県民の日

インデックスは・・・「県民の日」



11月20日は県民の日です。

明治4年のこの日に、それまでの“甲府県”を“山梨県”と改めました。
山梨県のbirthday誕生日というわけです。今年で139歳になります。
1119-1.jpg 
 
1119-2.jpg

1119-3.jpg 
今年も記念行事が行われ、多くの人で賑わいましたhappy01


きょうはclock山梨県の歴史を紐解いてみましょう。

1867年、初代将軍・徳川家康から、15代徳川慶喜まで264年続いた徳川幕府は、時の天皇に政治の権限を返しました。(「大政奉還」「王政復古」)
この「大政奉還」の翌年1868年、天皇を中心とする明治新政府が誕生し、元号も慶応から明治と改められ、日本は近代国家としての路を歩み始めました。

そして、西欧列強に対抗できる近代的な中央集権国家を目指して、国内の藩の制度を廃して、全国に県が置く「廃藩置県」を行うこととしました。
1869年(明治2年)「甲斐府」が「甲府県」と改称。そして1871年(明治4年)に「山梨県」と改められました。


「廃藩置県」が行われた際に、明治政府が各県の名称を決めるとき、明治維新の戦いで朝廷側についた藩は旧藩名を県名として使用、一方、幕府側についた藩およびその他は、新しくその地域の郡名や、山・川などの名前を県名とするように方針がだされました。

当時の甲斐国は、徳川幕府の天領=直轄地であったため、藩の制度はなく、明治政府誕生に功績がなかったので、新しい名前とする取り扱いを受け、甲斐国の中心であった甲府が属していた「山梨郡」をもって県名としたといわれています。

明治維新で活躍した薩摩藩や長州藩・・・正式名称が鹿児島藩・山口藩なので、薩摩県ではなく鹿児島県、長州県でなく山口県になっています。


さて、 その「山梨郡」の由来ですが、一説によりますと「山梨郡」には、“ヤマナシの木”が多くあったことに基づくそうです。
“ヤマナシ”は現在、私たちが食べている、“梨”の原種とされ、樹高は3~6mで、春に白い花を咲かせます。実は直径三センチほどの大きさで、黄色または赤く熟しますが、固く酸味が強いので食用には向かないそうです。 

現在も、県内の山地に生育しています。実は、県立博物館の敷地内にもシンボルツリーとして植えられていますので、探してみてはいかがでしょうか。


県民の日には、県立博物館や県立美術館など県立施設の無料開放が行われます。
県立図書館では、「外国語による絵本の読み聞かせ会」や「本と親しむ図書館ツアー」「書庫開放」等も実施されます。
また、施設の無料開放を予定している市町村もありますので、それぞれのHPなどでご確認ください。

もっと山梨のことを知って、次の世代に誇れる豊かなふるさと山梨を築きあげていきたいですねhappy01

山梨県のHPには、山梨の歴史が詳しく掲載されています。

山梨県のホームページはこちらです。