身延山では、日蓮聖人の命日である、10月13日の前日12日に、毎年、日蓮聖人を偲ぶ「御会式」が行われます。

この御会式はとても賑やかお囃子によってたくさんの方々が、町内を歩きます。

 

県内外から、およそ2000人が参加します。

これは、身延町民にとっては、年に一度の大行事。昔は、身延のみの地域のお祭りのようなものでしたが、観光協会などが中心になり今では、県内外から参加行列が来るそうです。

身延の地区は5つの区が参加。

今回は、そのうちの上町区の河井淳さんにお話を伺いました。

 

正式には「身延山御会式万燈行列」

日蓮聖人がお亡くなりのなり733年。今もなお毎年、命日10月13日に合わせて前日に御会式が行われたり、日蓮聖人を偲んでいます。

「万燈」とは、昔、信者が提灯を持って、日蓮聖人を偲ぶ参拝をしていました。そんな人がたくさん増え、行列ができ、一人(一灯)、二人(二灯)、三人(三灯)・・・となり、何万となったことから「万燈」となったと言われています。

日蓮聖人の“ご臨終の地”として知られる池上本門寺でも同じ御会式が行われます。

池上は参加講も多く、その数は身延の50を大きく上回り、およそ130講のようです。

 

そして、万燈行列には決まり事があります。

日蓮聖人がお亡くなりになられた10月13日、季節外れの桜が一斉に咲いたと言われています。その説を言い伝え、また、多くの弟子たちがこの桜の下でお聖人を悼んだと伝えられたことから、行列でも「桜」の飾り物も特徴の一つになっています。

纏(まとい)、竹の柳に和紙で作った桜の花を飾りつけた万燈に引き、太鼓(団扇太鼓)、鉦、笛で行列は出来ています。

さらに行列の先頭に付く太鼓は高い音、後ろに付く太鼓は低い太鼓♪こんな決まりもあります。

太鼓は日蓮宗には欠かせないものです。“法華の太鼓”とも言われ、お題目をあげる前などには必ず用いられます。

昔、法華経の信仰が盛んになると、お聖人ゆかりのお寺への参拝などが人々の間に浸透するようになり、江戸時代から携帯して街頭でも使用できるように、団扇太鼓が誕生しました。御会式でも昔は、その名残で団扇太鼓を使っていたそうです。

万燈行列の飾りも自分たちの手作りで太鼓も一人自前で購入しているそうです。

現在は、今週末12日に向けて各地区でお囃子の練習中。住民は毎晩このお囃子をBGMに過ごしているんです。

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子供たちも大人に負けないくらい上手で楽しそうに練習していました。

2歳のお子さんも頑張っていました♪

叩き方など、誰が教えたわけではなく、自然に子供たちの身体にしみついていたそう。

 

いよいよ、今週末12日に盛大に行われます!

身延の方々は、ここから一年が始まるというような気持ちで迎える方もいらっしゃいます。

一年に一度の大行事「身延山御会式万燈行列」

10月12日 午後4時に総門を出発し、門前町~山門~久遠寺の順路で行列が歩きます。

そして奉納式が午後10時まで行われるということです。

 

太鼓、鉦、笛の音、お題目の声が響きます!

 

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日蓮宗総本山身延山久遠寺

住所/南巨摩郡身延町身延3567

電話/0556-62-1011

 

■やまなし音遺産 〔第26回 “郡内織物”〕

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第26回目は《郡内織物》です。

 

今回はとてもリズミカルな「シャトル織機の音」です。

今も変わらず機織りの音が響く町、富士吉田地域は、江戸時代から織物業が盛んな地域。

「甲斐絹」「郡内織物」「ふじやま織」と呼ばれ、井原西鶴の作品にも登場するほど高級な織物と認識されていました。

この富士吉田の主要産業である織物業は、昔は女性が中心。

そのため、食事を準備するのは男性でした。そこで力強い男性がうどんの麺を打ったため、「麺の太さ・硬さ」が特徴の「吉田のうどん」が生まれました。

「郡内織物」と「吉田のうどん」は、古くから深い関わりがありました。

 

そこで、今回は富士吉田市で90年以上続く織物業社「舟久保織物」の3代目、舟久保勝さんに郡内織物について伺いました。

一般の織物は、製品を作り終わったあとに色を染めますが、郡内織物は「先染め」が特徴。

事前に染めてある糸を織ります。

先染めは非常に鮮やかで高級感あふれる柄を作り出すことが可能!

その他に、郡内織物は「細番手」「高密度」「多品種生産」が大きな特徴です。

絹、キュプラ、ポリエステルをはじめとする長い繊維の細い糸を使用(繊細な生地が作れる)

糸を高密度に束ねて、ふんだんに使用(ネクタイ生地にはおよそ1万本)

洋服の裏地、ネクタイ以外に、洋服、スカーフ、カーテン、クッションなどが生産されています。

 そして、舟久保さんのところでは、傘の生地を作っています。

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 実は、一つの傘が出来るまで、たくさんの工程を経て、たくさんの人の手が加わり出来上がります。 染色専門、仮織専門、柄をつける専門などなど・・・それぞれのプロでリレーをして、傘が出来上がってくるんです。

そんな富士吉田は傘産地として全国一!技術を誇り、色、柄、形に相当な工夫が凝らされています。

傘を織る糸は、およそ3000~7000本の糸を使います。

織る時間は1時間でおよそ1m。一日で20m、傘の80から85本分を織ります。

 

さらに、舟久保さんのところでは、ほぐし織という技法を使っています。

ほぐし織とは、明治40年頃にフランスから伊勢崎地方に伝わりました。

その後、八王子を経て、山梨の織物産地であった郡内地域に伝わってきました。

江戸時代から「甲斐絹」の産地として名をはせ「絵甲斐絹」という、織り機の上で型染めをする独特の技法がありましたが、昭和18年頃に消滅。

一方、ほぐし織は100年以上歴史を持つ技法です。

縦糸に仮織(数cm感覚で横糸を入れる)を施し、肩を使って平台の上でハンドプリントをします。

それからいくつかの工程を経て、機械にセットされ、型染めの時に糊で固まった縦糸をほぐし、仮織の糸を抜いてから本織で生地を仕上げます。

生地プリントとは違い、柄の際がかすれて、柔らかく温かみが感じられる柄に仕上がることがこだわりと特徴です。

この「ほぐし織」は大変手間のかかる織物。

 

高校卒業と同時に家業を継いだ舟久保さん。

現在もなお、お父様、お母様、そして奥様と家族で機屋さんを営んでいます。

お父様、お母様の年齢を合わせると159歳。

活き活きとしたご様子で現役で機を織っていました。

 

昔は両隣3軒機織りの音が聞こえたそうですが、今は周りには10軒ほどしか織物業は残っていません。

2004年にはおよそ500社あった織物工場の数も、今は、およそ350社。

しかし、県内、都内の若者がブランドなどを立ち上げ、伝統を守ろうと試みています。

この長い歴史と伝統のともし火を消さぬように、機織り業者皆さんで、工場見学も積極的に受け入れて、情報交換なども行っています。

郡内地域を散策してみると、何処からか、シャトル織機の音が聞こえてくるかもしれません♪

 

 

 

 

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舟久保織物

住所/富士吉田市小明見2016番地

電話/0555-22-2684

山梨県内にある“後世に残したい音”  第25回目は〈鎌で稲を刈る音〉《武川米》です。

 山梨では今稲刈りの季節を迎えています。

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県内各地でお米は作られていますが、盛んなのは山梨県峡北地域。

特に北杜市武川町でとれる「武川米」は穀物検定協会の食味ランキングにおいて、新潟魚沼コシヒカリなどと並ぶ最高ランク特A評価を得ています。

 

昔稲刈りは鎌でやっていましたが、現在は機械で行われています。

 

そこで今回は、武川町で奥様と二人で稲刈り真っ最中の 武川ファーム亀井重治さんにお話をうかがいました。

米作りは1月頃には苗作りがスタートし、田おこし、代掻き、田植えを行い、病害虫・雑草などの手入れをして9月にやっと収穫になります。

その中で、一番大変な部分が「苗作り」だそうです。

 

武川米とは、北杜市白州町から御勅使川までの釜無川右岸で収穫できるお米を指します。

武田家の始祖武田太郎信義が自分の領地で収穫されるお米を「武川米」と名付けたのがはじまり。

そして、江戸時代から「武川米」と言われ、長い歴史、高品質が評価されてきました。

昭和24年、国の農業試験機関で開発された「農林48号」が有名ですが、流通の少なさなどから「幻のお米」として全国的にも有名です。

 

こんなに有名な米が生まれ、さらになぜ美味しいのかの秘密は武川の環境にあります。

南アルプス甲斐駒ケ岳の麓に位置する武川は一年中ミネラル豊富な雪解け水を利用してお米が作られます。

また、地形的に扇状地になっていて、豊穣な土を毎年開墾しています。

気候も昼夜の寒暖の差が大きく、お米の登熟にはもってこいの気候。そのため、美味しく出来上がります。

 

稲刈りが済むと、乾燥⇒調整(常温に戻す)⇒籾摺り⇒袋詰めという作業です。

現在は全て機械化。昔は工場にたくさんのおばさま方が集まり、次から次へと袋へ詰めて紐を結んで・・・と、とても大変な作業だったそうです。

 

今回お話を伺った亀井重治さんは農業組合法人武川ファームの組合長でいらっしゃいます。

武川ファームで育てているお米もありますが、ファームにお願いされているお客さんのお米を管理するのも仕事なんです。

 

