甚左衛門

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sun夏は、イベントが盛りだくさんですよね。

その一つに、市川三郷町の「神明の花火」大会があります。

実はこの花火大会、市川に和紙づくりを広めた「甚左衛門」という人物ゆかりのイベントだということをご存知ですか?


甚左衛門は、平安時代末期に、甲斐源氏の祖と言われる源義清(みなもとのよしきよ)の家臣として京都からやってきました。
甚左衛門が紙を漉くことに熟練していたので、市川の人々はその技術を学び、市川和紙の名声が世に知られるようになりました。

その前から、市川で紙漉は行われていたようですが、市川和紙が有名になるのは、
甚左衛門が甲斐の国にやってきた後のことなんです。

また、市川には紙作りに欠かせない良質な芦川の伏流水があったことも、その後産業が発達した一因と言われています。

甚左衛門は、養和元(1181)年7月20日に病で亡くなってしまいますが、人々は、紙の神様を祀った「紙明社(しめいしゃ)」という神社に石の祠を建てて、彼の遺徳を崇めました。


なお、「紙明社」は、江戸時代、中国の歴史書「史記」の記述を根拠に、「紙」という漢字を、神様の「神」に置き換えて「神明社(しんめいしゃ)」と改名します。

また、昭和になると、神明社は八乙女(やおとめ)神社と合祀(ごうし)され、
現在は八乙女神明神社となっています。


ところで、神明社の境内には、相撲の辻がありました。

甲州を代表する辻の一つと言われたこの辻では、毎年、甚左右衛門の命日である7月20日に行われる神明社のお祭りで相撲大会が行われ、大変にぎわいを見せたそうです。


そしてもう一つ。
このお祭りでは「花火」を打ち上げていたんです。

その花火は「神明の花火」と呼ばれ、市川和紙に功績を残した甚左衛門への感謝の気持ちを込めたものでした。
これが、市川の花火大会の由来です。

神明の花火大会は長い間途絶えていましたが、平成になってから復活。
花火の日である8月7日に開催されるようになりました。

今年で24回目、2万発の花火が打ち上がり、毎年約20万人もの観光客が訪れるんですよ。
今年も楽しみですねhappy01


ちなみに現在、市川三郷町では障子紙を中心に生産していて、国内シェアは約40%、全国one位です。
花火の生産も盛んに行われています。


ドーンと響く迫力の音とともに夏の夜空を華やかに彩る神明の花火大会。
市川和紙の父・甚左衛門から届く、夏の贈り物みたいですね。confident

 

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「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。

是非お楽しみ下さい!