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紹介した内容

第2回「描かれた信玄」

2021年、生誕500年を迎える信玄公。
53年の生涯と業績を振り返りながら、未だ謎も多いその実像に迫ります。

全国にその名を轟かせた一方で、人物像は、完全には分かっていない信玄公、そもそも、どのような風貌だったのでしょうか。

江戸時代中期に描かれた信玄像。
川中島の合戦の陣中で、鎧の上から赤い法衣と袈裟をまとい、軍配や数珠を手にした「法師武者」の姿です。

江戸時代前期には、既にこうした姿が描かれ、中期には、信玄のイメージとして定着していたと
考えられています。

信玄とその家臣の集合図も、後に「武田二十四将」と呼ばれるようになった家臣団。
しかし現実的には、活躍した時期もまちまちでこのように一堂に集まったことはなく、人々が想像した、「武田家臣オールスターズ」でした。

近年、信玄の肖像として知られるようになったのは、画家でもあった信玄の弟が描いた、胴丸と呼ばれる伝統的な甲冑をまとった姿。

甲冑には、武田氏の家紋・花菱を象った、紋鋲が施されています。

江戸時代後期に描かれた錦絵。戦いの場面を描いた「合戦図」です。
信玄と上杉謙信の川中島での一騎打ちは、絵になるとして、多く描かれました。

「武者絵」を得意とした浮世絵師「歌川国芳」とその門人たちにより、手に汗握る闘いが、
臨場感あふれる描写で表現されています。

智将・猛将・有能な政治家と讃えられた信玄公。

後世の人々はその姿を想像し、画像に追い求めたのです。

2021年4月16日 13:27