そして、そんな亀井さんを支えるのが奥様。

奥様は、韮崎から武川に嫁ぎ、義父母の米作りをずっと手伝っていたため、ご主人より奥様のほうが歴は長い。

子供をつれて、お弁当を持って長い間稲刈りをしてきたという奥様。

昔は子供も一緒に田んぼにくるのが当たり前のように、あちこちで子供の姿も見たが、今は、まったくそんな様子もないそう。

しかし、亀井さんのお子様は、昔に思い出と武川米が大好きということは変わらず、さらに自分の子供に同じ経験を、と、田植えのときには孫もつれて遊びにくるそうです。

 

昔は各家庭で米作りをしていたため、小さな田んぼがたくさんあったそうです。

しかし、今は少なくなり、田んぼも広くなり整備されているので、四角いきれいなだんだん畑になっています。

 

山梨には、コシヒカリ、あさひの夢、ひとめぼれなどが作られています。

 

黄金色に輝く稲。

今稲刈り真っ最中です。

 

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農業組合法人 武川ファーム

住所/北杜市武川町山高3599

電話/0551-26-2211

山梨県内にある“後世に残したい音”  第24回目は〈麹を混ぜる音〉《甲州味噌》です。

 

「お味噌汁」それは日本の食卓を支える文化ですよね。

山梨県には、山梨ならではの「甲州味噌」があります。

この味噌作りに欠かせないものの一つが「麹」です。

麹は生き物のため、そのままにしておくと温度が上がり、固まっていくので、ほぐしながら温度を下げます。

そのように慎重に「麹」と扱い、この「麹」と大豆、そして塩から「甲州味噌」が生まれていくんです。

 

そこで、今回は甲州味噌を作っている五味醤油株式会社の五味洋子さんに、甲州味噌について伺いました。

五味醤油は明治元年より味噌・醤油の製造を始め、147年にわたって醸造業を家族で営んでいます。

現在は、味噌中心に醸造。家庭的な会社だからこそ、昔ながらの製法にこだわった手作りの良さがポイントです。

 

今日ご紹介するのは、この「甲州味噌」

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普通の味噌は、東北が中心の米麹を使ったサッパリ風味の米味噌

東海が中心の豆の麹を使ったコクのある八丁味噌

九州が中心の麦の麹を使った甘い味の麦味噌 の三種類に分けられます。

 

一方、わが山梨の「甲州味噌」は、米麹と麦麹をだいたい半分ずつミックスした「合わせ味噌」なんです。日本全国ではとても珍しい山梨独特の手法。

米味噌ベースのサッパリ味に麦の香ばしいコクが特徴。

そもそも、甲州味噌が誕生したのは、甲府は狭い盆地で斜面が多く、稲作に適していなかったため、米の収穫が少なく、関東味噌の特色である米麹だけでは、お味噌を作るには足りませんでした。そのため、裏作として麦も育てられたことがきっかけなんです。

このように「甲州味噌」が生まれたわけですが、どの味噌作りにも最も重要なのが「麹」。

五味醤油さんでは、一年通して麹を作っています。

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麹の部屋は麦と米で二つに分かれていました。麹の温度の上がり方によって、部屋の温度も調整します

 

五味さんのところでは、麹は手で混ぜていました。

手で混ぜるというのは、麹作りにおいて温度管理が大切。目安は人肌なので、人の手で温度を感じながら作ることを大事にして、全て手作業でおこなっています。

 

麹が完成したら、その後、大豆を煮て、麹と混ぜて樽で寝かせて発酵させることで味噌が出来上がりますが、工程の中で、一番手抜きできないのが、この「麹作り」だそうです。

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今の時期は、麹作りのほか、こんな作業もしていました。

唐辛子を潰して、味噌が完成した時に、味噌と一緒に混ぜるそうです。 

これは、夏ならではの作業。1回限りです。

唐辛子はこだわりの山梨鳴沢のものを使用。

その量は、およそ100kgです。

 

最後に、みその仕込み作業を担当する、6代目若旦那の

五味仁さんにもお話をうかがいました。

年間、大豆は20トン使い、およそ80トン仕込みます。

先代が築きあげてきた技術を守り続けています。

若旦那五味さんにとって、味噌作りは、可能性があるものだとおっしゃっておりました。

それは、甲州味噌はずっと続いてきた文化ですが、まだ知らない方も多い。

しかし、知らず知らずのうちに、ほうとうなので口にしていた甲州味噌なので、これからはもっと認知してもらい、残していかなければいけないものだと使命感を持って味噌作りをしているそうです。

その中では、「味噌」自体も身近に感じてもらおうと、最近では「手前みそ」をすすめ、「てまえみそのうた」を出したり、ワークショップなども行い、普及に努めていらっしゃいます。

 

山梨が誇る「甲州味噌」

どんな文化と歴史が詰まっているか・・・まずはご賞味あれ♪

 

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五味醤油株式会社(味工房 やまご)

住所/甲府市城東1-15-10

電話/055-233-3661

山梨県内にある“後世に残したい音”  第23回目は≪ぶどう≫です。 

山梨県はぶどうの栽培面積、生産量ともに日本一。

1300年の歴史があり、品種も多岐に渡ります。

そんな山梨の名産品ですが、今ちょうど露地栽培の大粒ブドウが出荷し始め最盛期を迎えています。

そのため、各農家さんからは、「鋏の音」「箱詰め」の音が聞こえてきます♪

 

そこで、今回は甲府市で葡萄栽培をしている、植原葡萄研究所の植原剛さんに今年の葡萄について伺いました。

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今年は天気もよく、粒も張って、甘味も強いということ。

果物の中で葡萄が一番バラエティーに富んでいて、さらに果物の中で一番糖度が高いのも葡萄♪中には、ハチミツを舐めているように甘いものや、糖度が22度というものもあるんです。

房作り、摘粒(房落とし)、ジベレリン処理、傘掛け・・・と経てやっとお客さんに届けられる葡萄になります。

しかし、出荷までの作業も大忙し。早朝に収穫⇒房を整えて傷んでいる粒を挟で落とす⇒袋・紙で包む⇒箱詰⇒出荷と一日中かかる作業です。

お客さんに傷みのある葡萄を贈るわけにいかないため、ひと房ひと房丁寧にチェックして、地道にハサミで傷んでいる粒を落としています。慎重な作業です。

葡萄農家は今がちょうど出荷に追われて、年間で一番忙しい時期。

植原葡萄研究所では、最盛期には一日ブドウおよそ500kg(2~4kg)の贈り葡萄の詰め合わせ150箱くらいを出荷するそうです。

 

ただ、今年はここまでくるには、大きな出来事がありました。

2月の「豪雪」

植原さんのところでは、一部の施設に被害はあったそうですが、葡萄そのものへの被害は少なかったということ。しかし、あの夜は、ほぼ一晩中ハウスの上に上って雪を下ろし続けていたそうです。あっちのハウス、こっちのハウス・・・と気が気ではなかったそうです。

その苦労からやっと出来上がった今年の葡萄。

植原さんたちの葡萄への思いもまた今年はひとしおです。

 

植原葡萄研究所は葡萄の生産だけでなく、品種の苗木の生産もしています。

畑で葡萄見ながら、品種開発などについて、植原所長に伺ってきました。

 

葡萄の苗木の種類は現在200種類以上。今までのものも含めると1000種類超えるほどたくさんあります。また、葡萄には、ヨーロッパ系とアメリカ系があるとも教えてくれました。あの有名は「巨峰」は、ヨーロッパ系とアメリカ系の葡萄を交配したいいこと取りの葡萄のようです。

 

植原所長は、この道50年以上。大学を卒業し、長男で跡取りだったため、自然にこの世界に入ってきたそうです。 おじいさま、お父様、そして現在の植原宣紘所長と3代にわたって葡萄栽培を続けてきました。

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お父様の開発で有名なものが「甲斐路」植原さんのところの畑には、樹齢50年以上の「甲斐路」の原木が見守っています。

これは先代お父様の形見でもあるそう。

 

現在の植原所長が交配してできたのが「ロザリオビアンコ」です。

世界的に食味評価が高いロザキ×マスカット・オブ・アレキサンドリアという名門の親から生まれた貴公子。山梨県特選農産物の指定品種にもなっています。

 

このように、新しい品種が誕生しますが、一つの品種が生まれるまでにおよそ20年かかります。また葡萄の品種探しに海外に出かけることもあるそうです。

品種開発の方法の一つとしては、親同士を同時に食べてみる。そうすると合う、合わないがわかるということ。

しかし、やはり、成功確率は宝くじが当たるようなもの。たくさん考えても良くできるのはほんのわずかです。

 

もう今は、そしてこれからも「ブドウ」と一言では留まらない品種が溢れています。

山梨県民は、ブドウはとても身近なため、いくつかの品種を言える人が多いそうです。

巨峰、ピオーネ、甲斐路、ロザリオビアンコ、シャインマスカット、ゴルビーなど・・・

これは県民ならではですね♪

もっともっと、山梨から全国へ、ブドウのたくさんの品種が広がってくれると嬉しいです。

そのために、今日も明日も明後日も、葡萄農家さんは、出荷!出荷!!

鋏の音が響いています!

