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紹介した内容

第1回「武田三代歴史カレンダー(4月)」

毎月1週目は、武田三代歴史カレンダー。
信玄の生涯で、重要な出来事があった日を、月ごとにたどります。

甲州市の「恵林寺」。
信玄の菩提寺として、武田氏と共に歩み、様々な歴史の舞台となりました。

 

 

天正10年(1582年)4月3日。
織田信長によって、「恵林寺」が焼き討ちされました。

その前月、織田・徳川連合軍によって、武田氏が滅亡。
その後「恵林寺」は焼き討ちにあい、住職の快川(かいせん)国師は、100人以上といわれる僧侶たちと共に、炎に包まれたのです。

「心頭滅却すれば火も自ら涼し」
炎に包まれ落命する最後の瞬間、快川国師は、山門の上に逃げ集まった弟子たちに、この言葉を残しました。

元亀四年(1573年)4月12日。
信玄の命日です。享年53歳。
「三方ヶ原の戦い」のあと、病により、甲斐に引き返す途中の信濃、駒場で亡くなりました。

 

 

信玄公は、自身の死を、3年間隠せと遺言。
甲府市岩窪町には、信玄公が密かに火葬された場所といわれる「火葬塚」があります。

家督を継いだ息子・勝頼は、信玄の遺言通り、3年後の天正四年(1576年)4月16日、父の葬儀を恵林寺で盛大にとり行いました。

戦乱の世で、全国有数の戦国大名となった信玄公。
その遺徳は、武田氏が滅んでも、失われることはありませんでした。

 

2021年4月9日 10:18