酒折宮

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連歌発祥の地として名高い酒折宮

この神社の歴史は古く、
日本武尊が東征(蝦夷<えみし>への出兵)の際に、滞在したのが始まり
といわれています。

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さて、酒折宮といえば連歌が有名ですが、連歌とは五・七・五・七・七の短歌と同じ構成でできています。
しかし、五・七・五の上の句を詠んだ後(のち)、別の人が(七・七)の下の句を詠むというのが連歌の特徴であり、この点が短歌と異なる所です。

この連歌にさらに、五・七・五そして、七・七と次の句を繰り返し付けていき一つの詩とする長連歌なども発展し、鎌倉時代から室町時代にかけ人気を誇りました。

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ところで、なぜ酒折宮が連歌発祥の地といわれているのか!
それは、日本神話の英雄・日本武尊が、蝦夷地まで遠征した際に、滞在した酒折の地で詠んだ歌が連歌の始まりだといわれている からなのです。

そのとき詠まれたのが、
「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」という上の句と
「かかなべて夜には九夜日には十日を」という下の句です。

日本武尊が「新治(にひばり)筑波の地を過ぎてからどれくらいたったろう」と上の句を詠むと、
御火焼翁(みひたきのおきな)、火の番をしていた者が
「日数にすると、夜では九夜、昼では十日でございます」と下の句を答えたという内容です。

日本武尊の東征の記録は、古事記や日本書紀に記載があり、そして、御火焼翁の機転の利いた下の句に日本武尊が感嘆、感激したという内容が古事記に記されていることが、連歌発祥の地という説の信憑性を高めているのです。


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さて、酒折宮の裏山には梅の名所「不老園」があり、
毎年2月から一般に公開されています。

不老園は明治中期に甲府市内の呉服商だった奥村家の別荘として整備されたもので、
全国から集められたさまざまな種類の梅が、1月下旬から3月下旬にかけ咲き誇ります。


この不老園の脇にある坂道をしばらく登ると、実際に日本武尊が滞在したといわれる場所があり、ここには古天神とよばれる古い石の祠が今も残っています。

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酒折宮と日本武尊が実際に滞在した古天神、そして不老園。
ちょっと早い春を探しに出かけてみたいと思いますconfident


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是非お楽しみ下さい!