 

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植原葡萄研究所

住所/甲府市善光寺一丁目12番2号

電話/055-233-6009

山梨県内にある“後世に残したい音”  第22回目は≪甲州鬼瓦≫です。 

南アルプス市(旧若草町)加賀美という地区では、昔、瓦づくりがとても盛んでした。

それは、この地区は御勅使川扇状地の先端で、粒子の細かい粘土層が露出し、良質の水が手軽に取れたことからです。

この瓦づくりの起源は数百年前、江戸時代(約300年前)に始まったと言われ、幕末の甲府城修築のときには、瓦御用を務めるなど古い歴史と伝統を持っています。

そこで、平成元年にこれまでの技術を活かして「甲州鬼面瓦」が開発され、平成10年には代々受け継がれてきた伝統技術を一人でも多くの人に伝えたい、見て体験してもらいたいことから「若草瓦会館」が設立されました。

今回はこの「若草瓦会館」で瓦作りを教えている、学芸員の永利さんにお話を伺いました。

若草町加賀美の瓦作りは、明治36年の国鉄中央線の開通後、県外まで販路を拡大し、最盛期の昭和25年頃には、およそ30軒を数え、品質、生産量とともに県内随一を誇っていましたが、交通手段の発達、後継者不足、競争激化により、徐々に衰退し、昭和63年には全ての工場が閉鎖しました。

そのため、昔、お客さんは瓦屋の屋根を見て、立派でいいところに瓦作りを頼んでいたというほど、加賀美地区には立派な瓦屋根の家がたくさんあります。

また、庭を少し覗いてみると、たくさんの瓦が積まれている家も今もたくさんあります。

瓦作りはなくなっていても、販売はしているという名残はまだあります。

 

そんな瓦作りが幕を閉じてから生まれたのが、「甲州鬼面瓦」です。

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「鬼瓦」は、建物の安穏を願って棟などの端に飾られた鬼の形をした瓦。

実は、「鯱瓦」も、鬼の顔をしていなくても「鬼瓦」を一種。火除け祈願以外に権威の象徴でもありました。

鬼瓦は一般の家にも徐々に広がって行きましたが、他をにらみつけるので敬遠されて、鬼面ではなく、家紋なども作られました。

この鬼面瓦は1990年の十日市の発売をはじめ、その後、縁起物として人気を集めました。

そんな鬼瓦や飾り瓦を作る職人を「鬼師」といいます。

今回、お話を伺った、学芸員の永利さんは、若草瓦会館の館長であり、さらに、市内唯一の「鬼師」。この山梨県内にも数少ない「鬼師」の一人なんです。

現在は30歳。瓦作りを始めたのが4年前。

この若さで「鬼師」になったという永利さんも魅力的です。 

九州出身の永利さんは、大学進学を期にこの山梨に来ました。

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高校時代、絵を書く事をしていたという永利さんですが、身延山大学に進み、仏像の製作(彫刻)を学び、その延長で、革作りの世界へ入りました。

瓦作りの工程は、簡単に、土練り⇒型にはめる⇒乾燥⇒焼成⇒乾燥と、30cmくらいの鬼瓦を作るのに約3日かけて、すべてお一人で行っています。

その腕も認められて、先日オープンした道の駅富士川のしゃちほこ瓦も永利さんが製作したそうです。

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現在は、来年2月に行われる十日市に向けて、瓦作りはもちろんですが、ダルマ作りも既に取り掛かっています。

2年前から始めた、鬼瓦と同じ縁起物であるダルマ作りは、1000個を仕上げる予定。色づけ、顔入れも全て永利さんが行うんです。

この「瓦」の古い歴史と伝統を後世に・・・と、

地域と永利さんがしっかりと守り続けてくれています。

鬼面瓦製作体験教室も開かれています。

 

南アルプス市(旧若草町)加賀美地区に行くと、立派な瓦屋根、そしてお庭に積まれた瓦の多さに驚きます~♪

 

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若草瓦会館

住所/南アルプス市加賀美2605-5

電話/055-283-5870

FAX/055-283-5871

 

山梨県内にある“後世に残したい音”  第21回目は≪甲斐犬が吠えている声≫です。

 

甲斐犬というと日本原産の中型犬。山梨で発見されたことから「甲斐犬」と名付けられました。

昭和9年には「生きた天然記念物」に指定されています。

虎毛ということから、別名“甲斐の虎犬”。飼い主に一生忠実に尽くすため、“一代一主の犬”とも評されています。

 

そこで、今回は南アルプス市芦安で甲斐犬を育てている伊井和美さんにお話を伺いました。

伊井さんは平成6年から甲斐犬の飼育を再開。

芦安が甲斐犬発祥の地なのに、甲斐犬が少なく、発祥地が変わるとも言われてきた危機に、「甲斐犬」の保護、繁殖や伝承、甲斐犬発祥の地という地域ブランド性の復興と確立に取り組んできました。

現在、伊井さんは7頭の甲斐犬を飼っています。家族同然のかかせない存在。

 

もともと甲斐犬は大正の末期頃、虎毛の日本犬として発見されます。

昔は、ニホンカモシカや猪の猟犬として活躍していました。ニホンカモシカは岩場が歩くのが得意なため、同じく岩場が歩くのが得意な甲斐犬を使っていた人が多かったそうです。

まだ、早川町に猟犬として甲斐犬を使っている人がいるそうですが、現在はほとんどがペットとして飼われています。

“一代一主の犬”と言われるだけあり、昔から、甲斐犬は忠実で優しい。日本犬だから飼いやすいということもあり、一度飼えばもう一度飼う人が多かったとのこと。

そんな甲斐犬の特徴は、黒虎、赤虎、虎の3タイプ。

細くてやわらかい短毛が密生しています。

 

 

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めいちゃん

 

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りくくん

 

現在は、山梨だけでなく日本全国にいます。

甲斐犬愛護会データによりますと、今まで43746頭の血統証を発行。現在は約1万頭の甲斐犬が日本全国にいます。昔は、山梨近県しか甲斐犬を飼っている人はいなかったが、今は北海道~九州まで。

 

山梨県民におなじみのゆるキャラの“武田菱丸(菱丸くん)”ヴァンフォーレ甲府のマスコットキャラクター“ヴァンくん”も「甲斐犬」がモデルになっています。

 

甲斐の国、山梨県が誇る日本犬です。

これからもずっとずっと愛される「甲斐犬」であってほしいですね。

 

 

 

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南アルプス市観光協会 夜叉神観光案内所

住所/南アルプス市芦安芦倉

電話/055-288-2117

山梨県内にある“後世に残したい音”  第20回目は≪富士山麓の湧水≫です。

 

十日市場・夏狩湧水群。と呼ばれている場所が山梨県都留市にあります。

富士山をピークとした富士北麓に降り積もった雪や雨が長い年月を経て、流れてきます。

この十日市場・夏狩地区の湧水地は、富士山が噴火した際に流れ出た溶岩地帯の切れ間になっていて、その溶岩の隙間から絶え間なく、枯れることなく富士の水が湧き出ています。

その量、毎分2トン。一年通して、同じ量・同じ温度で、人々の生活に大きな影響を与えています。

そんな豊富な富士山の湧水は、≪わさび≫も生み出しています。

豊富な水量、一定の温度、透明度はワサビに最適!都留市では、およそ80年近く前からわさびを栽培しています。そして、今や都留市の名産品の一つでもあるんです。

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そこで今回は大正7年創業の「菊池わさび園」に伺って、3代目の菊池富美男さんにお話しをお聞きしました。

菊池わさび園はとても大きいわさび園!

約7反(2400坪)の中にワサビ田が100枚ほど。伺うと、美しいワサビの緑の葉が棚のように広がっていました。

山梨県のわさび生産は、豊富の自然な水に恵まれている東部地域が中心。

気象条件も栽培に適しているそうです。

そのため、わさび生産量は、昭和53年には280トンと全国第3位にランクされました。

しかし、昭和57、58年の2回にわたる台風により、ワサビ田が流出してしまい、その後の生産量は減少していきました。

その中でも、長い間わさび栽培を行って、守り続けているのが菊池さんです。

菊池さんは3代目ということで小さいころから、おじいちゃま、お父様のわさび栽培の姿を見て育ってきました。

そのため、中学生のときにはアルバイトでお手伝いをしていたそうです。

そんな身近なわさびを、もっともっと良い物に!という思いで、今から18年ほど前に無農薬栽培をはじめたそうです。今や、無農薬わさびが菊池わさび園では特徴の一つ。

始めは、たくさんのアブラナ科の虫が付いて失敗の連続でしたが、今では収穫も安定し、病気に強いワサビが育つようになったそうです。

 

 

さらに無農薬でワサビを作るには、虫が付かないように、筒で一つ一つ覆います

そこで立派に育つのが「真妻」というワサビ。

最高級品種で、収穫まで2年かかるというもの。

本当の刺身のツマになる昔からある品種だそうです。

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本わさび・・・とーっても辛いのかなと思いきや・・・

全くそんなことなく、いい香りでワサビとは思えぬ優しい味♪

バニラアイスにワサビを乗せて頂き、食べさせて頂きました!

本わさびの他、わさび漬けも作っているそうです。

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そして菊池わさび園さんは“おもてなし”を大切にしています。

私が伺った際には、このようなウェルカムボードでお迎えしてくれました。

このような方々に育てられているワサビ!間違いなく美味しいですよ。

 

湧水の音に、ワサビを擂る音♪

これを聞いて、もうひと夏過ごせたらいいですね!

