後藤斎知事インタビュー①

3月の「やまなしINDEX」は、去る2月17日、第61代山梨県知事に就任された後藤斎知事をスタジオにお迎えし、直接お話しを伺います。


三浦)
知事よろしくお願いいたします。

知事)
後藤斎です。よろしくお願いします。

三浦)
知事に就任されてからおよそ半月が経ちましたが、今日までを振り返られていかがですか。

知事)
本当に、まず、県民の多くの皆さん方に当選させていただいたので、それについては感謝を申し上げながら、議会の準備、議会の対応と慌ただしく毎日を過ごし、大変充実した毎日を送らせてもらっております。

三浦)
今週は後藤知事とはどんな方なのか、知事の横顔を紹介していきます。
知事は甲府市のご出身ですが、甲府の街で少年時代、どのように育ったのですか。

知事)
もう57歳になります。昔の甲府の、特に南部地域というのは、田んぼと畑ばかりでした。私の実家も農業をしてましたから、田植え、稲刈り、野菜の収穫、出荷と、土日を中心にやはり手伝いをずっとしていました。

三浦)
中学、高校時代はスポーツにも汗を流されたと聞きました。

知事)
はい。特に陸上競技をやっていました。中学校時代は三種競技といって、100メートル、走り高跳び、そして砲丸投げと、甲府市ではいつも一番、山梨県ではどうしても三番にしかなれませんでした。

三浦)
すごい知事!

知事)
いえ、全然すごくないです。

三浦)
スポーツ万能でいらっしゃったわけなんですが、甲府一高、そして東北大学を卒業後に、農林水産省の官僚を経まして、衆議院議員を4期務められました。政治家を志したきっかけというのは何だったんでしょうか。

知事)
ベースは40年前の「成長の限界」という本が出たことです。人口がどんどん世界中増える一方で食糧増産、食糧やエネルギーが追いつかない。このアンバランスで大変貧困が広がるということで、(これに対応するためには)二つの手法があるなというのが、高校から大学に行ったときの思いです。

一つは、砂漠に野菜や果物や米や麦が植えられればお腹いっぱいになるという単純な発想。ですから砂漠を緑にする土木者、技術者というのが一つの目標でした。それがなかなか、物理ができなかったことがあったかもしれませんが。なので経済学の分野で農林省に入って、食糧、農業問題をメインとした仕事をしたいと(考えました)。

結局後者の道を選び、農林省に入り、仕事は国際関係を中心に色んな仕事をしたものの、やはりどうしても役所というのは、霞ヶ関は縦割りの行政、自分の課や局を超えた仕事というのはなかなか出来ないという一つの壁があったので、国会を目指すのが一番早いのではないかと(思いまいた)。今思えば、若気の至りだったかもしれませんが、当時は真剣に思って、実際37歳の時に農林省を辞め、政治家というものを目指して、という部分です。

三浦)
ここまで政治の道を歩んできて、知事が大切にしている信条というのはどういうものなんでしょうか。

知事)
二つあります。やはり地域のため、国のために尽くしたいという気持ちで、この政治という道に入りましたから、その初心というものを忘れないように、それを少し長い言葉でいえば、「死しても初心貫くべし」。死んでも初心というものは貫いていく「死しても初心貫くべし」と言う言葉と「無限の可能性を信じて」。この二つの言葉は自分の座右の銘で右肩、左肩にそれぞれいつも思いながら活動させてもらっています。

三浦)
今日は後藤知事の経歴や、人柄をご紹介しました。
後藤知事ありがとうございました。


知事)
ありがとうございました。


次回は、知事が提唱されている「ダイナミックやまなし プラチナ社会構想」についてお伺いします。


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「やまなしINDEX」を放送後にホームページでもお聞きいただけます。

是非お楽しみ下さい!