2011年3月アーカイブ

きょうのインデックスは・・・冨嶽三十六景



fuji富士山を題材に描かれた「冨嶽三十六景」と言えば、作者は葛飾北斎ですね。

「葛飾北斎」は、日本を代表する浮世絵師として、世界的にも高い評価を受けていて、
art西洋画家の巨匠フィンセント・ファン・ゴッホなど多くの芸術家に影響を与えたと言われています。

さて、この「冨嶽三十六景」、当初、題名の通り36点の予定でしたが、発表後のimpact爆発的な人気を受け、後に10点が追加され、最終的には46点となりましたcoldsweats01
斬新な技法や北斎独特の視点構図で描かれた作品には、情景豊かに地域の人々の生活も描かれ、今もなお、人気を博しています。


そんな「冨嶽三十六景」には、山梨県内から描かれた作品がsixあります。

その内のひとつ、現在の富士川町から描かれた甲州石班澤」は、荒れる富士川と、泰然とした漁師の姿の対比が素晴らしく、北斎の「藍摺り」の最高傑作ともいわれています。
0325-1.jpg 

藍摺りとは、当時、流行していた輸入顔料「プルシャン・ブルー」を使った、藍色一色の
浮世絵版画のことで、流行の変化と共に、多色摺りに変えられたりもしています。


また、御坂峠から描れた甲州三坂水面」は、富士山の姿と、河口湖に映る逆さ富士が印象的な代表作です。
景色は夏なのに水面に映る逆さ富士は、snow雪を戴く冬の姿になっていて、
北斎の遊び心・・・奇抜な発想がうかがえる作品ですwink
0325-2.jpg 

県内から描かれたほか4点についても、富士の姿が個性豊かに描かれています。

作品が描かれたとされる地域からは、現在も富士山の姿を見ることが出来ますが、作品に描かれた姿と実際に見える姿は違っており、その独特の表現方法こそが、葛飾北斎の真骨頂と言われています。 


現在、山梨県立博物館では、開館5周年を記念して、
「葛飾北斎 生誕250年記念特別展・北斎の冨嶽三十六景」が開催されています。
(~5月9日まで)

シリーズ全46点や、山梨にゆかりのある作品が展示され、北斎のeye観察眼や人物像、
また、山梨との関わりなどが紹介されています。この機会にご覧ください。
0325-3.jpg 


山梨県立博物館のホームページはこちらです。



石河アナは今回の放送をもちまして番組を卒業させていただきます。
お聞きいただきありがとうございました。

次回から、村松優里香アナウンサーがお送りします。
今後ともよろしくお願いいたします。 

東日本大震災にともなう、ボランティアや物資に関するお願いです。


日を追うごとに、被災地の情報が明らかになり、避難所の様子も伝わってきます。
被災者の声で「毛布と食料が足りません」などと聞くと、物資を送ろうとされる方も多いとは思いますが、物資を送るのは、しばらくお待ちいただきたいと思います。

これは、個人が一つの段ボールに食料や毛布を一緒にして送ると、こうした荷物が日本中から届けられる被災地では処理が困難になってしまうためです。
現地の自治体は、このような寄付が届いても、それを仕分けし、避難所に割り振る作業をする余裕が無いことが多いそうです。

また、災害時に必要な物資は、刻々と変化します。
被災直後は毛布などから始まりますが、次は移動式のトイレ、そしてショベルカーなどへと変わっていきます。救援物資は個人で送らず、事前に社会福祉協議会やボランティアセンターへ問い合わせをお願いします。

さらに、実際に現地に行って、ボランティアとして奉仕したい人もいらっしゃると思います。
被災地には、災害ボランティアセンターも一部で開設されました。
このセンターでは、ボランティアを必要とする人と、ボランティア出来る人を集約し、斡旋する拠点となります。
しかし今の段階ですと、救助活動が最優先となり、まだ一般の方の受け入れ態勢が、整っているところは少ないようです。このため、ボランティア募集の情報があるまでは、現地に直接、確かめたり、訪問することは控えていただきたいと思います。

大きな災害では、復興に長い時間がかかります。災害への初期対応がおおむね終わる頃から、自治体の受け入れ態勢も整っていきますので、ボランティアもスムーズに活動できるようになります。
「受け入れ態勢が整った」という情報が流れてから参加しても、けっして遅くはありません。
現地でのボランティア活動についても、事前に社会福祉協議会やボランティアセンターへ問い合わせをお願いします。

被災地にいない私たちが、刻々と変化する現地の状況に対応するのは難しいことです。
しかし、被災地で使い道が選べる「募金」は、大変助かるそうです。

例えば「共同募金」「日本赤十字社」などが専用口座を開設しています。


最後に「計画停電」に関する注意とお願いです。

まず、「節電」への協力をお願いします。医療機関では、診察時間が変更になることがあります。
また市町村役場では「各種証明書」の発行などに、対応できない場合があります。
事前に確認してからお出かけください。

東北地方太平洋沖地震にかかる救援物資・義援金・ボランティアの受付について(山梨県のHP)


山梨では「無尽」をはじめ、助け合って生活してきました。
山梨からも被災地に向け、あたたかい心を届けたいですね。 

きょうのインデックスは・・・「恩賜林記念日」



3月11日は恩賜林記念日です。

県土のおよそ8割(78%)を森林が占める緑豊かな山梨県。
そして、その森林のおよそ半分(46%)が恩賜林と呼ばれる県有林です。
0311-1.jpg 
身延町大城の県有林


いまから遡ること104年前の明治40年。山梨県を大きな台風が襲い、山岳崩壊、河川の氾濫、そして多くの死傷者をだすなど、甚大な被害を与えました。
その傷が癒えない3年後の明治43年にも集中豪雨に見舞われ、県民の生活は大変苦しくなりました。
0311-2.jpg 
明治40年の大水害の様子(笛吹市甲運橋)