 

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菊池わさび園                    

住所/都留市夏狩1803

電話/0554-43-9279

FAX/0554-43-2646

山梨県内にある“後世に残したい音”  第19回目は≪鵜の鳴き声≫です。

 

山梨県笛吹市石和町では毎年夏になると、笛吹川沿いで鵜飼が行われています。

石和の鵜飼は鵜匠が舟に乗らず川の中を歩きながら操るため「徒歩鵜(かちう)」と呼ばれています。この歩きながら一羽の鵜を操る「鵜・匠」一体の漁法は大変珍しいものなんです。

 

そこで、この鵜飼の中心になっているのが「笛吹川石和鵜飼保存会」の皆さん。

その保存会の坂爪会長と、実際に鵜を操る鵜匠さんにお話しを伺いました。

現在、保存会には合わせて20人前後の鵜匠さんがいますが、この期間中鵜匠をしているのは10人前後。それに対し、鵜も16羽が今年活躍しているそうです。

鵜は現在、大変貴重!茨城県日立市(旧十王町)に鵜飼いのための海鵜が日本唯一許可されている「鵜の岬」があります。そこから、全国の鵜匠・鵜飼に海鵜を供給しています。

 

この石和鵜飼は、およそ800年(平安時代から)の歴史があります。

昭和36年に石和町で温泉が湧き、その後、石和温泉として温泉街が作られると、800年の伝承をもとに、昭和51年から現在の「石和鵜飼」が行われるようになりました。

そして、平成16年10月に石和町が属していた東八代郡と隣の東山梨郡が合併して「笛吹市」となるのに伴い、「石和鵜飼」を石和でしっかりと守り続けたいという思いから「笛吹川石和鵜飼保存会」が発足しました。

なんと、この保存会のメンバーは地元の高校OBで結成されています。

現在活躍の鵜匠さんは、高校時代から鵜飼に関わり20年以上の皆さん。

20年以上されているということで、昔との変化もあるようです。

大きな変化は水笠。昔は腰まであった川の水も、今はひざ下までしかありません。

その中で、鵜を操るのは、さらに難しい技。

高校時代、先輩や役場職員に教えてもらった鵜飼も、今は教える立場になって、鵜がアユを捕れた瞬間、お客さんと一緒に喜んでいるということです。

さらに、笛吹高校の生徒さんがアルバイトとして毎年たくさんのお手伝いがきてくださっています。

 

山梨県に・・・石和に・・・たくさんのお客さんが来てくれたら・・・

そして、「石和鵜飼」も何年も続いてくれたら・・・さらに若い世代へ・・・・と

伝統を守り続けています。

この時期の風物詩でもあり、この時期でしか聞くことのできない鵜の鳴き声♪

今年は、8月19日まで行っています。

水曜、木曜、土曜、日曜 午後8時~8時50分

笛吹市役所前の笛吹川で「鵜・鵜匠」一体の漁法で頑張っています!

 

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笛吹川石和鵜飼保存会      

住所/(石和温泉観光協会) 笛吹市石和町市部777

電話/055-262-4111

山梨県内にある“後世に残したい音”  第18回目は≪ワインになっていく音≫です。

 

山梨はぶどう作り1300年、ワイン造り130年 の歴史を持つ国産ワイン発祥の地。

明治時代に勝沼の2人の青年がフランスで学んだワイン醸造技術を地元に広めて以来、着実に発展していきました。

そして、かつては「葡萄酒」と呼んでいた山梨のワインは、現在国産ワインの約3割を手掛ける日本を代表するワインとなりました。

 

そんな深い歴史があるワイン造りですが、山梨で沢山のワインが誕生しています。

というのも、山梨県内には、なんとおよそ80社のワイナリーがあるんです。

今回は、その多くあるうちの一つ甲府の「ドメーヌQ」にお邪魔してきました。

代表の久保寺さんにご案内して頂きました。

入った瞬間、ぶどうの良い香りが漂ってきました。

そして、大きな冷却タンクや、瓶詰機などがありました。

 

ワインは葡萄の果汁を発酵させたアルコール飲料です。

ということで、まずは発酵の音から聴かせて頂きました。

小さな小さな泡が弾けるような繊細な音!

炭酸水がシュワシュワとする音によく似ていました。

今回は、白ワインの仕込みだったので、繊細な音でしたが、赤ワインの時には、少し葡萄皮や種も入るため、もう少しポコポコ音がするときもあるそうです。

同じアルコールでも、穀類から作られる日本酒やビールとは、アルコール化する過程が違うので、音も違います。

とても重要となる「発酵」という段階ですが、品種、産地の気候、土壌、栽培法、収穫時期などによって異なるので、一筋縄ではいきません。

一日中、温度調節に気を付けて管理もしているそうです。

 

 

この「発酵」の音まで辿りつくには、他には葡萄を砕く音、葡萄を搾る音もありました。

ワイン造りにはたくさんの音が生まれます。

ワイン造りは、まず葡萄を砕き、果汁を搾り、そして発酵→貯蔵→成熟→出荷と進みます。

 

葡萄には多くの成分が含まれています!

リンゴ酸、酒石酸などの有機酸はワインにしっかりした酸味を与えて雑菌を抑える働きをします。

果皮に含まれるアントシアンやタンニンといったポリフェノール化合物は、赤ワインの色や渋味以外にも抗酸化作用があります。

 

 

ここ山梨のワインといえば、日本固有の甲州種から作られた甲州ワインが有名☆

甲州ワインの最大の魅力は「日本料理と相性がよい」こと。

世界にも高く評価されています。

 

今回私がお邪魔した「ドメーヌQ」はとても珍しいこの時期に仕込みをされていました。

それは、早摘みデラウェアを使った白ワインを作るため!

デラウェアは紫色ですが、ここでは完熟する前の淡い緑色のぶどう「青デラ」を使っていました。その新酒こそが「ヌーヌーボー」

 

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デラウェアが着色し、完熟に近づくと、葡萄の酸味(リンゴ酸)が減っていき、それに伴って糖度があがっていきます。

しかし、ヌーヌーボーはリンゴ酸を生かしたキリっとした切れ味の新酒を生むため、地元で収穫される「青デラ」を原料に醸造します。

 

これから秋に近づくにつれて、また今年もたくさんのワインが誕生していき、たくさんの音も生まれていきますね♪

 

 

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ワイナリー ドメーヌQ

住所/甲府市桜井町47

電話/055-233-4427

山梨県内にある“後世に残したい音”  第17回目は≪阿波踊りの音≫です。

 

軽快で歯切れのいいリズムに乗って、ほとばしる情熱、そしてわきたつ歓喜の中で繰り広げられる阿波踊り。

阿波徳島にこの日本一の民謡踊りが誕生したのが、およそ400年前だといいます。

夏になると徳島県内の各地の市町村で開催。中でも、徳島市阿波踊りは国内最大規模で最も有名です!

そんな阿波踊りが、ここ山梨の大月でも伝統芸能として育ちました。

 

そこで・・・なぜ、この大月で阿波踊りなのか?大月名店連の山田連長に伺いました。

きっかけは、1984年大月の町おこしがきっかけです。

古くは、阿波の国より人形浄瑠璃が、そして30年前には阿波踊りが伝わるという因縁を感じる阿波と大月です。

現在、大月では大月阿波踊り振興協会が中心となり、10の連が盛り上がりを見せています。

大月市民およそ500人が阿波踊りを踊る大きなお祭りが毎年8月(今年は8月2日)に開催される「かがり火まつり」です!

国道20号を1kmほど通行止めにして、阿波踊りなどが盛大に披露されます。

 

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踊り踊らせる♪これが阿波踊り!

それに欠かせないものが、鳴り物!

鳴り物には、太鼓、笛、鐘、竹、三味線などがあります。

 

その音によって踊らされるのが、男踊り・女踊り。

男踊りは、半天を着て踊る半天踊りと、男物の浴衣をしりからげに着て踊るもの。うちわや手ぬぐいやちょうちんを使っていることが多い。

女踊りは、女物の浴衣に編笠を深くかぶり、草履ではなくて下駄を履くのが特徴。

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衣装も動きも違うので色々な楽しみがあるんです♪

 

そして、「ヤットサー!ヤットヤットー!」この掛け声も特徴なんです!

これは「ひさしぶり、元気だった?」という意味のようですよ。

 

今週末行われる「かがり火祭り」は大月市民総参加で、阿波踊りは親子3代で参加する家族もいます。

大月市民ばかりではなく、今年も本場徳島からや、国分寺、静岡からも参加します。

またこの大月阿波踊りも、山梨県外でも他県・他地域との交流で、さまざまなところから招待されて踊りにいくこともあります。

そのために、日々の練習もかかせません。

本場徳島の正調阿波踊りを目指し、大月名店連も現在週3回練習しているそうです。

 

大月名店連以外にも、それぞれの連の名前も特徴があり、面白い。

「御太刀菊花連」「絆粋」(固い絆で結ばれた粋な男たち)「大月夜叉連」など・・・

「大月市役所連」もあり、市役所職員ももちろん参加しているんです!

 

また今年もこの季節がやってきます!

大月の伝統芸能「阿波踊り」!見事です!

大月各地で、鐘の音、太鼓の音、笛の音・・・掛け声など、たくさん聞こえてくると思います♪

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大月阿波踊り振興協会(大月商店街協同組合)

住所/ 大月市大月1丁目8−13

電話/0554-22-0444

山梨県内にある“後世に残したい音”  第16回目は≪焼印を押す音≫です。

2013年世界文化遺産に登録した「富士山」

世界に認められた富士山で頂く焼印は特別なもの!

