第51回「旧明治病院」
八ヶ岳の南の麓、北杜市高根町箕輪。
西洋建築と日本建築の融合する、
山梨県令・藤村紫朗が奨励した「藤村式建築」、
その特徴を持つ木造2階建の「明治病院」は、
明治25年に作られた建物です。
額字を書いたのは、藤村県令の補佐として、
荒地だったこの地の開拓に尽力した、
参事の富岡敬明。
漢方医だった清水家の3代目・清水敬蔵は、
西洋医学を学んだ後、新たに開業するにあたり、
近くにあった藤村式建築の校舎「村山東割学校」を、
参考にしたようです。
円柱と、バルコニーの付いた車寄せは、
「村山東割学校」の細部と、よく似ていました。
医院は昭和40年代に閉じられ、
現在は、建物の魅力を生かしたお蕎麦屋さんに。
診察室は厨房に、
待合室はダイニングへと生まれ変わりました。
しかし、入口の枝垂桜も、古い窓ガラスも、
そのまま残されています。
2階は、32畳の大広間にして、
集会所のなかった地域のために開放されていました。
数少ない、貴重な藤村式の医院建築。
西洋の風を吹かせ、地域を支えた建物は、
慌ただしい現代に、
ゆったりとした時間を提供しています。
2017年3月30日 15:43