それを知った明治天皇は、1911年、明治44年の3月11日、県下の御料地、およそ16万4千ヘクタールを、県民の暮らしの復興に役立てるよう、山梨県に御下賜されました。
これが今の県有林の基となり、「恩賜林」と呼ばれています。


その御下賜への謝恩の意を表し後世へ伝えるため、明治45年に、3月11日を「恩賜林記念日」と定めました。また、大正6年から3年の歳月をかけ、舞鶴城公園に謝恩碑が建設されました。
「恩賜林記念日の歌」も作られ、戦前までの間、小・中学校で歌われていました。
0311-3.jpg 
建設中の謝恩碑


恩賜林=県有林の歴史を遡ると、戦後の経済復興に伴い増大する木材需要に応えるため、昭和33年度の36万m3をピークに年間30万㎥の木材を供給。これによって林産物収入は飛躍的に増大し、この収入が山梨県財政の危機を救ったのをはじめ、市町村の学校建設などにも大きく貢献しました。
0311-4.jpg 


また、南アルプス市の「県民の森」や甲府市の「武田の杜」などが整備され、林間学校などで多くの県民に休養や癒し、教育の場として活用されています。

現在、県有林は、県内の22市町村に広がり、約15万8千haを有し、県土面積の35%を占めています。

ちなみに、県土面積に占める県有林の割合は、全国one位。
県の森林面積に占める県有林の割合も全国one位。県有林面積は北海道に次いでtwo位となっています。

一方、fuji富士山や八ヶ岳などの優れた自然景観を持つ県有林は、国立公園や県立自然公園等に46%が指定されていて、登山者をはじめ、多くの観光客が訪れています。


また、平成15年に公有林としては全国に先駆けて、
国際的な森林管理認証である「FSCTM森林管理認証」を取得。
この認証は、県有林が環境、社会利益、経済の各分野において国際的な基準に従って適切に管理されていることを意味しています。
「FSC」のロゴマークが付いた製品は産地が明確で、この製品を使うことは、環境に配慮した適切な森づくりを支援することにも繋がります。


今年、御下賜から100周年を迎える恩賜林。
「まもられてるからまもりたい」をテーマに様々な事業が実施されます。

先人たちの努力によって守り、育てられてきた山梨の森林。
この貴重な財産を次の世代に引き継いでいきたいですねconfident


恩賜林について詳しくは、こちらの山梨県のホームページをご覧ください。
 

きょうのインデックスは・・・「甘草屋敷」(かんぞうやしき)


甘草は、ショ糖=砂糖の140倍~150倍の甘みを持つことから、食品の甘味料として使われる一方、主成分グリチルリチンは、練り歯磨きなど、薬用としても広く用いられています。


甘草屋敷は、JR塩山駅北口にある大きな木造民家で正式な名前は、「国指定重要文化財・旧高野家住宅」と言います。高野家は、江戸時代に薬用植物である甘草を栽培して、幕府に納めていた家で、このため、古くから「甘草屋敷」と呼ばれてきました。

19世紀初頭の建築と考えられ、江戸時代の養蚕農家の代表的な家の造り「切妻造り」を今に伝えています。
 0304-1.jpg

高野家の沿革がわかる貴重な資料に「甲州甘草文書」(県指定文化財)というものがあります。

この古文書によりますと、1700年代、徳川8代将軍・吉宗の時代に幕府お抱えで、薬の採取を担当した医師・丹羽正伯(にわ しょうはく)が高野家を訪れ、屋敷内にあった甘草を「幕府御用」として認めて、その栽培と管理を高野家に申し渡しています。
以後、およそ1,000㎡の甘草園は、年貢を免除され、幕府官営の薬園として上納を行ったということです。

この背景には、江戸時代、相当量の薬や砂糖などが輸入され、その代金として莫大なdollar金銀が海外に流出するようになったことが関係しています。

金銀流出を食い止めるために、幕府は国内で自給可能な体制を整えようと、薬を採取する医師「採薬師の派遣」を行いました。
これは、国内で作られる薬などの採取を目的として、幕府は各地へ採薬師を派遣、併せて地元の人々に何が役立つかを教えたということです。

 0304-2.jpg

現在、この歴史ある「甘草屋敷」をメイン会場に、「甲州市えんざん桃源郷・ひな飾りと桃の花まつり」が開催されています。(~4月18日)

甘草屋敷には、江戸・明治・大正・昭和各時代のひな人形が、塩山オリジナルの「つるし飾り」とともに展示されています。
全国から集まった雛人形はおよそ700体というから驚きですcoldsweats02

例えば、江戸時代中期、享保年間に流行した内裏雛で、豪華な衣装、面長の顔、目は切れ長で歴史的にも貴重な「享保雛」や、宮廷や武家の間で可愛がられたところから名前がついた、ぽっちゃり型の「御所人形」など大変珍しい雛人形に出会えます。

0304-3.jpg 

また、和紙で作られ、素朴な味わいのある「つるし飾り」は、東京から移り住んだ志村トミさんが、塩山地区の皆さんに教えたもので、来月18日までの期間中、毎週土曜日に、甘草屋敷で「つるし飾りづくり体験教室」が開かれています。(有料)

自分だけのオリジナル作品を作ることができるそうですhappy01

 0304-4.jpg

雛祭り・・大人になってもなんだかわくわくしますねheart01
峡東地域の梅の花、桜の花を楽しみながら、甘草屋敷に出かけてみてはいかがでしょうか? 

2019年4月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

カテゴリ