この登山の補助具である金剛杖に押してもらえる焼印は、各山小屋にあり、富士登山の証にもなります。

 

そこで、最初に焼印を押してくれる山小屋「佐藤小屋」を訪れました。

「佐藤小屋」は富士スバルライン5合目から徒歩およそ25分のところにあります。奥様の佐藤江津子さんにお話しを伺いました。

佐藤小屋は大正4年創業。五合目唯一の山小屋であり、唯一冬も営業しています。

スバルラインが開通する前は、一合目から富士登山をする人がいたため、五合目より下にも昔はたくさんの山小屋がありました。

しかし今は、一合目から歩くと最初の山小屋は佐藤小屋となっています。

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「金剛杖」「焼印」はほとんどの山小屋にあります。

また、金剛杖は富士河口湖駅やコンビニエンスストアにも売っています。

富士登山は、他の山に比べて、金剛杖を使って登る人が多いそうです。

それは、歴史と共に「焼印」をコンプリートするのも楽しみの一つだから♪

 

焼印も各山小屋によってデザインが違いますし、スタンプのようなものになっているのもあります。

金剛杖は1000円。焼印は200円~。

昔は、四合目と五合目の中間に「五合目焼印所」という山小屋もあったほど、富士登山を記念する焼印は特別なもので、登山者にとっては満足感・達成感を得ることができるものなんです!

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そして、金剛杖を握りしめて歩くと富士山はやはり独特の足音!

火山なので、足元は溶岩石。

「富士講」が愛用したといわれる金剛杖が便利というのもわかります。

 

佐藤小屋には、東久留米市山岳連盟の方々も来ていました。

一合目から登ってきたとのこと。

富士登山ルートには山梨県側に1つ(吉田口)、静岡県側に4つ(須走口、御殿場口、富士宮口)がありますが、北口本宮富士浅間神社境内から延びる登山道は「昔みち」と呼ばれ、いくつかの史跡が残っています。

この「昔みち」というのは「馬返し~五合目」までを言います。

「馬返し」とは北口本宮富士浅間神社の登山門から約9km登った一合目手前。

かつて登山者が乗ってきた馬を、俗世間と聖域である富士山の結界とされるこの地で返したことから「馬返し」と名付けられました。

登山者はここから歩いて登っていました。

現在は山小屋や石碑、石標などがあるため、富士山の歴史を学ぶには、この「昔みち」が良いと、東久留米市山岳連盟の皆さんも佐藤小屋のご夫妻もおっしゃっておりました。

 

「金剛杖」「焼印」「山小屋」「昔みち」・・・それぞれたくさんの音がありました。

世界の富士山の音♪皆さんも聞いてください♪感じてください♪

 

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佐藤小屋

電話/0555-22-1945

山梨県内にある“後世に残したい音”  第15回目は≪根津ピアノの音≫です。

山梨県山梨市出身明治から昭和の時代80年の生涯にわたり、その才気を発揮し続けた甲州財閥を代表する事業家“根津嘉一郎”。

別名「鉄道王」と呼ばれる、根津嘉一郎が山梨県内の小学校に寄贈したピアノが「根津ピアノ」です

およそ200台寄贈したうち、現在まで残り、弾くことが出来るピアノはわずかなんです。

 

今回は、その貴重な「根津ピアノ」が残る甲斐市立双葉東小学校の田中教頭先生にお話しを伺いました。

寄贈当時は音楽室にあり、その後は普通教室に移動して、現在は綺麗に修復されて玄関ホールに「根津ピアノコーナー」として残されています。

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小学高学年になると、道徳の授業で根津ピアノについても勉強をするそうです。

もともと根津嘉一郎は村長や県会議員を経て、東京へ進出後は同じ山梨出身の実業家たちと甲州財閥を形成。東武鉄道や南海電鉄、富国生命、日清製粉など多くの会社を創設したり立て直した人物。

「ただ設けることだけでなく、社会に還元すべき」という考えから、教育面でただいな貢献をしました。

 

このピアノは昔ながらのものということで木材が使われていて、鍵盤には象牙が使われています。

支柱の太さ・響板の材質などから、良い素材・職人による手作りで、コストをかけて作られたピアノであることがわかります。

そのため、最近の音とはまったく違う。深い低い音がするという方もいるそうです。

ピアノの他にも、人体模型、顕微鏡、ミシンなどを贈って下さいました。

東小には、人体模型も残っているんです。おそらく残るのは、ここだけではないかというお話もあるほど貴重なもの。

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さらに、根津嘉一郎の寄付によって山梨市に「平等小学校」も建てられました。

当時(昭和4年)では珍しい鉄筋コンクリート製の3階建て。

ここに通った根津豊さんという方にもお話を伺いましたが、学校には、家庭科室や図工室などがあった。それが当たり前だと思っていたが、自分が教師になり他の学校に赴任した時に、特別だったことに気付いたそう。

そこで、また根津嘉一郎の偉大さを知ったとおっしゃっていました。そして、やはり赴任先の学校には必ず根津ピアノはあったそうです。

 

現在は、この根津嘉一郎が生まれた地山梨市に「根津記念館」があります。

根津ピアノももちろんあります。

根津嘉一郎がどのように社会貢献してきたか、どんな80年を生きたのか、根津嘉一郎のあれこれが詰まっています。

 

そして、今日も双葉東小では根津ピアノの音が響いています♪♪

 

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根津記念館

住所/山梨市正徳寺296

電話/0553-21-8250

 

甲斐市立双葉東小学校

住所/甲斐市大垈2780

電話/0551-28-2014

山梨県内にある“後世に残したい音”  第14回目は≪竹を割る音≫です。

スズ竹細工は富士の麓、富士河口湖町勝山地区の伝統工芸品。

地元で獲れるスズ竹を使ったカゴやザルが人気です。

そのスズ竹を割る「シュッ、シュッ、シュッ」という音が、今もなお勝山スズ竹伝統工芸センターで響いていました。

このセンターを引っ張るのが小佐野会長。

子供の頃は、ザルを作らないと遊びに行きなかったほど、この勝山地区で育ち、たくさんのザルを作ってきました。

作り方も、親や周りの人たちを見て、見よう見まねで覚えたそうです。

そのようにして、昔は近所で皆が集まって作っていました。

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スズ竹細工の出来立ては、竹の自然の青い色に、とても良い匂い!センターに入ると、フワっと香り、心が和みます。

さらに丈夫!水気のある使い方で20~30年、乾燥させて使えば50年以上もち、使えば使うほど味のある綺麗な飴色に変化していきます。

全国の荒物問屋やお蕎麦屋さんから注文があります。

勝山の竹ざるはバリエーションに富んでいます。

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五合から五升サイズまでの「ザル」、めん類を載せる「おだら」、サトイモなどを入れて洗う「めかんご」、野良仕事に便利な「しょいかご」・・・。ドライフラワーなどを入れて楽しむ鑑賞用のかごまで含めると、20数種類にもなります。

現在の富士勝山スズ竹伝統工芸センターでは10人前後の指導者、20名前後の生徒さんが竹細工作りに励んでいます。

そのうちの一人の職人、竹細工作りは15年目という佐藤さん。

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ザル作りは、一番難しいところは素材作り。

手加減、足加減が大切と語る佐藤さん。

今では、佐藤さんにとって、ザル作りは生活の中に溶け込み、なくてはならないもの。それが楽しい!と、笑顔でイキイキと話してくれました。 

そもそもこの竹細工作りは、江戸時代後期には既に始まっていたとされ、大正時代から盛んになりました。

そして、戦時中は軍の命令により、村中総出で帽子型にして、南方の戦線の兵士に送ったそうです。

そんな長い歴史を歩んできたスズ竹細工。

このスズ竹は富士山2~3合目で獲れます。昔は獲る専門の人がいて、馬車で運んだそうです。しかし今はいないため、センターの皆で1週間に1回、200本~300本獲りに行くそうです。

貴重なスズ竹はやはり良い素材。虫が少ないことも、ザルとして好まれる特徴の一つです。

 

後継者不足が懸念されるなか、心強い一人

甲府から週1回通う保坂さん(40代)。

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竹細工の魅力に取りつかれ4年目。

ザル作りはもちろん、人間関係やコミュニケーションも楽しみの一つになっているようです。

 

センターの皆さん、後世に残したい。

その思い出、伝統を守り続けています。

勝山地区では小学4年生になると体験学習も行われるようです。

 

「シュッ、シュッ、シュッ」と特徴ある音、そして、あの匂い!

