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紹介した内容

第3回「戦国の雄 信玄の姿」

2021年、生誕500年を迎える信玄公。
 
53年の生涯と業績を振り返りながら、
未だ謎も多いその実像に迫ります。

 

戦国時代屈指の戦上手で知られる一方、
民のために、国を治めた名君主といわれた信玄。

法を定め、自らを頂点とする、国を作りました。
 
信玄公が創り出した「国」は、
後の豊臣政権や江戸幕府の先駆けとなりました。

 

 

 
「甲州法度之次第」。
戦国大名が定めた、独自の法のひとつとして知られます。

 

 

条文の中心は、度重なる信濃侵攻で疲弊した領国内で
起こっていた諸問題に対処するためのもの。

 


 

しかし、最後の条文には、

信玄自身もこの法の内容に従うこと、

また信玄に、法に触れる行いなどがあれば、身分を問わず訴え出ることができる、

とあります。

 

法の元の平等を尊重する、36歳、若き国主の、高い理想が示されています。

 

この条文に影響を与えた可能性があるのが、

前年・天文15年に、甲府の積翠寺で行われた、「和漢聯句会」です。

 

 

都から、勅使を招いて、和歌と漢詩を交互に詠む会を開きました。

この時詠まれた歌には、
「法」について言及した句があります。

 

 

法もただ謀おや道ならん
身を治てぞ世を治めしる

 

会の参加者が、信玄公に、

「法」についての示唆を与えたとみられます。

家督を継ぎ、国主となって6年。
 
信玄公は、様々な知識層から教えを受け、
国を治める基盤となる「法」を作ったのです。

2021年4月26日 15:08