北海道にある山梨

きょうのインデックスは…「北海道にある山梨」



みなさん、北海道に「山梨」と名の付く地名があるのをご存じでしょうか?

例えば、ちょっと調べるだけで、

「北海道 虻田郡(あぶたぐん) 倶知安町(くっちゃんちょう) 山梨」、
「虻田郡 豊浦(とようら)町(ちょう) 山梨」、
「余市郡 赤井川村(あかいがわむら) 山梨」

・・・と、いくつもの「山梨」地名が出てきます。


なぜ、ほかの県の地名が北海道にあるんでしょう?

他県の地名が北海道内にできたのは、明治時代の開拓の時です。
北海道には、本州各地から募った入植者が大勢やってきて、道内の各地で、原野を切り開いて開拓しました。山梨からも数十人、数百人規模で集団移住し、集落を形成しました。
こうして、出身地を地名とした例が、道内各地で見られるようになったわけです。

先ほどの「北海道 倶知安町 山梨」や「赤井川村 山梨」は、山梨県から北海道に開拓のため移り住んだ人々による集落なんです。また、「虻田郡 京極町(きょうごくちょう)」には「甲斐」という地名も残っています。興味深いですねconfident


明治時代は、北海道本土だけでなく、北方四島と千島列島の開拓も進められた時代でした。(まず、明治2年(1869年)に「開拓使」という役所を置くと同時に、それまでの「蝦夷地」という地名から「北海道」に改名しています。明治4年には、「屯田兵」制度を導入、道内各地や北方四島に配置しました。)

北方領土は山梨の面積よりも広く、wave近海は世界三大漁場の一つに数えられ、(択捉島や、国後島、色丹島などでの)漁業に目を向け、転住した人も多かったといいます。


この北方領土、2月は「北方領土返還運動全国強調月間」に当たります。
北方領土は昔から、他国の領土になった事のない日本固有の領土。
1855年の2月7日、日本とロシアの間で日露通好条約を締結し、国交成立しましたが、その際、
「択捉島までは日本領、ウルップ島からはロシア領」という国境が確定しています。

しかし、1945年(昭和20年)終戦直後(の8月28日 ~ 9月5日の間に、終戦直後)の混乱に乗じて、ソ連軍が北方四島に攻め込み、そこに住んでいた17,000人余りの日本人を追い出して占領しました。(北海道には、開拓で移住した人がいる一方で、強制的に移住せざるを得なかった人々もいるんですね。)

もちろん、これは、国際的に認められているものではなく、サンフランシスコ平和条約でも、日本が、
千島列島と南樺太を手放すことは決められましたが、北方四島については日本固有の領土だということに変わりはありません。 

ロシアの実効支配が続く状態で60年以上経ちますが、日本政府は、ロシア政府に対し、粘り強く領土返還交渉を続けています。
国では解決に向けた「外交交渉」を行っていますが、国が頑張るだけでは、交渉は上手く進みません。「日本国民は、北方領土の返還を諦めていない」ということを、ロシアをはじめ、諸外国に示すためにも、全国民の後押しが必要になります。


毎年、2月7日は、北方領土の日。山梨県でも啓発活動を行って返還運動を盛り上げています。
「領土問題は北海道のこと」とか、「私には関係のないこと」などとは考えずに、まず関心を持ち続けてほしいと思います。
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