この勝山から響き、香ってきます。

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富士勝山スズ竹伝統工芸センター

電話/0555-83-2111

山梨県内にある“後世に残したい音”  第13回目は≪トテ馬車の音≫です。

 

このトテ馬車は昇仙峡で活躍する馬車。

甲府市北部にある御岳昇仙峡は、富士川の支流、荒川の上流に位置するため、長い歳月かけて削り取られた花崗岩の断崖や奇岩・奇石、そして豊かな緑がある渓谷です。

秩父多摩甲斐国立公園にも属し、全国観光地百選・渓谷部は第一位。「平成百景」第二位。そして、「平成の名水百選」にも選定されている素晴らしい場所です。

そんな場所を、マイナスイオンをたっぷり浴びて活躍しているお馬さんがいます。

昇仙峡とは天神森から仙ヶ滝までのおよそ4kmを言いますが、そのうちのおよそ2kmをトテ馬車が走っています。

そこで、今回は昇仙峡で観光場所を走らせている長田さんにお話しを伺いました。

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馬の名前は「ゆうじろう」、何年もここ昇仙峡でガイドを続ける長田さん。

長田さんは46年間トテ馬車をやっています。

トテ馬車が登場したのは1947年(昭和22年)ごろ。

当時は20台くらいあった馬車も今は、2~3台になってしまいました。

馬車に乗りこむと馬車道から、ゆるい坂道。のんびり、馬の足跡を聴きながら、長田さんと世間話♪

すると突然、面白い口調で「あれはカメ石っていうだよ」「ここにはニホンカモシカがいる」などとガイドが始まります。

片道約2km(40分間)、素晴らしい景色を見ながら、長田さんのガイドを聴きながら、時間がゆっくり流れているような感覚になります。

昔と変わった所は、だいぶ松が枯れてしまったこと。そして、1972年に昇仙峡グリーンラインが開通して以来、車での観光客が多くなり、馬車利用者はめっきり減ってしまったそうです。

さらに、「昇仙峡」という認識が変わってしまってきているそう。

天神森から仙ヶ滝までを昇仙峡と言ったはずが、今は仙ヶ滝周辺のみを「昇仙峡」と勘違いしている方も多いそうです。

 

昇仙峡は四季折々の良さがあります。

春はミツバツヅジ、夏は若葉、秋は紅葉(もみじがたくさんありました)・・・

冬は道が凍ってしまうため、トテ馬車はお休みですが、雪景色も綺麗なもの。

 

馬の歩く音が良いと言ってくれる人がいたり、毎年同じ時期に乗りに来てくれる人やシーズンごと、1年に3回も4回も来てくれる人もいるそうです。

 昇仙峡の名物の一つ!「トテ馬車」

ゆうじろうと長田さんのナイスコンビネーションに出会いに行ってください♪

 

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昇仙峡馬車組合

電話/090-4676-8084

山梨県内にある“後世に残したい音”  第12回目は≪リニアモーターカー≫です。

「夢の超特急」と言われるリニアは、最高速度505kmの超電導磁気浮上式鉄道。

現在の新幹線のおよそ2倍のスピード「リニア中央新幹線」が今、実現に向かって動き出しています。

品川~名古屋間を最速で40分で結び、2027年の開業を目指しています。

東京~大阪間を最速67分で結ぶ全線開業は2045年の予定です。

 そこで今回は、リニアの音が聞けて、リニアを見ることが出来る、山梨県立リニア見学センターへ伺いまして、広報の綾部さんにお話しを伺いました。

国内でリニアに向けて研究が始まったのは、今から、およそ半世紀前の1962年。

世界初、日本初の高速鉄道であり、日本国内の新幹線としては最古の歴史を持つ、「東海道新幹線」の開業が1964年。

それよりも2年も前に、未来の乗り物「リニア」の研究が始まっていたとは驚きです。

1977年に宮崎県に実験線が開設され、1997年から山梨リニア実験線で試験が開始されました。

ここ山梨に実験線が開設されたのは、1997年当時、甲府を通過することが決まっていたのでそのまま営業線として使えるのではないかということ。また、山岳部が多いのでトンネル区間の実験をするのにも適地だったということ。のようです。

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昨年8月からは笛吹市~大月市~上野原市の計42.8kmを新型リニア車両L0系が走っています。

リニアは、車両に搭載した超電導磁石と地上に取り付けられたコイルとの間の磁力によって、浮上して走行する輸送システム。

いわゆる、N極とS極の効き合う力と、N極どうし・S極どうしの反発する力により車両が前進します。

 

そのリニア走行を風と音でも感じられる場所が、1997年、山梨リニア実験線の走行試験の開始に伴い、都留市誕生した「山梨県立リニア見学センター」。

 

実験線での走行試験の様子を見学したり、超電導リニアやリニア中央新幹線の概要を模型や各種の展示物などによって紹介する施設です。

今年4月には、さらにパワーアップして「どきどきリニア館」として新館がオープンしました。

 

1階には2003年に鉄道の有人走行で世界最高速の時速581kmを記録した車両の実物が展示、超電導磁石の仕組み、歴代試験車両の模型、年表パネル。

2階には、浮上走行が体験できるミニリニアや超電導の仕組みがわかるコーナー。

3階には、山梨の風景の中をリニアを走る巨大ジオラマやリニアシアターがあります。

そして、目でも見ることができ、リニアの速さを風と音で感じることのできるラウンジもあります。

 

そのため、大人も大興奮!しかし、あまりにも目の前を通過するのが早すぎるため、1度見るだけでは物足りない!

多い日には20分に1度通過するので、館内でアナウンスが流れるたび、みんなリニアを見にラウンジへと何回も行くんです。

上野原方面から来るときは、遠くからこちらに向かってくる様子が少し長く見られます。

一方、笛吹方面から来るときは、トンネルから出てくるため、遠くで「ゴォー」と聞こえながら、音もだんだん大きくなり、トンネルから出てくるときの迫力は凄いものです!

 

お子様連れの方、また外国人のからもたくさんいらっしゃいました。

またずっとカメラを構えて待つ方も!

そして、リニア通過後はみんなで大歓声です。

 

案内をしてくださった綾部さんは、宮崎県ご出身のため、小さい頃から宮崎でリニアの走行試験を見ていて身近だったそう。

今年4月から、こちらにご勤務されているそうですが、それも縁かもしれないということ。

また、山梨県リニア推進課の石寺さんにもお話を伺いましたが、平成19年にリニアの試乗会で走行を体験。車輪走行から浮上になるとき、フワっと浮く感覚は今でも忘れられないそう。

綾部さんも石寺さんもそして、私も、あと13年後をドキドキして待つ人の一人です。

 

※現在、走行試験は一時中断。

 6月下旬に12両編成で走行試験再開予定。

 

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山梨県立リニア見学センター

住所/都留市小形山2381

電話/0554-45-8121

山梨県内にある“後世に残したい音”  第11回目は≪鹿革をたたく音≫です。

山梨の伝統工芸のひとつ「印伝」は、鹿革に漆で模様を付けたものが特徴。

この革を使って、バッグやお財布、小物入れなど、さまざまな製品が作られています。

寛永、来航した外国人によりインド装飾革が幕府に献上された際に、「印伝」という名はインド伝来からという意味で名づけられたとも言われています。

今回は、甲州印伝の技法を生み出したと言われる上原勇七の伝統を守り続けている、

甲州印伝総本家『㈱印傳屋』へ伺いまして、上原伊三男専務にお話しを伺いました。

印傳屋は創業1582年。

なんと400年以上も伝統を守り続けていて、現在13代目です。

遡ると時代は「戦国時代」、この印伝の鹿革は、柔らかくて、軽いため体になじみ、強度を備えていることから、武具(鎧や兜)に愛用されていました。

そのため、模様にも意味があります。

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「勝負」と音を掛けた「菖蒲」、散り際がいいと好まれた「小桜」、「勝虫(かちむし)と言われる「トンボ」など、縁起を担ぐ模様が施されました。

今でも愛されている模様の一つです。

その印伝は大きく分けると工程は4つ。「染色、裁断、柄付け、縫製」

しかしその中に伝統的な技法があります。

それが「漆付け」「燻べ(ふすべ)」「更紗」

職人技が光るもっとも代表的な技法「漆付け」は鹿革の上に手彫りされた型紙を重ねてヘラを用いて漆を刷り込みます。

この技法を生み出した上原家では、「技」の継承を代々の「勇七」だけに口述で伝えてきました。現在では広くに公開されています。

つぎの「燻べ(ふすべ)」は、タイコと呼ばれる木の筒に鹿革を巻きつけ、薬を焚いて、松脂で燻して自然な色に仕上げます。日本唯一の革工芸。

そして、「更紗」。手彫りされた型紙を一色ごとに用い、鹿革に顔料で模様を付けます。

このようにして一つの甲州印伝の製品が出来上がってきます。

四方を山で囲まれた甲州だからこそ、古くから恵まれていた「漆」と「鹿革」。

こうして「甲州印伝」が誕生しました。

江戸時代後期に書かれた、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の中に「腰に下げたる、印伝の巾着を出だし、見せる」といった記述もあり、甲州印伝が当時から人々の間に親しまれていたことがわかります。

当時の上層階級に、巾着やたばこ入れが珍重されていたそうです。

それは今でもかわらず、歴史を経た模様、デザインは当時の浪漫を今も伝えています。

 

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株式会社印傳屋 上原勇七

◇本社

住所/甲府市川田町アリア201

◇本店

住所/甲府市中央3-11-15

電話/055-233-1100

山梨県内にある“後世に残したい音”  第10回目は≪硯を作る音≫です。

元禄3年(1690年)、富士川の支流、雨畑川付近は黒一色の粘板岩の産地でした。

この粘板岩は粒子が細かいため、ムラや水分の吸収がなく墨おりが良い事から、硯の材料に最適!

元禄時代から最高級の硯「雨畑硯」が誕生しました。

そして今や、富士川町の、山梨県の、さらに全国的にも有名は伝統工芸品として守り続けられています。

最盛期には100人近くいた職人も、現在は5人くらい。

町内で、硯を作っているところも2軒になってしまったそうです。

そこで、今回は、その硯職人の一人 「甲斐雨端硯本舗」13代目雨宮彌太郎さんを訪れました。

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実は、雨端硯本舗さんの、初代雨宮孫右衛門さんが元禄3年に石を拾い、硯を制作したことが始まりなんです。

そこからずっと今まで、守り続けて13代目となりました。

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弥太郎さんのお父様12代目雨宮弥兵衛さんは「現代の名工」であった人物です。

弥太郎さんは、大学で彫刻美術を学んだ後、家業を継ぎました。

意識して硯を作り始めておよそ20年。

硯作りは、特に教えてもらったことはないという弥太郎さん。

小さい頃から、おじいちゃま、お父様の手伝いをしながら、

自分自身見よう見まねで覚えてきたそう。

この環境に生まれ、硯の匂い、硯の彫る音を聞いて育ってきました。

だからこそ、この道に進むことは、弥太郎さんにとってはごく自然のこと。

今は「これが天職」ともおっしゃっておりました。

これだけ丹精を込めて一つ一つ作り上げる硯の工程はいくつかあります。

「石取り」から始まり、「石造り」を経て、「荒彫り」、「仕上げ彫り」、「荒磨き」、「中磨き」、「仕上げ磨き」とあり、完成します。

作品は天然の鵜方を生かした形、円形の波、花といったデザインを彫り込んでいます。

硯を現代彫刻ととらえて作っている雨宮さん。

天然原石から一つ一つ手作りするため2つとして同じものはありません。

だから値も張りますが、全国の書道家が愛用するほどの逸材品です。

これからどんどん新しい物になっていくのではなく、どんどん当たり前なものになっていって、当たり前ながら深いものになっていけば嬉しいとおっしゃっておりました。

硯はこれを表現しよう!というものは少ないため、自分を捨てて、決まりきったものを作る。

そこが無限の深さをもっている気がして、硯作りの面白さということです。

長く、深い歴史を持った硯、山梨を代表する伝統工芸品の一つです。

 

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雨端硯本舗

住所/南巨摩郡富士川町鰍沢5411

電話/0556-27-0107

山梨県内にある“後世に残したい音”  第9回目は≪ほうとうを作る音≫です。

 昔はお米が貴重で高価だったり、山間部ではお米があまり採れなく、その代わり収穫された小麦粉が日常食となり、ほうとう文化が定着しました。

そもそも、ほうとうの起源は諸説あります。

まずは、中国から伝えられた食べ物「はくたく」が音便化して、さらに空いた時間で放蕩することが出来たからと名付けられという一説があり、

また、戦国時代、武田信玄が戦で兵士の陣中食として開発したということや、信玄が自分の刀で食材を切ったことから、「宝の刀」=「宝刀(ほうとう)」と言われるようになった説もあります。

このほうとうが、何年も何百年も経った今でも山梨県の郷土食として愛されています。

そこで今回は、このほうとう作りを後世に伝えて行こうと、体験を開いている「ほうとう会館」を訪れ、小林さんにお話しを伺いました。

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ほうとう作りを教えて20年の小林さん。

小さい頃からおばあちゃまのほうとう作りをずっと見てきたそうです。

昔はコシをつけるため、足で踏んでいました。

これは小林さんも小さいころに経験したということですが、今は、ほうとうを1から作る家庭は少なくなってしまいました。

 

「ほうとう」の特徴は「とろみ」

ほうとうは、始めから野菜と一緒に煮込むため、汁にとろみがつき、ほうとう独特のとろみが生まれるんです。

さらに食材の定番はやはり「カボチャ」。

山梨には「うまいもんだよ、カボチャのほうとう」という言い回しがあるほど!

昔の方はよくそう言ったそうです。

カボチャ以外にも、もちろん野菜がたっぷり入っているので栄養満点!

今は、このようにたくさんの具が入っているほうとうですが、昔のほうとうは今のように何種類も具が入っている贅沢なものではありませんでした。

ほうとうはくたくたに疲れて帰ってきた農家の主婦が、物資が不足し、限られた材料で家族を思い工夫して作った女衆の味だったんです。

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私が伺った時、ちょうどほうとう会館では敷島中学校2年生がほうとう作り体験をしている真最中でした。

山梨クエスト「ふるさと探求」の授業でほうとう作り体験に来ていました。

生地を伸ばすのに苦戦しながらも、生徒の目はとても真剣でした!

このほうとうも山梨の文化の一つ!

このように学生たちが文化に触れることは素晴らしいことですよね♪

ほうとう会館では学生だけに限らず、どなたでもほうとう作りを体験できます!

昔からずっと言われてきた、

「うまいもんだ、カボチャのほうとう」を後世に伝えるべく、「ほうとう作りの音」も大切にしていきたいですね。

 

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ほうとう会館

住所/甲府市猪狩町393

電話/055-287-2130

山梨県内にある“後世に残したい音” 

第8回目は≪三分一湧水 川のせせらぎの音≫です。

 

長坂町や小淵沢は八ヶ岳を望む名水の里、湧水群があります。

この湧水群は1985年名水百選として選定されました。

代表的な湧水地として「大滝湧水」「女取湧水」「三分一湧水」があげられますが、今回はその一つである「三分一湧水」へ行ってきました。

 

三分一湧水は八ヶ岳南方の山に降った雨水が浸透して小淵沢付近に湧き出ている水と考えられています。

1つの湧水の水を3分割して3地域に分けて水を流したことから、「三分一」と、この名前がついたそう。

またこの三分一湧水には伝説もあるんです。

古くは水源下流の集落で水争いが絶えませんでした。その争いをなくすため、武田信玄公が下流の村に農業用水を三等分にするため、三角石を置いたという伝説もあり、今でも堰の真ん中に鎮座しています。

そして、流れた水は、米作りのための灌漑用水として400年以上に渡り、麓の村で今もなお使われ続けています。

豊かな自然の恵みのシンボルであり、古くから村人たちが大切な水を分かち合ってきた人間の知恵のシンボルでもあるわけです。

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今回は、この湧水の音を聞きながら育ってきた坂本昭智さんと清水長治さんにお話を伺いました。

小さい頃からこの湧水を見て、聞いて育ってきたというお二人。

水の量や流れは多少変わっても、水温はまったく変わってないそうです。

小学生の頃、給食の食器を毎日洗いに来たと懐かしそうに清水さんが話してくださいました。

当時は、実際に水が湧き出す音が「ポコポコ」聞こえていたそうですが、今は残念ながらその音は聞くことができません。

 

 

八ヶ岳南麓の山崩れは「押ん出し」と呼ばれ、昔から恐れられていました。

いったん豪雨に見舞われると山が崩れ、その勢いは大石をも押し流し、樹木・橋・家屋をなぎ倒しました。

そして、やはり、湧水口も土砂で埋まることが多く、そのたびそのたび地域の人たちによって復旧工事が行われ、この「三分一湧水」も守られてきました。

「押ん出し」によって流れてきた巨大の石も現在は、水害を忘れまいと「大荒れの碑」として残っています。

 

このように、何年も何があっても大切にされてきた「三分一湧水」は、過去も現在も未来も地域の人々にとってはなくてはならない欠かせないものです。

八ヶ岳南麓で耳すませてみると静かに川のせせらぎが聞こえてくるかもしれません♪

 

そして、この近くに「水車」も見つけました。

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水の力で羽根車(水車)を廻し、その車軸に取り付けてある歯車の回転によって杵をあげ、落とすとその衝撃で下の石臼の中になる玄米が精白されるしくみになっています。

長い世代にわたり、住民の日常生活に大切な役割を果たし、親しまれてきた水車。

この水車は峡北地方に残された唯一のものです。

今も変わるぬ「湧水の音」「水車の音」が、ここに残されていました。

八ヶ岳南麓の自然のすばらしさを肌で感じてきました!

 

 

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三分一湧水館

住所/北杜市長坂町小荒間292-1

電話/0551-32-0058

山梨県内にある“後世に残したい音”  第7回目は≪富士川舟下り≫です。

 

県南部を流れる日本三大急流の一つ富士川は富士川舟運が行き交っていました。

江戸時代初期から昭和初期までのおよそ300年間にわたって、甲斐の国(鰍沢)と静岡(岩淵)の物資輸送が舟で行われて、甲斐の国からは米、駿河の国からは塩や海産物を運んでいました。

しかし時代と共に、舟運も身延線の開通により衰退しましたが、およそ100年が経過した今、アクティビティとして復活しているんです!

今年で3年目となりますが、これは、NPO法人富士川下り研究会が、地域活性化のため、富士川舟運を和船による観光船として復活させました。

 

富士川下りの船頭さんは、船頭頭の渡邉さんを筆頭に5人。

この船頭による熱の入った語りや山を望む景色が好評で観光客が増えています。

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かつて難所とされた「天神の滝」や田畑に農業用水を引いた「デンポ穴」など、川沿いの見どころを案内してくれるんです!

船頭は、みんな地元の人たちで、もともとは素人。

2年間長野の天竜川へ派遣され修行を積み、船舶免許を取って現在富士川でされています。

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こんな地域密着な富士川下りが、およそ100年経った今、どうして実現できたのか・・・

それは、地元の方々の強い強い思いと願いと、そして夢があったからです。

復活のきっかけは、過疎化を危ぶんだ地元民のクラス会での話から、何か観光資源を生み出せないかと考えたそう。

そこで、NPO法人富士川下り研究会を同級生6人で立ち上げ、地域の元気のためにここまで来たそうです。

各地の舟運を見に行き、経営状況なども含めて色々なことを勉強・研究をし、船頭の募集・天竜川へ派遣なども行い、さらに大きく「富士川舟運株式会社」が設立されました。

そして、今年3年目。

また新しい試みとして、先月から、富士川を下りさらに上って乗船場へ戻る「往復コース」が加わりました。

およそ40分間の舟でのひととき♪

船頭の下山甚句や武田節も聞けたり、船頭により案内の仕方も艪の音も全く違うため色々な楽しみ方があります。

さらに、合鴨やトンビが舟の周りに集まってくるんです!

車から見えない風景。

自然を肌で感じるということはこういうことではないでしょうか。

過去の暮らし、歴史に触れることができる富士川舟下り。

それには、艪の音、船頭の案内が欠かせません。

何百年も続いた昔の富士川舟運のように、この観光の富士川舟下りもずっとずっと続いて欲しいです。

 

 

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富士川舟運株式会社

住所/南巨摩郡富士川町鹿島102-2

電話/0556-27-0194

FAX/0556-27-0195

山梨県内にある“後世に残したい音”  第6回目は≪ハンコを彫る音≫です。

「ハンコ」というと山梨県民のほとんどが「六郷」と答えるであろう、山梨県南部の市川三郷町六郷地域はハンコ作りが盛んな地域。

およそ100年の歴史を持ち、山梨県における生産量の70%、全国生産量50%を占め、日本一のハンコの里として世に知れ渡っています。

もともと六郷は、農家が足袋の製造を副業とし「足袋の岩間」といわれるほどの盛業を示していたため、行商の手で市場を広げてその営業力をいかし、印鑑の注文も取るようになり、やがて印章業が六郷の地場産業として定着するようになったそうです。

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そこで!今回は、甲州手彫印章の彫刻士、望月一宏さんにお話しを伺いました。

平均年齢60歳以上という印章組合員の中で、次世代を担う41歳の若手手彫り職人。

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六郷ご出身の望月さんは、小学校で「ハンコの歴史」を学んだりハンコ屋さんを訪れたり、親御様がハンコ屋さんをされていたことから、小さいころからハンコは身近な物でした。

そのため、ハンコの道に進むのも自然な流れだったようです。

今回は、象牙、つげ、黒水牛、ロウ石の音をそれぞれ聞かせて頂きましたが、全て音が違いました♪

子どもの頃は彫っている音は意識していなかったという望月さん。

しかし、今は彫っている時は、モノによっても音は違うし、印材の調子、刀の調子、自分の調子を確かめたりするのに、とても敏感に聞いているそうです。

機械化が進む中、この六郷には望月さんのような手彫り職人が20人ほどいます!

そして、彫り方には、100年以上続く起底刀(きていとう)という工具を使った彫り方、スピンドルというものを使った彫り方などがあるそうです。

ハンコ作りには大きく分けて3工程。字入れ→荒彫り→仕上げ。

その中でも、望月さんが最もこだわるのは「字入れ」

印面に書かれる文字のバランスです。画数や形にあわせて大小をつけ、自然な美しさを感じさせる文字の配置を考えます。

そのため、字入れには1日以上もかかってしまうこともあるそうです。

今は、機械文字を使用する方もいるそうですが、望月さんのような職人が一つ一つ文字を入れていくというのは、「世界に一つのハンコ」とも言えます。

決して、同じ字、同じバランスはない訳なんです!

そんな、望月さんは、2011年には、熟練技能士が日本一を競う大会「技能グランプリ」印章木口彫刻部門では一位を獲得したほど☆

 

お父様がしてきたハンコ屋。

100年以上続いてきた六郷のハンコ手彫り技術。

今もなお、望月さんが守り続けています。

 

手彫りならではの、素朴で繊細な音 “後世に残したい音”です。

 

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望月一宏(朝日宝石商会)

住所/西八代郡市川三郷町岩間1134-1

電話/0556-32-3121

山梨県内にある“後世に残したい音”  第5回目は≪御神楽の音≫です。

 

甲府にあります、甲斐三宮玉諸神社から太太神楽の音が聞こえてきました。

なかなか見ることが少なった御神楽、テープなのかな?と思いきや、訪ねてみると、生演奏で、見事な舞いでした。

演奏と舞を踊っていたのは、「玉諸神楽保存会」の皆さん。

 この日は、4月13日の「御幸祭」、毎年4月15日は「おみゆきさん」の名前で親しまれています。

水防祈願の祭りで甲州三大御幸祭りの一つです。

笛吹市の一宮浅間神社、二宮美和神社、甲府の三宮玉諸神社から、信玄堤にある三社神社を目指して神輿が練り歩くお祭り。

なんと歴史は1200年以上!春祭りの代表格です!

浅間神社の神輿の担ぎ手は、神様が「木花咲耶姫」という女性の神様のため、赤い長じゅばんを着て、おしろいを顔に塗って、女性に扮した格好で独特の「そこだい、そこだい」の掛け声で信玄堤を踏み固める動作で練り歩きます。

その、御幸祭りに併せて、玉諸神社では、2日前の日曜日に祭りが行われていたんです。

そこでは、伝統の太神楽が奉納されるため、この御神楽を長い間、保存会の皆さんが守り続けてきました。

甲府市内、他では、生の御神楽はなかなか見ることができない貴重なもの。

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衣裳もずっと大切に保存をしてきたり、新調したり、練習も行い、83歳の米山会長の元、今も変わらぬ音を響かせてくれています。

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ご年配の方から小さなお子様までたくさん集まっていました。

毎年、御神楽を楽しみにしているという方もいて、ずっとカメラを構えてみている方もいらっしゃいました。

地域の方々にとっては昔を思い出させる春の風物詩。

今はなつかしい田舎の原風景♪なんです。

 この保存会のメンバーにも若者をたくさん加えて、ずっとずっと大切に御神楽を残していきたいと、氏子総代の落合さんもおっしゃっていました。

 また玉諸神社の4月15日のおみゆきさんは、昔、馬で渡御をしていたということから、馬がご神体の「ぼんぼこさん」と呼ばれるお神輿を担ぎます。

大きなカゴにたくさんのおしんめが貼られているようなイメージ。

このお神輿は、やはり、よりたくさんの地域の方に、そして若者にも!という思いから、山梨学院大学ラグビー部の学生が担いでいるそうです!これも伝統!

 

神社に地域が守られ、また地域に神社も守られ、伝統の音が響き続けること、なつかしい風景がよみがえること、まさに後世に残したい山梨の音です。

 

 

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甲斐国三宮玉諸神社

住所/甲府市国玉町1331

山梨県内にある“後世に残したい音”

第4回目は≪うどんをのして、切る音≫≪うどんをすする音≫です。

 

富士山の湧水と、富士北麓の冬の厳しさに育まれ、何世代にもわたって根付いた独自のうどん文化

それが「富士吉田市の名物「吉田のうどん」

太くて強いコシがある麺、醤油と味噌の合わせた汁、茹でたキャベツや油揚げや馬肉・・・

そして、ゴマ・山椒・唐辛子などから作られた「すりだね」と呼ばれる薬味をお好みで加えるのが特徴。

なんと富士吉田市内には、60店以上もあり、農林水産省「郷土料理100選」に選ばれています。

そこで、今回は、吉田のうどん発祥の店とも言われる<桜井うどん>を訪れ、3代目の桜井竜太さんにお話しを伺いました。

 

お店に入ると、まずは桜井うどん看板娘のお母さんの、「いらっしゃいませ、あったかいの?つめたいの?」の声♪

これも何年も変わらない音の一つ。

そんな桜井うどんは創業およそ60年

吉田のうどんは店によって特徴がありますが、この桜井うどんは、元祖キャベツうどん!

茹でたキャベツと、油揚げが乗っているシンプルなうどん。

キャベツは一年中収穫もでき、歯ごたえもあり、スープの味を変えないということから、桜井うどんが始めたんです。

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そもそも、吉田のうどんは、商売をするために考案されたものではないんです。

富士北麓は寒冷地域のため、もともとお米よりも麦が採れ、「うどん」や「ほうとう」を食べる機会が増えたのが由来。

さらに、機織りとも深い関わりがあります。

機織りをする女性のために、行商をする男性がうどん打ちをして振る舞っていました。

そのため、現在もその名残が残り、お店のほとんどが民家の一間を開放して昼のみ営業。

朝も昼も毎日吉田のうどんを食べる人もいます。

富士吉田市内では、朝4時頃から家に電気がつき、バーナーの音や釜の音、そしてうどんを打つ音が静かに聞こえます。

朝早くから仕込むこの「吉田のうどん」は、手ごね、寝かせ、足踏み・・・と惜しまなく手間暇をかけます。

麺に小麦の味わいがギュッと閉じ込められ、汁のうまさに負けない、噛めば噛むほど味の出る硬めのねじれ麺!!

 

そんな麺を桜井うどんの3代目桜井竜太さんは「うどんは生きている」と語りました。

毎日の温度、湿度によって、麺作りも違うし“音”も違います!

 

富士吉田地域ではうどん食が浸透していて、「腰があって長く続くから」という意味で結婚式や、やはり郷土料理としてお葬式やお祭りの席でも振る舞われる、まさに吉田市民にとっては吉田のうどんは生活の一部!

そして、山梨県人にとってもは、長く太く強いコシの麺ようにずっと続いてほしい郷土料理の一つです。

 

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桜井うどん

住所/富士吉田市下吉田93

電話/0555-22-2792

営業時間/10:00~14:00

定休日/日曜

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